部誌1 | ナノ


嘘と本当



登っていくエレベーターの中で、なまえはガラスの反射を利用して自分の姿を写しこんだ。
黒い髪の男が髪型を気にしている。短めの黒髪は大幅に調整する要素は無く、いつもどおり、髪の毛は整っている。くっきりとした眉の下で、黒目がちな目が印象的だと言われる顔は、とびっきり整っているわけでは無いが、それなりに気持ちの良い顔に分類される。黒いジャケットの下にはブランド物のシャツが着てある。タイトなパンツがその男の雰囲気に似合っていると言えるだろう。それなりに自分に似合うもの似合わないものの見分けのつく年頃だ。
その割には、行先々で姿見に夢中になるのは、若い女か自分を勘違いした男のようで、多少滑稽ではあった。
落ち着かない様子をなまえが自嘲気味に笑った時、耳障りの良い電子音がして、エレベーターの扉が開く。
柔らかな光が差し込んでいるかに見える、大きな窓のある部屋になまえはさっさと足を踏み入れた。目当ての彼は、白く大きなソファーに腰をかけていた。観葉植物(ホロかもしれないけれど)の近く、太陽の光の当たるところに座った彼は、あたたかにも、神々しくも見えた。
「槙島さん」
「やぁ」
柔らかな声がかえされた。声と同様に柔らかい笑顔で迎えられて、なまえはそれに営業用と同じ笑顔を返した。どの顔が一番、人のよさそうな顔に見えるかは、知っていた。
色相で管理されるようなこの時代に、作り笑顔は本来必要は無いのだけれど、なまえの生活圏では別だった。
「発注のことで、二、三伺いたいことがありまして」
「うん」
座って、と自分の隣に座るように促した彼に従って、なまえは少しだけ、多めに距離をとって座った。
そして、端末をローテーブルに置いて、プレゼンテーション画面を出して槙島に見せる。
それを槙島が確認しているのを眺めながら、なまえは、目の前にいるもう一人の人間にチラリ、と視線をやる。
義眼だろうか。何処までサイバネ化しているのか、聞いたことはないし興味もないが、凄腕ハッカーだという男、チェ・グソンが気味の悪い笑みを浮かべていた。
それをなるべく視界に入れないようにしながら、なまえは槙島の動作を伺う。
頭の回転がとても早い彼は、さっさとその資料に目を通すと、なまえに的確な指示を出す。
「わかりました」
少ない情報量とは言い難い指示になまえは簡潔な返事をする。
「メモは取らなくていいの?」
チェ・グソンが横から出した言葉に、なまえは少し眉を顰めてから、一旦口を閉じた。少しだけ間を置いてから、なまえは口を開く。
「必要ありませんから」
「ふーん」
変わらない笑みを浮かべる彼をチラリと見てから、なまえは槙島に見せていた端末をポケットにしまって、失礼します、と言いながら立ち上がる。
「なまえ」
槙島に名前を呼ばれてなまえは表情を作って振り返る。振り返る一瞬であっても表情が崩れるのがイヤだったからだ。
目があって、ふっと、いたずらのっぽく笑った槙島に、なまえの心臓が跳ねた。
鼓動が、耳のそばで聞こえた。
チェ・グソンが居る。
思考が空転する。此処で、一歩下がらなくては。
槙島が、ゆっくりとした動作で立ち上がる。その動きにから目が離せなくなった。なまえは動けない。
遠くから見ても彼の顔は整っているが、近くで見ると思っている以上に形の良い唇に視線を奪われる。体温を感じ取れるような距離に心臓が高鳴った。
首から上がぼんやりと熱を持って、目頭が熱くなる。
にわかに、そこに憎たらしいチェ・グソンがいるという事も、ガラス張りの部屋だということも頭から吹き飛んだ。
なまえの合意を確かめるようにして吐息が吹きかけられる。震えるような歓喜が羞恥や自負を吹き飛ばして背骨を駆け抜けて唇から熱い喘ぎ声となって漏れた。
「ぁ、」
槙島の唇は冷たかった。体温が低いのだろうか。いや、自分の体温が異常なのか。合わさった唇から濡れた粘膜が侵入する。
冷たい舌。それが、薄く開いた歯列を割ってなまえの熱い腔内を探る。
触れた場所から、淡い電流のようなしびれが走る。背筋を駆け抜ける甘い焦燥に似た熱量に力が抜けていく。
それを予測していた槙島が、なまえの腰を抱き寄せる。ねっとりとした手つきで腰を撫ぜられて、ビクリ、と身体が震える。
淫猥な水音がする。ぬちゃり、というその音が鼓膜からなまえの意識を犯していく。
舌を絡めとり、吸われると脊椎を流れる痺れが明確な快楽へと変わる。
「……ふぁ、」
唇と唇の間から、甘い声が漏れた。力が抜けていく手で槙島のシャツを掴む。自分よりも華奢に見えるのに、厚みのある筋肉がついた腕。湿気を含んだその温もりをてのひらで弄る。
指先に、心臓を握り締めるような痛みを伴う痺れが伝わって、堪らなくなる。

なまえは、槙島にキス一つで溶かされてしまう。

角度を変え、口内を貪られる度に全身の力を奪われ、槙島に誘われるままに彼をソファーに押し倒すように槙島の膝を跨ぎ、全身を彼にあずける格好となる。

熱くなった下腹部を擦り寄せてキスを強請るなまえを槙島は指一つで遮って笑う。
「ま、きしま、さ」
「いいの?」
槙島の問の意味をなまえは靄のかかった頭で考え、数秒、チェ・グソンの存在を思い出した。ハッと、身体を捩ろうとするなまえの首を捕まえて、槙島は再び、深い口付けをする。
ぞくぞく、と背中を駆け抜けていくものを、堪えようとしたなまえを槙島は拒む。
「ひぁ…ッ」
兆した股間を刺激されてなまえは悲鳴のような声を上げた。
「席、外しましょうか」
チェ・グソンの声がする。
「そこで見ていきなよ」
「……そういう趣味ですか?」
「うん。なまえは、君のことが嫌いらしいから」
「趣味が悪い」
首筋を舐め上げられて、耳の裏を吸われる。声が出そうになるのを堪えて、なまえは槙島にしがみついた。かちゃかちゃ、とベルトの外される音がする。
耳の中に、濡れた舌を差し込まれて、震える。
「腰、上げて」
声が吹き込まれる。官能を刺激する声。それに逆らうようになまえは槙島の腕をつかむ。
「上げて」
優しくささやかれる声が、彼が彼の子飼いを見捨てるときの声に被った。
見捨てられるのではないか、と、いう考えが頭をよぎる。沸騰しそうなほどに沸き立っていた血が、瞬間冷却されていくような寒気がした。
「……っ」
ゆっくりと、膝立ちをするように、腰を上げる。
手早く、確実にズボンと一緒に下着を下げられ、下半身がむき出しになる。適温にされているはずでも、衣服に包まれているのと外気に晒されているのでは随分と違う。
ひんやりとした感触になまえは息を飲んだ。
「萎えてるね。そんなに彼が嫌いかい?」
「そんなに嫌われていたとは知りませんでした」
「僕もだよ」
槙島がなまえの性器を手のひらに包みながら笑う。俯いてなまえはそれに耐える。本当は、そうではない、となまえは言う気はなかった。それを言うと、彼に飽きられてしまう、そんな気がしていた。
尻の窄まり、自分からは濡れることのない器官、そこに指が押し込まれる。槙島は、そこを慣らすことをしない。
今回も痛いのだ、と思いながらもなまえは行為を拒まない。
慣らすでも無く、こじ開けるようにして二本の指を入れながら、槙島はチェ・グソンに見えるようにそこを開いた。
それと同時に、性器を丁寧に愛撫する。まるで、後ろと前を別の人間に触られているような気さえする。
「……っ、」
かたく閉ざした唇を舐められて、開くことを強請られると、なまえはそれに逆らわずには居られない。浅く、舌を交わらせる。
「ふ……ア、……あッ」
口を開いたことで、こらえ切れない声が漏れる。堪らなくなって、性器を槙島の手に擦りつけるように腰が揺らめきだす。
「ふぁ…あぁ、ああっ……」
はしたない声。とんでもないものを、見られている。槙島に見せるならともかくとして、チェ・グソンが見ているにも関わらず。
「可愛いだろ。君も、どうだい?」
「やめておきますよ。下手に触って噛まれたらことですから」
「そう」
楽しいのに、と槙島は言って、なまえの唇に柔らかく口吻た。
「これでも、僕は君を愛してるんだよ」
声を落として、うつろになりかけたなまえの目を覗きこんで槙島は言った。綺麗な琥珀の目が、細められて、それをぼんやりと眺めながら、なまえは嘘だと思った。
彼は、誰もを愛している事はあっても、誰か一人に、こんな風にささやくような感情を持っていない。持っていないはずなのだ。
「――ァッ!」
熱い。体内に侵入する欲望の存在を感じながら身体を裂かれるような痛みを、全身を強張らせて耐える。この時ばかりは、さすがの槙島も眉を寄せて苦しそうな顔をする。
それが、唯一、なまえが感じられる槙島の愛だった。
錯覚でも、良い、と、痛みに耐えながら思う。
「まきしま、さ」
キスを強請る。これを、拒まれたことはない。額に汗を浮かべた槙島は険しい顔をふっと緩めて笑って、なまえの唇に唇を重ねた。

彼の愛が、本物であろうとそうでなかろうと、どちらでもいいのだと、思うのだ。
彼に見捨てられるまでは。




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