部誌1 | ナノ


薔薇



彼は、静かなひとだった。
静謐と表現するのが相応しいような、そんなひとだ。
透明で消えてしまいそうな、そんな気がしてならなかった。
そう彼に告げれば「君に言われたくないよ」と、穏やかに笑った。
何もかも見通すような、黒い宝石のような瞳で。
彼はいつでも、親でも見失うほど影の薄い僕を見つけ出してくれた。
どうしてかと訊ねると、彼はいつでも少し苦しそうな顔で微笑んだ。



「黒子くんにも、いつか分かるよ」



彼、みょうじなまえとは中学時代からの付き合いだった。部活でうまくいかなかった僕を支えるように、何を言うでもなくそばにいてくれた。
彼と僕の共通の趣味は読書で、図書室でたまに会って話す程度だったのに、部活を止めて図書室に入り浸る僕に付き合うように、彼も図書室にいてくれた。単に僕が知らないだけでみょうじくんは図書室の常連で、彼の時間を僕が邪魔しているのかもしれなかったけど。
声をかけてくれて、バスケ部のことを聞くでもなく、読んだ本についてあれこれ議論したり考えを共有したり。それだけで僕の心は随分と癒された。彼には感謝してもしたりないほどだ。

受験のシーズンになると、みょうじくんとの会話は減った。お互い読書や会話に費やしていた時間を勉強にあてた。隣り合って座り、分からないところを教えあって。
お陰様で誠凛に受かりそうだと、告げた僕に、彼は目を丸くして、息を止めて、吐いた。一瞬逸らされた視線の意味がわからなくて首を傾げると、控えめな笑顔で教えてくれた。



「ごめんね、びっくりして……おれも、誠凛なんだ」



話には聞いていた美化委員だという彼の仕事ぶりを見たのは、それからすぐのことだった。ぼんやりと、みょうじくんは鉢から花壇に、花を植え替えていた。

「精が出ますね」

声をかけてから、オジサンみたいな口振りだとなんだか恥ずかしくなった。けれどそんな恥ずかしさも一瞬だった。
みょうじくんの体がビクリと震えた。いつでも、例え後ろにいたって、みょうじくんは僕に気づいてくれていたのに。

「みょうじくん……?」

大丈夫ですか、と訊ねた僕に、みょうじくんは曖昧に頷いた。ごめんね、と小さな謝罪をくれた彼の瞳は、動揺に揺らいでいた。
何を考えていたのか訊いて欲しくなさそうだったから、僕は彼がしてくれたように、何もなかったことにした。普段通りを装った。胸は何故か、もやもやして、ざわついていた。

「委員会のお仕事ですか」

「うん、鉢で育ててたんだけど、花壇の方がいいかと思って」

「花のために?」

「先生に頼んでおれが育ててたんだ……でも、鉢のままじゃ忘れられて枯れちゃいそうだから」

そう、指先で葉を撫でる彼の表情は、優しかった。あまりにも愛おしそうに撫でるものだから、その花がみょうじくんにとって大切なものだとわかる。

「何の花か聞いても?」

「薔薇だよ。綺麗な紅色の花が咲くんだ」

もう花は落ちちゃったけど、綺麗だったよ。微笑むみょうじくんが綺麗で、消えそうで、思わずみょうじくんのブレザーの裾を握ってしまった。

「―――どうしたの?」

「なんでも、ないです」

みょうじくんの綺麗な黒い瞳に、僕が映る。たったそれだけのことに、とても安心した。大丈夫、彼はどこにも行かない。彼は、僕を置いて行かない。バスケ部であったいざこざが、僕をいまだ苛んでいた。

まるで、置いてきぼり。
幼い頃、隠れん坊をして、僕を見つけきれなかった友達が先に帰ってしまった、あの時みたいな。心にぽっかりと大きな穴があいたような、あの感覚。
才能を開花させた仲間たちとするバスケは、あの感覚に似ていた。あの感覚を、僕はとても嫌悪し、恐れていたのだ。

「どうして、薔薇だったんですか」

固まる指先に必死に言い聞かせて、みょうじくんの裾を離した。乾燥する喉を潤すように唾を飲み込んで、問う。立ち入り禁止の場所に足を踏み入れたような錯覚。僕にとって良くないものがその先にあるような気がしたけれど、疑問は僕の意識の外で、音になっていた。

「Under the rose……よりは、アナクレオン、かな」

「え?」

「ごめんね、おれにもよくわからない。ただ、この花を育てたかったんだ。多分、昇華したかったんだと思う。綺麗に咲いて、散る様を、見届けたかった」

みょうじくんの視線が、僕から離れて花へと向かう。胸が苦しかった。
Under the roseの意味は知っていた。秘密は薔薇の下に。みょうじくんには、秘密がある。僕の知らない、彼の秘密。そう、僕は彼のことをほとんど知らない。知らないのだ。

「黒子くんに立ち会ってもらえてよかったのかもしれないね」

優しく、優しく。労るように、みょうじくんは花を植え替えてた。根を傷めないように、掘った穴に柔らかく土を盛って、膝ほどまで伸びた花が倒れないように土を手のひらで押して固めて、支え棒を寄り添うように土に刺して、花と棒を細い緑の縄で結んで。
栄養剤やら何やら、花のためになることを一通り終わらせると、根元の固めたばかりの土に両手をついて、祈るように目を閉じた。

儀式めいたその様子は、どこか神聖で、彼が顔をあげるまで声はかけられなかった。
そのことがどうしてか、すごく悔しかった。



「高校でも、よろしくね」



無事二人して誠凛に受かった。よかったと安堵して、そう笑いあった。合格を担任に告げて、学校を去る準備をしていれば、卒業はすぐそこだった。
卒業式の早朝、みょうじくんはひとりで、植え替えたあの薔薇の前にいた。優しく撫でて、一言何かを告げて、その場を去った。何を告げたのかはわからなかった。

卒業式が終わって、みょうじくんと別れ、誰もいなくなった頃に、僕は先生にお願いして、彼の育てた薔薇を持ち帰らせてもらった。
どうしてか、この花を誰にも渡したくなかった。



「あ、黒子くん」



高校生になった。
残念ながらクラスは違ってしまったけれど、僕とみょうじくんはいつも通りだった。彼が僕を見つけて、声を掛ける。そこから少し会話して、離れる。
図書委員になったことに、多分、意味はなかった。みょうじくんもまた美化委員になっていた。また、紅色の薔薇を育てるのだろうか。

「あいつ、すげぇな」

頼んでもいないのにみょうじくんとの会話が終わるまで待ってていた火神くんが、去っていくみょうじくんの背中を目で追いながら告げる。いつもより短い会話は火神くんのせいなのだと、思わずにはいられなかった。

「何がですか」

「すぐお前のこと見つけてた」

一直線だったぞ、なんて言葉に胸が騒いだけど、何故かは理解できなかった。

教室に戻り、授業を受けて、休み時間。
不意に窓の外に視線をやれば、みょうじくんがいた。次の授業は体育らしい。級友と笑い合う姿をじっと見ていると、視線に気づいたのか、こちらを向いたみょうじくんがひらひらと手を振った。

「どうした、黒子。なんかあんの?」

「どれだけ遠くにいても、群集に紛れていても、たったひとりを見つけ出してしまうのは、どういうことだと思いますか」

手を振り返しながら、背後から声を掛けてきた降旗くんに問えば、どこか挙動不審になりながら答えをくれた。



「そりゃあ……それだけ好きってことなんじゃ、ないの?」



言わせんなよ恥ずかしい、なんて降旗くんの声はどこか遠かった。先生に呼ばれて背を向けたみょうじくんの背中から目が離せなかった。

みょうじくん。
紅色の薔薇の花言葉も、アナクレオンも、僕は調べたんです。
もしかしたら自惚れかもしれないと思いながら、それでも僕は、期待した。
そして。
胸に生まれたこの感情を、自覚した。
もう無視はできない。
この感情に、名前をつけてしまったから。


あの薔薇を誰にも渡したくなかったのは、君が好きだからだ。


「黒子? 大丈夫か、授業始まるけど」

「――――――はい」

「ほんとに? なんか顔赤いぞ?」

「へいき、です」

どうすればいいだろう。花を植え替えていた彼は、咲いて散る様を見たかったといった。
ギリシャの叙情詩人アナクレオンが、2500年前に「バラなる花は恋の花、バラなる花は愛の花、バラなる花は花の女王」と唄った花が咲き、「死ぬほど恋い焦がれています」という花言葉を持つ花の散る様を。
そして、秘密の想いを薔薇の下に埋めたのだ。

けれど彼は変わらず、僕を見つけて、声をかけてくれるから。

例え気づくのが遅くとも、諦めるつもりはない。彼の心が僕から離れていようと、引き戻してみせる。

君が手放したあの薔薇は、僕の部屋で花開いた。
君の想いはいまだ枯れていないのだと、そう告げたらどんな顔をするのだろう。

どこか甘酸っぱい、面映ゆい思いを抱きながら、周りに倣って席についた。
火神くんの後ろの席でよかった。影が薄くて、よかった。
君のことが好きだと叫びだしたい、そんな顔を、誰にも見られないでよかった。

こんな顔、みょうじくん、君にしか見せられない。





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