部誌1 | ナノ


ホットチョコレート



「楓、なあ悪かったって」

コンコンとドアをノックする。もう10分ほど部屋の前で何度も繰り返し行っているが一向に部屋の住人からの返事は返ってこない。

「楓、楓さーん。俺が悪かったから出てきてくれよー」

あんまり反応がないものだから思わずこぼれてしまう情けない声。それでも住人の反応はまったくない。これは相当ご立腹だと肩を落とす。
そんな自分に見かねたのか居間から村正さんが顔を出した。

「楓どうだ?」
「返事するどころかまったく反応を返してくれない……」
「そりゃまた、今回はいつになくご立腹だな」

こんなに怒るの虎徹相手ぐらいだぞ、と村正さんはまるでいまの状況を楽しむかのように喉を鳴らす。村正さんからしたら面白いだろうがこっちにとっちゃ憂鬱でしかない。一人蚊帳の外で楽しむ村正さんを睨むとすぐに察して謝罪してきた。

「悪い悪い。まあ、あれだ……お前もタイミングが悪かったってことだな」
「……虎徹の野郎、今度あったら一発殴ってやる」

ため息混じりでこぼれた言葉と同時に脳裏に浮かんだ友人の顔。ああ、渾身の力で殴りつけたかった。
事の発端は高校時代からの友人であり、村正さんの弟である虎徹からの頼みであった。

『楓が俺のためにバレンタインデーに送ってくれてな!あ、見るか楓からのチョコの包装?もうさすが俺の娘とあってセンスが超よくって・・・え、それより先に用件だぁ?お前ホント昔からノリがわりぃな。んでだ、お前今度オリエンタル戻るっていってたろ?わりぃんだけどそんときに楓にバレンタインのお返し渡してくんね?ホントは俺が渡したいんだけどよ、仕事のせいでそうすぐに帰れないし……だから頼む!俺の楓への思いを運んでくれ!』

と、無理矢理押しつけられて戻ったオリエンタルタウン。
実家に一度戻ってから虎徹の実家である鏑木家へ。母親である安寿さんも村正さんも快く上がらせてもらい、目的の人物は部屋にいると聞いて向かった。
楓とも友恵、虎徹の奥さんの腹の中から知っている。今更気にするほどの間柄でもない。だが、そこが盲点だった。
ノックもせずにドアを開けると安寿さんが行っていたとおり、楓はいた。

ただし、ちょうど着替え中だったが。


そして現在に至る。


「ごめんなさいねぇー、まさか着替えてるとは思わなくて……」

ひょっこりと居間から顔を覗かせてきた安寿さんが申し訳なさそうに眉を八の字にさせる。それを見て慌てて否定した。

「ちがっ、安寿さんが悪くないってっ!」
「そうだぞお袋、どう考えてもタイミングが悪かっただけだ」
「そうだろうけどね、まさか楓がここまで怒るとは思わなくて……でもあんたも相手お年頃なんだから少しは気遣うべきだったんじゃない?」

ジロリと睨んでくる安寿さんの視線にぐっと言葉を詰まらせる。さすがにそれは自分に否があるので言い返せない。

「それは、悪かったって思ってるけど……あ」
「どうかしたか?」
「……閃いた」

ちらりと持っていた袋に目を向ける。虎徹に頼まれた分、そしてもう一つは―――




「楓ー」

再び楓の部屋のドアを叩く。やはり物音一つ返ってこない。断固として籠城を続ける姿勢のようだ。ならば、と最後の切り札を出す。

「楓出てきてくれー、渡したいものがあんだ」

だから開けてくれ、と最後にもう一度だけノックする。物で釣る作戦、よくにいう餌付けなのだがこれで無理なら諦めるしかない。ごくりと生唾を飲み込んで楓の反応を待つ。それまでの間がとても長く感じられた。
そして、少しの間を置いてドアノブが回る。かかった。賭に勝った喜びからガッツポーズをしたかったが寸前で思いとどまって我慢する。
ガチャリとドアは音を立て、控えめに開かれた僅かな隙間から楓が顔を出す。

「……渡したいものって?」

出てきた楓が疑いの目で自分を見上げる。どうやらまだ機嫌が直っていないようだ。そりゃあ父親と同い年のおっさんに着替えてるところ見られたら嫌だよな。今更になって自分の犯した失態を反省する。そんな謝罪を込めて持っていた物を楓の前に差し出した。
持ってきたのはホットチョコレートが入ったマグカップだ。甘いチョコレートの香りが鼻孔ををくすぐり、微かに湯気が立っている。
女の子といえば甘いもの、そう踏んで作ったが・・・・・・俺の予想は大きく裏切られる。

「なにこれココア?」
「いいや、ホットチョコレート」
「ホットチョコレート?」

なにそれと目をパチクリと瞬かせる。どうやらホットチョコレートを知らないらしい。予想外の返答に反応に困った。そういえばこっちじゃそんな洒落たの見かけない。オリエンタルが田舎だったことをすっかり忘れていた。
少し悩んでから店員さんから受けた説明をそのまま伝えることにした。

「ええとな、チョコレートをホットミルクで溶かした飲み物で……」
「あ、それテレビで見たことある……でもなんで?」

いきなり差し出されたホットチョコレートから目を離さずに尋ねてくる。なんだかんだいってホットチョコレートに興味津々みたいだ。これはいけると踏んで本来の目的を告げる。

「遅くなったけど、ホワイトデーのお返し」

実はオリエンタルに戻ったのもそれが理由だった。
楓からバレンタインデーにチョコを送ってもらったので、そのお礼を兼ねてこっちに戻ってきたのである。
まさかそれを渡されると思わなかった楓は驚きのあまり目をこれでもかと見開いてまじまじと自分とマグカップを凝視する。

「え、えっ」
「いっておくが、これ結構有名なチョコレート専門店で買ったんだからな」

年頃だから違うものでもよかったかもしれないがさすがにこんなおっさんから貰ってもあれだと考えて結局無難にお菓子を選んだ。
かといってそこらで売っているものも可哀想なのでシュテルンビルトで人気の専門店で購入。行列ができるぐらい人気があるためわざわざ若い女しかいない行列に一人並んだのだ。と、自分の苦労話なんて関係ない。

「……わざわざこれのために来たの?」
「そりゃあ、渡すなら本人に直接だろ」

虎徹の手前伏せてはいるが自分だって楓がかわいいのだ。娘のように思っている子からチョコをもらえて喜ばないはずがない。
楓は自分へと軽く一瞥する。少し考え込み、そろそろとホットチョコレートの入ったマグカップを受け取った。気になっていたのだろう、その場で口をつけて一口飲む。こくりと喉が上下に動いた。すると、さっきまで寄っていた眉間の皺が無くなり、ふわりと笑顔を浮かべた。

「おいしい」
「そりゃよかった、それいわれたら並んだ甲斐あったよ」

あのとき本当に寒かったなとそのときのことを思い出して遠い目になる。あのときは身も心も色々な意味で寒かった。よくぞ帰ってきたぞ俺。まるで戦地から帰ってきた兵士の心境に浸っていると楓がぽつりと呟いた。

「それって私のため?」
「ん?」
「私のために、並んでまで買ってくれたの?」

マグカップを両手に持ったままじっと様子を窺ってくる。その質問の意図が分からず首を傾げた。

「なにいってんだ、楓以外にあげるわけないだろ」
「でも、前にいっぱいもらったっていってたし」
「もらったっていっても職場のやつらにだぞ?そんな高いやつなんてあげるかよ、渡しても全員で食べれるように箱の買ったさ」

それがどうしたんだと尋ね返すが、楓は別にとだけ言い返した再びホットチョコレートを飲み始める。夢中になって飲む姿から見てよほど気に入ったらしい。
よかったと安堵で胸をなで下ろす。これでさっきのことを流してくれたに違いない。ホットチョコレート様様だ。
自分のところまで漂ってくる甘いチョコの臭いに胸焼けを覚えながらもなんとか笑顔を作り続けたのであった。



「だからってさっきのこと許さないから」
「えっ」



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