部誌1 | ナノ


薔薇



「ねぇ、葵」
「なんですか」
「薔薇の花を一輪くれないかな」

ベンチに座って俺の作業を眺めていた主の言葉に俺はゆっくりと瞬きをしてから振り返る。
主はいたずらっぽく笑っているだけで、別に何も考えていないらしい。
さて、どの花を渡そうか。

「どうぞ。刺には気をつけてくださいね」
「うん。わかったよ。ありがとう」

俺から薔薇を受け取った主はしばらく、くるくると回しながら薔薇を眺めているだけで、特に何をする様子もなかったから、とりあえず大丈夫だろうと考えて作業に戻る。
主にばかりかまけていたら、すぐに終わるような作業も終わらない。

「あいてっ」
「……はい?」

背中を向けた途端に聞こえたなんとも情けない主の声に振り返れば、主は口元を手で押さえてぷるぷると震えていた。
一体何をしたって言うんですか…!

「葵、いたぁい」
「何したんですか」
「薔薇を咥えたの」
「はい?」
「フラメンコとかで咥えてるでしょ?あれをやってみたかったの」
「えぇっと、刺、取りましたか?」
「え?刺?」

きょとんとする主に、さっきの自分の忠告はなんだったのだろうかと泣きたくなってくる。
頭がいいくせに、こういうことを知らないこの人にほとほと呆れ果てる。
そういう所をほっとけないから、と思ってこの人を主に選んだあの時の自分を褒めるべきか、やめた方がいいと説得すべきか、考えても答えは出ない。

「薔薇はですね、そういう用途に用いるときはだいたい刺を取るんです。ですが、何に使うか予想ができなかったので、取り敢えず私はそのまま渡してしまいました。そこは私の落ち度ですね。申し訳ありません」
「あぁ、そうだったんだ。ごめんね。葵は悪くないよ。そんなことも知らなかった僕が悪いんだ……あいてっ」

反省しながら薔薇をいじって思いっきり刺を指に刺すとか、なんなんですか!
勘弁してくださいよ…。

「はい、絆創膏です」
「付けてー」
「私、土を触っていたので手が汚いので無理です」
「すぐ付けてー」
「絆創膏ぐらい自分でできますよね?」
「嫌。葵が付けて」

土で汚れた軍手を外し、道具入れに入っていた絆創膏を差し出したら拗ねた表情でそっぽを向かれた。
どこまで子供っぽい人なんだ…。

「……わかりました。手を洗ってきますので少しお待ちください」
「30秒以内ね!」
「さすがに無理です」

一体何歳児なんだ、この主は。
とりあえず本格的に拗ねられてしまう前に戻るに限る。

「お待たせしました」
「遅い!僕が失血死したらどうしてくれるの!」
「……えぇと、それぐらいの出血で失血死するような主とは思っておりませんので」
「あ、そう」

急いで戻って、それでも盛大に拗ねている主の手を取り、絆創膏を指に巻いて差し上げればちょっと満足げに笑われた。
これで機嫌を直してくれれば最高なのだけれど。

「はい。できましたよ」
「ふふ。ありがと、葵」
「どういたしまして」

満足げに絆創膏眺めてるから、よかった…のかな?
どうすればいいんだ。本当に。

「ねぇ、葵」
「何ですか」

差し出された薔薇の花を受け取り、丁寧に刺を取っていく。
こうしておけばもう主が握っても、咥えても大丈夫のはずだから。

「白い薔薇はいいね。とても君らしい」

刺を取り終わった薔薇を差し出しながら主を見れば、にこりと笑って主は薔薇を受け取る。

「ねぇ、君もそう思うでしょう?」

主の舌が薔薇の花びらの上を滑っていき、唇で花びらを挟んで、立ったまま主を見つめる俺を見上げて微笑む。
不意にいつかの情景が脳裏に浮かんで思わず視線をそらして俯く。

「葵」
「は、はい」

いつの間にか立ち上がった主が俺の頬を両手で挟んで自分の方に向かせて微笑んでいる。
あぁ、この目から俺は逃げられはしない。多分、一生。

「夜、全部の仕事が終わったら僕の部屋においで。……そうだね。何か君の好きな花を持って、ね」
「好きな花…ですか」
「うん。必ず持っておいで。いいね?」
「わかりました」
「……あぁ、そうだ。前に頼んだ仕事は終わってるかい?」
「はい。滞りなく」
「うん。じゃあ、それについての報告もその時に聞くことにしよう」
「はい」
「有能なお庭番が居て僕は幸せだよ」
「ありがとうございます」
「うん。じゃあ、後でね」

最後に唇に触れるだけの口付けをして満足げに微笑んで屋敷の中へ入っていってしまった。
本当に困った主だ…。
この前、部屋に呼ばれた時は「好きな菓子を持って来い」と言われ、どこぞに入れられたのは記憶に新しい。その前も、そのまた前も、主は俺が持っていった何かを用いて俺で遊びたがった。
九分九厘、今夜もあの主は自分のどこぞに「一緒に愛でる」と称して突っ込むに決まっている。

「あぁ、本当に」

それを分かっていても、きっと俺は自分の気持ちを込めた花を持って行ってしまうのだから、どうしようもないんだ。




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