嘘と本当
「おかえり、さっちゃん」
「ん」
「お風呂沸かしてあるから入っておいで」
「ん」
ぐしょぐしょのまんまでさっちゃんが帰ってきた。
いつもよりも反応は少なくて、そんなに大変な任務だったのかな、ってちょっとだけ心配になる。
様子見で一緒に入った方がいいかな。一人でも大丈夫かな。
「さっちゃん、一緒にお風呂入ってあげる」
「ん」
「とりあえず、服、脱ごうね」
「ん」
ぼんやりと脱衣所に立っていたさっちゃんにいつものことだけどちょっとだけ悲しくなりながら、あまりさっちゃんを刺激しないように注意しながら服を脱がす。
ただ、さっちゃんはその間もぼんやり立っているだけで、僕が何か指示をすればそれに従ってくれるけど、ただそれだけ。
お風呂に入ってもそんな感じ。
「さっちゃん、シャンプーが目に入っちゃうから、目を閉じておこうね」
「ん」
さっちゃんの少し傷んだ髪を丁寧にシャンプーして、丁寧にトリートメントをする。
髪を伸ばすなら、余計にちゃんとお手入れしてね、っていつも言うのに、さっちゃんはいつも、忙しいから、ってちゃんとお手入れしない。
なんだかんだ言って、さっちゃんは俺よりもずぼらだ。
「はい。終わり。目、開けていいよ」
「ん」
洗い終わったさっちゃんの髪をまとめてやり、ぽんと肩を叩く。そうするとゆっくりと目を開け、さっちゃんは一回瞬きをした。
「次は身体、洗おっか」
「ん」
ボディソープを泡立てて、さっちゃんをモコモコにしてしまう。
さっちゃんがこんな風になっている時だけの、俺の楽しみ。
少しだけ虚ろなさっちゃんの目と相まって、いつも以上にお人形さんみたいに綺麗なさっちゃんに俺は満足して泡を流す。
「さっちゃん、湯船に入るよ」
「ん」
のろのろと風呂椅子から立ち上がったさっちゃんの手を取り、もう一度全身にお湯をかけてやってからゆっくり湯船に入れてあげる。
二人で入っても余裕な湯船に一緒に入って、後ろからさっちゃんを抱えるようにして支えてあげる。
こうして少しすれば、さっちゃんはいつも通りのさっちゃんに戻り始める。
「しろちゃん」
「ん?」
ぱしゃんとお湯が小さく音を立てて揺れ、さっちゃんのかすれた声がする。
こういう時は黙ってさっちゃんの話を聞いてあげるのが俺の役目だ。
「僕、彼に嘘ついてるのかな」
「どうしてそう思うの?」
「だって、僕は、こんなことして、でも、それを彼に教えずにいて、それで、」
さっちゃんの白い肩が震えている。
何でもかんでも全部自分で背負って、全部それを片付けようとしちゃうのがさっちゃんの悪いところだ。
でも、今はいろいろ言いたいのを我慢して、さっちゃんが全部話しちゃうのを待ってる。途中で口を挟むのは御法度だ。
いいんだよ、さっちゃん。ここなら、俺しか聞いてないから。
「ねぇ、さっちゃん」
さっちゃんが沈黙したのを、全部吐き出したのを確認して口を開く。
「別に、全部彼に話す必要はないんじゃないかな」
「どうして?」
「彼は『全部話してくれなくてもいい。僕の知らない所で何をしていても、どんな君でも、僕は君が大好きだよ』って言ってくれてるんでしょう?」
「うん」
「で、別に嘘をついてはないんでしょ?」
「……」
「教えたくない本当を話してないだけ。変な嘘でごまかしてはないでしょ?」
「うん」
「だったらいいじゃない。君は嘘つきじゃないよ」
ぎゅっとさっちゃんを抱きしめる。
こんな風に不安げに揺れているさっちゃんがとっても愛おしい。
俺がとっくに捨ててしまった何かをまだ拾い集めて震えてるさっちゃんがとっても愛おしい。
「嘘をつくのと、本当のことを話さないのは、全然違うことだよ」
「そうかな」
「嘘ついて、それをごまかすためにまた嘘をついて。どこかで嘘が破綻して、そこからぼろぼろバレるよりよくない?」
「本当のことを隠してても同じじゃない?」
「でもさ、教えてもらってたことが嘘だった、っていうよりよくない?」
「そんなものかなぁ」
「そんなもんだよ」
笑ってみせた俺につられるようにさっちゃんも笑う。
そうだよ。君はそうやって笑ってるのが似合うんだ。
「俺なんか嘘ついてないのに、あっちが勝手に俺のこと妖精さんか何かだと思ってるんだからな」
「あー……彼、びっくりするぐらい純粋そう、というか、天然そうだもんねぇ」
「この前なんか『君が家事をしているところを目撃しまったら、もう君は来てくれなさそうだ』とかなんとか言い出すし。俺は靴屋でこっそり働いてた小人か何かか!ていうか、小人には何か与えなきゃいいだけだろ!」
「しろちゃん、いつも彼にいろいろもらってるんじゃなかったっけ?」
「……俺は小人じゃねぇからいいんだよ」
楽しそうにくすくすと笑うさっちゃんに、もう大丈夫かな、って思う。
「さっちゃん」
「ん?」
「そろそろ出ようか。のぼせちゃう」
「ん」
さっきまでと同じ返事だけど全然違う。
うん。きっと今日はもう大丈夫だ。
「ねぇ、しろちゃん」
「なに?」
「しろちゃんはずっとこの部屋、契約したまんまにしとくの」
お風呂から出て、さっちゃんにホットミルクを渡すと、さっちゃんは息を吹きかけて冷ましながら上目遣いで俺を見た。
「だって、さっちゃんがぼーっとしてる時ってだいたいここに来ちゃうでしょ?」
「うん」
「その時に、ほかの人がこの部屋に居たら……困るでしょ?」
「確かに」
「だからだよ」
「そっか…」
本当はちょっと嘘。
この場所がいつまでもさっちゃんにとっての帰る場所で、その場所で待っているのが俺でありたい。
いつか君にバレて、君に軽蔑されてもいい。
それ以上に、君の中に、この場所と俺が残っていればいいと思っている俺の醜い独占欲。
ただ、それだけなんだよ、さっちゃん。
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