部誌1 | ナノ





「資料は持ってきたか」
背の低い男が問った。それにドミニクは震えながらそれより、と切り返す。ドミニクがフードを外した。写真で見た時よりも数段やつれているとクルトは思った。無理もないだろう。娘の心配も有るだろうが、彼は自分たち機密部が追いかけて来ることを知っていたはずだ。
対する男はフードを取らない。目元が陰となって顔の判別が難しいが、かなり幼いように見えた。
「む、娘は、」
「解放してやる。受け取ってからだ」
男の声は上下しない。すべての感情を削ぎ落しただけではなく、無理矢理にイントネーションを消したような声は、聞き取りづらくもあった。
ドミニクが震えている。この緊張感にのまれているのと、もう一つ。男の後ろには黒い獣が控えていた。人の三倍の体重はあろうか、という大きな体躯の獣は大きな牙をむき出しにしてドミニクを威嚇する。
彼は生粋の研究者らしいから、戦いの心得はないのだろう。
顔全体を見ずともわかることがある。相手の背の低い男は、マニエロ本人ではなかった。それに、娘のカルラを連れていない。確実にクルトが賭けに負けた形だった。このままだと、デレクとクルトはドミニクを確保して、カルラを見捨てる形で中央に帰ることになる。監禁場所だと思われるアジトの位置もわかっているというのに。
資料でしか見たことのない人間だったが、気が進まなかった。
男とドミニクの会話を物陰で聞きながら、ぐっとクルトは唇を噛み締めた。
「行ってこい」
極力声を落として囁かれた声に、はっとクルトは意識を取り戻す。金色の目がクルトを見ていた。
「温情じゃない。マニエロを押さえて来い」
チャンスをやる、と暗に言っているのだとクルトは分かった。この男の声には感情がない、と思っていた。だけれども、向こうで話している男よりずっと人間的な声だと今やっと思った。
「ひとつ、忠告だ」
今までと変わらない鋭い目で、デレクは言う。
「絶対に気を許すな。誰にでも、だ」
それにクルトは深く頷く。もう一度、クルトの様子を眺めてから、デレクが壁の向こう側へ意識を戻した。それを行って来い、の合図だとクルトは認識した。


アジトに入った瞬間、空気が変わった。住みやすく温度管理された空間になった。ここには、環境管理の魔法がかけられている。あの、背の低い男の魔法だろうか、と頭の隅で考えながら周囲に気を配り、武器である魔法陣の刻まれた剣に手をかけた。陣が無くても魔法の発動は可能なのだが、戦闘で使うような魔法は精度とともにスピードを問われることが多い為殆んどすべての戦闘を学んだ魔法使いはそうしている。そう、学校で学ぶからというのも大きい。
クルトは別に特に傭兵になるつもりはなかったが、戦闘の訓練に出ていて、その中で好成績を収めていたので、魔法を使わない一般兵はクルトの敵ではない。銃火器をつかわれたとしても、それを打ち消す術は心得ていた。
しかし、アジト内部には盗賊団と言って予想するような武装した、見張りとかそういった人の気配はなかった。警備もない。人も居ない。ここは、何か違う所だったのか。そう思って角を曲がった時、クルトは息を飲んだ。
真っ赤な薔薇が咲いていた。
此処へ来て、これほどの緑を見たことがあっただろうか。
生い茂る緑は、この街に不釣合いだった。そしてそこに咲く赤く繊細な花弁を持つ花はなおさらに。
大きな木に不釣り合いな程にたくさんの花を咲かせる木は明らかに魔法による操作が使われているものだとわかる。
濃厚な花の芳香にクルトは反射的に息を止めた。
「無粋だな」
掛けられた声にぎょっとして辺りを見回すと、物陰に男がひとり、籐の椅子に座っていた。大柄な、褐色の肌の中年の男。そのシルエットに見覚えがあった。
「……マニエロ、」
「これほどの素晴らしい花を見たときは、その芳香を楽しむべきだと俺は思うな」
「無粋で結構っす」
強い匂いは、幻術に人をかけやすくする効果がある。それを多く吸い込むことは戦いにとって不利だった。
マニエロはクルトの返答を鼻で笑って、肘掛けに両の手を乗せて腹の上で手を組んだ。余裕に見えるその動作がクルトには不可解に見えた。
「カルラ・ヴィンケルは、何処にいる」
ニヤニヤと無精髭に嫌な笑みを浮かべるマニエロには何か勝算があるのか。向こうの状況を把握してないにしろ、その余裕は不可解だった。
まず、マニエロは魔術に通じていないはずだった。「街」に関わりがあった、という事実はあるが、彼自信は魔法使いではない。
「カルラなら、隣の部屋で寝ている」
「何をした」
「なぁに、寝ているだけさ。極々平凡で、自然な睡眠だ」
男に気を払いながら、クルトは隣の部屋に移動する。確かに隣の部屋に睡眠を取る人間の気配がひとつある。その他には居ない。魔法使いがこの場に居ないのなら、巧妙な罠を張ることは不可能なはずだった。
隣の部屋は、リゾートの宿のような装飾の施された部屋だった。大きな天蓋のついたベッドがあって、そこにマキシドレスの女性が寝ていた。それをクルトはカルラ・ヴィンケルだと判別した。
パン、と空間の割れる音がした。
何かが、破裂した。空間が破裂して、その衝撃にクルトが耐える。何が起こったのか。全身を緊張させて気を張る。
目の前を何かが横切った。それをカルラが居る方の部屋へ飛ぶことで回避した刹那、部屋を隔てていた壁が見事に吹き飛んだ。
粉塵がぶわりと舞い上がる。後一瞬でも回避が遅ければ、クルトはあの壁と一緒に粉々になっていただろう。背筋が寒くなると同時に、足元から「危機」というものが這い上がってきて、それがアドレナリンとなって頭に届く。剣を掴んだ手が、冷えていく。
この時はじめてクルトは自分が入ってしまった部署の危険性、と言うのもを身を持って理解した。
「遅かったな、カルツァ」
「そうでもないと、思います」
マニエロの声に答えたのは、あの、平板な声だった。粉塵がざあっと風に流される。熱砂の空気が流れ込んだ。死んでなかったのか、とカルツァと言われた背の低い男がクルトを見ながら言った。傍らで、壁を破壊した獣が唸る。
(デレクは!?)
頭で警鐘が鳴り響く。
目の前で見たことないとは言え、デレクはクルトの先輩だ。その、強さは折り紙つきだ。
それが、負けた、としたら。クルトに勝てるはずがない。
カルラを連れて、逃げられるか。頭の中で算段を繰り返す。どうすればいい、どうすればいい、背中を冷たい汗が伝う。
「資料は?」
「貴方を優先しました」
「こいつらがなんだかわかるか?」
「機密部です」
「なるほど」
マニエロはクルトを上から下まで見て、立ち上がりながら新人か、と言った。
「さっさと侵入者を片付けて、やる事やってこい。簡単だろう」
マニエロが言う。それにカルツァは、いえ、と一言答えた。
カルツァが右腕を構える。クルトは守備の姿勢をとった。相手が、何を使うか分からないときに魔法で打ち消そうとするのは博打に近い。物理的に避けるのが正しい。
ドン、という破裂音がしたのは、クルトの後ろ側だった。カルツァの攻撃だけを警戒していたクルトは動くことができない。
カルツァが守備の魔法を展開する。そこに青い炎の塊がつっこんで弾けた。その威力に後ずさりしながら、クルトはその魔法を放った魔法使いを振り返った。
「こっちが厄介ですから、簡単ではありません」
青い炎を防ぎ切ったカルツァが平板な声で呟くように言って、それに目を細めたマニエロがなるほ、とうすく笑った。
塀を破って現れたのは、デレクだった。暑苦しそうな黒いシャツは砂埃を被ってはいるが破れている箇所はない。彼が無事だったことに胸を撫で下ろしつつ、クルトはカルラの傍へ寄った。
「死んだのかと思いましたっす」
「お前の基準で物事をはかるな」
きゅっと眉間に皺を寄せて、クルトとカルラを見たデレクは、それか、とつぶやいて、口径の大きな銃を構えた。
「言ったことは覚えてるな」
「気を許すな、っすか」
「そうだ」
黒い獣が、低く構えた。それが飛び出したのと、デレクが発砲したのはほぼ同時だった。リボルバーが回転する。撃ちだされた炎の塊が獣を掠めて、壁を破壊する。デレクの教えに従い、クルトは剣の柄を掴んだままでその様子を見ながら、カルラの肩を揺らした。
あれほどの騒動の中、眠り続けているというのはやはり何かされているのだろうか。
彼女を抱き起こそうとして、剣の柄から手を離す。
「馬鹿ッ、」
デレクが叫んだ。近くで魔法の発動があったということはわかった。ベッドが、青く発光している。
肩を強くつかまれ、引き剥がされ、突き飛ばされる。
白いシーツが高い音を立てて割かれた。これは絹だったのだ、とクルトは頭の隅で思った。
緑が、視界を覆う。デレクの拳銃が、落ちた。
広くなった視界で、デレクの黒い上半身を緑が絡めとるのと、獣に青い炎の銃弾があたったのが見えた。

「……狙ったほうじゃなかったけど、儲けものね」
淡い茶色の長い髪を揺らして、カルラが言った。緑は、茨だった。
マキシドレスの女性は憂鬱そうに座り直して、デレクを飲み込んだ植物を愛でる。
「アンタの奴隷はまだ、使える?」
その視線の先にあるのは、黒い獣だった。奴隷、その言葉を反芻する。酷い痛手を受けたはずのそれは、腹の辺りから血を流し、そして、炎に焼かれた毛がなくなっている。
毛のなくなった肌に、何かの術式が刻まれていた。
獣は、悲鳴を上げずに、傷なんて受けていないかのように立ち上がった。
「問題ない」
カルツァが答えた。アレは、クルトの知っている調教を受けた獣ではない、とクルトは悟る。その頭にマーケットで見たハチクネコが浮かぶ。
「……禁呪……、」
「あら、よく知ってるわね」
私、カルツァに聞くまで知らなかったのに、とカルラが言った。立ち上がって、クルトはカルラから距離をとって剣を抜いた。
獣が、低い姿勢で構えるのと、カルラを同時に視界に入れる。
カルツァは、あの獣を操り、獣の周囲に防御陣を形成することによって戦う。しかし、カルツァは獣の周囲と、自分の周囲に同時に防除の術を張ることが出来ないらしく、デレクは同時に獣と本体を攻撃することによって、獣に一つ、銃弾を撃ち込んだ。
しかし、クルトの武器は剣だ。デレクのような戦い方は出来ない。それに、カルラの援護射撃があるかもしれない。
どうする、
ジリジリと、汗が流れ出ていく。その時、クルトは、デレクの足が微かに動いたのを見た。
「クソが、」
静かな怒りをたたえた声がする。
青い炎が立ち上がって、茨を燃やし尽くす。渦巻く熱気がクルトの鼻先まで伸びてきた。その中から出てきたデレクは、茨で出来た切り傷だらけで、ボロボロのシャツの残骸を纏わせていた。
煤にまみれた頬を伝う自分の血液を乱暴にぬぐい取る。金の虹彩が輝いた。
ガウン、という発砲音と共に、カルラが悲鳴を上げる。デレクが彼女の足を撃ちぬいたのだ。
「巫山戯たマネしやがって」
ざり、と瓦礫を踏む音がして、デレクが、落とした方の拳銃を拾う。白い瓦礫の上にデレクの血が落ちた。その時、クルトはデレクの背中に、刺青のようなものが刻まれているのを見ることが出来た。
「いやああっ!!助けて、助けて、お願い!マニエロ!!死んじゃう!!痛い!痛い!!」
カルラが悲鳴を上げて、マニエロを呼ぶ。それの後頭部をデレクは銃把で殴りつけて彼女を黙らせた。
「……容赦ねぇな。流石、機密部」
「お褒めに預かり光栄至極ってな」
「褒めてねぇよ……いい女だったってのによ」
「死にはしないぜ」
「俺は、傷モノはシュミじゃないんだ」
マニエロが笑った。デレクが、端切れになった、シャツを身体から剥ぎ取る。そうしたら、その身体の異様さがわかる。背面にあった刺青は、腕、更には脇から胸にまで伸びている。
どんな模様をしているのか、血と煤に濡れ、更に暗いせいで此処からは全体図はわからなかったが、その模様に既視感を覚えた。
「くっ……、は、はははは!」
カルツァが狂ったように笑い出す。それは奇妙な光景だった。歪んだ感情が吐露される。笑いながら、カルツァが口を開く。
「お前、それ、奴隷印じゃねぇかよ!」
爛々と見開かれた目で、さも面白い、という嘲りを含んだ笑いをたたえて、カルツァはデレクを指さした。
奴隷。そうだ、さっき、あの、獣に刻まれていた禁呪の、
耳元に、ハチクネコのところで、「禁呪だ」とつぶやいたデレクの声が蘇る。
「うっせぇな」
吐き捨てるようにデレクが言った。
獣が跳びかかる。それにデレクが二丁の拳銃を構える。
瓦礫の間から射し込んだ光でクルトはデレクの背中を一瞬、はっきり見ることができた。
デレクの背中についていたのは、大輪の薔薇の花のような刺青だった。




刻印を刻まれ、身体の一切の自由を奪われても、思考の自由は奪われやしない。
それが一番残酷なことなのだとデレクは思っていた。
所有物として、扱われることに反抗心だけをつのらせていたのを覚えている。
突然、それが終わった時に、彼の所有者が死んだ時デレクはどうしていいのかわからなかったことを、覚えている。
彼の最後の言葉はこうだった。
『お前は永遠に俺のものだよ』
狂った言葉だと、デレクは思う。そのことに縛られながら生きていくのだとデレクは思っていた。彼女に会うまでは。
彼女とは、デレクを学校に入れてくれた人間のことだった。彼女はこういった。
『あなたの永遠の所有者は死んだんでしょ。なら、あなたが天国に行くまで、お前は自由じゃないの』
適当な発言だと思ったが、デレクはそれに随分救われたと思っている。
綺麗な人だった。彼女が、デレクの刺青を素敵じゃない、と言った。それだけで、すべてが報われる気がした。




勝負はあっさりとついた。
獣は何発も銃弾を受けて動かなくなった。獣という武器を失くしたカルツァを、デレクが近接戦闘で殺した。
それを、クルトはただ見ていた。

デレクが、マニエロの額に銃口を当てた。
「おとなしく、着いてきて貰おうか」
「その義理はないな」
マニエロが笑う。それに、デレクはため息を吐いた。
「気づいてたんだろ、カルラが全部仕組んだってことは」
「さあな」
デレクが拳銃を足に付いたホルダーに仕舞った。そこで、クルトは自分が抜き身の剣を構えたままで突っ立っていた事に気づいた。慌てて、その剣を鞘に納めてカルラの止血をするために駆け寄る。
ぐったりとしたカルラの止血をする。
デレクが、終わったら行くぞ、と気だるそうに言った。それにマニエロが楽しそうにそのままで行く気か?肌が焼けるぞ、と笑う。
「俺の服を貸してやるよ」
「何のつもりだ」
「別になんでもねぇよ」
そう言ってマニエロは自分が着ていた頭からすっぽり被るタイプの布をデレクに投げて寄越した。それを気味の悪そうに見ていたデレクだったが舌打ちを一つしてそれを羽織って、クルトの傍にやって来る。
「先輩、それって、」
「ただの刺青だ」
「でも、」
「何か言う前に、少しは役にたってもらいたいな」
デレクが顔を顰める。今回、クルトはデレクの役に立つどころか、足を引っ張ってばかりだった。
「……俺、ここの部署、向いてないのかもしれないっす」
「かもしれないな」
「普通、否定してくれるんじゃないんですか」
「否定して欲しかったのか」
「……やめられないんっすよね」
「さァ、俺は知らんな」
いつもの調子でデレクは淡々とクルトの質問に答える。自分から発話することはないが、彼はクルトの問にきちんと答えてくれる。
「俺は、辞めた人間がどうなったか、興味が無いからな」
「……そっか、わかんないのか」
返事はなかった。
辞めたい、という願望はあった。だけれども、やめよう、という気はなかった。デレクが怪我をしたのはクルトのせいだ。気を許すな、と忠告されていたにも関わらず、だ。
その彼に、ひとつ、何かを仕事で返したい、と思ったのだ。
それがいつになるかわからないし、その間に本当に戻れなくなるのかもしれなかった。
だけれども、クルトは、続けよう、と思っていた。多分、デレクの秘密を知ってしまった後ろめたさもあったと思う。
「ドミニクは?」
「昏倒させて、結界に封じている。その女と一緒に連れ帰るぞ」
「はい」
カルラの身体を抱える。小柄だがむっちりとした彼女は中々に重かった。その彼女を抱えながら、クルトは庭に咲き誇っていた薔薇の木を見た。
屋内の気温を操る人間がいなくなった今、その薔薇は熱い外気に当てられてみすぼらしく花を落とし始めている。
崩れかけた家の中で、マニエロは、クルトが来た時と同じように籐の椅子に座ってその薔薇を眺めていた。




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