部誌1 | ナノ


薔薇



どうせしようがしまいが変わらないので、姫原頼武はノックもせずに社会科準備室のドアを開けた。いつ来ても棚に入りきらない資料が至るところに散らばっていて汚い。西日の射し込む窓際に書類に紛れてぽつりとプランターが置いてあった。蕾が四つほどついているが、ろくに水をあげていないのだろうか土が乾燥している。その近くにある来客用のソファーも似たような状態だった。本来それは二人掛けのはずなのだが、教科書類が山積みに置かれているせいで一人座ることすら難しそうだ。まぁ、来客が来ることなどほぼない此処にこんなものがあったところで物置にしかならないのだろう。姫原は仕方なく教科書類を端に寄せて座る場所を確保した。そのまま静まり返った室内を見回す。どうやら部屋の主は出掛けているらしい。自然と彼の口から欠伸がもれていた。つまらない授業を一日中聞いているのに疲れたのだろう、段々と彼の瞼が落ちていく。微かに聞こえる金管楽器の音を子守歌にしながら、ついに姫原は完全に瞳を閉じた。





「――はら、姫原」

誰かが姫原の肩を揺すっている。煩わしそうに腕を振り払い、ゆっくりと視線を上げた彼の視界に入ってきたのはへらりと笑う教師だった。ややサイズのあっていないスーツに身をつつみ、ネクタイをだらしなく弛めている。童顔なのか、一見すると姫原と年が変わらなそうに見える。スーツを着ていなければ生徒と間違われてもおかしくないだろう。教師は困ったように頭を掻きながら、口を開いた。

「また来ていたんだな。予め言ってくれれば少しは片付けておいたのに」
「アンタが片付けようがそうじゃなかろうが大して変わらねぇだろ」
「……それもそうだな」

教師はソファーを占領している山積みの教科書を机にのせて、姫原の隣に腰を下ろす。それきり会話はなく、部屋には静寂が訪れた。部活に励む生徒達の声が聞こえる。平和な放課後だ。一月前のあの日も同じように平和な放課後だった。一瞬、姫原の脳裏に地獄が過る。それをかき消すように、やや声を荒げながら言葉を発した。

「なぁ、アンタは――いや、いい」
「ん?何だよ?」
「何でもねぇよ。帰る」
「っと、おいおい」

腰を浮かした姫原の腕を咄嗟に教師が掴む。反動で再びソファーに座ることになった姫原は、じろりと教師を睨み付けた。視線を浴びた教師は、ぱっと手を離し、肩をすくめてみせた。

「睨むなよ、怖いなぁ。そんなだから生徒会長くんに沼田を取られたんじゃないのか」
「なっ……何でお前がそんなこと知ってるんだよ!」
「沼田の天文部に来る頻度が増えたからな、鎌かけたんだが図星だったか。そうかそうか」

にやにや笑いながら、教師は一人頷いている。無性にいらついた姫原は目の前のテーブルを蹴飛ばした。教科書やプリントが床に散らばる。教師は、明日の授業で使うプリントなんだけどなぁ、などとぶつぶつ呟きながらも怒りはせずに、黙々と紙をかき集め始めた。姫原は、ばつが悪いのか苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべたが、無言で眺めているだけだった。ふと、教師がぽつりと床に向けて言葉を漏らす。

「まぁ、無理矢理抱いたところで手に入るわけねぇよな」
「は?」
「あれ、聞こえてたか今の」
「どういう意味だよ」
「あー、だからつまり――恋愛経験が少ないお子様は、色々お勉強したほうがいいぞってアドバイス?」
「へぇ、恋愛経験豊富なアンタが手取り足取り教えてくれるってことか?なぁ先生?」

人を小馬鹿にしたように鼻で笑う姫原を見上げていた教師は、ため息をついてそのまま彼の座るソファーに片手をついた。もう片方の手で姫原の髪を梳きながら、耳元に唇を寄せてそっと囁く。

「沼田のこと、忘れさせてやろうか?」
「は?――っぁ」
「俺、結構お前のこと気に入ってるんだけど。その声とか、そそる」

耳朶を甘噛みし、舌を這わせる。びくりと身体を震わせた姫原の口から上ずった声が漏れた。あの一夜の悪夢と重なる。プランターの蕾が一つ、何かに導かれるように花開いて、真っ赤な薔薇が顔をのぞかせた。拒絶しない姫原に、教師はダメ押しの一言を与える。返事は聞かなくても分かっていた。

「沼田のことも、あの日の悪夢も、何もかも俺が忘れさせてやるからさ――いいよな、姫原」




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