部誌1 | ナノ


嘘と本当



「すみません狡噛さん、みょうじさん知りませんか。」

背後から少し遠慮がちにかけられた声に振り返ると、視線よりも随分と下に見慣れた小さなおかっぱ頭がちらつき、男は肩にかけたタオルで流れ落ちながら唇をなぞる汗を拭った。

【 嘘と本当 】

 近づく気配は感じていたが別段害意もなく、最近では傍に居る事が当たり前になりつつあったそれに警戒を払う事を忘れていた自身に内心苦笑いを零しながら、それが表に出る事はなく。
1人で使うには随分と広いスパーリングのための部屋で汗を流していた背中は、ベンチに置かれた中身が半分だけ残ったままの透明なペットボトルを一息に煽った。

「…なんで俺に聞く」

 特に他意のない返答。新しい主人兼相棒となった常守の口にするみょうじとは狡噛が監視官だった頃からその下で働く執行官であり、今現在では同じ職務を全うする仲間である。
 確かに時間だけ見れば長い付き合いではあるがみょうじという男は大柄な見た目とは裏腹に酷く間の抜けた人物であり、そこが妙に女性職員達の気を引くらしく最近では同じ執行官である狡噛達よりも監視官の常守や分析官達と時間を過ごす事の方が多い。
 日に片手で数える程しか顔を合わせない自分になぜ聞きに来たのかと問い返すのも面倒で、頭の中で払った思考の代わりに狡噛は手にしたペットボトルを握り潰した。

「いえ…狡噛さん…みょうじさんと仲が良いみたいだから…」
「…そう見えるか?」

 間髪入れずに返ってきた返事の早さに常守は目を丸くし、咎められているのかとも思ったがベンチに腰を下ろし視線を向けてくる相手の表情に不快そうな負の色は見当たらず純粋に聞き返されているだけなのだろうかと小さく首を縦に振った。
 頭の中で思い返してみても、赤味がかった長い髪の尾尻を振りながら歩くスーツの後ろ姿には必ずその隣に黒髪の短髪と煙草の紫煙が漂っていたような気がする。

「…さぁな?」

 そう言って肩を竦めて立ち上がった姿にどちらとも取れぬ返答の答えを問い返そうと開いた口から言葉が漏れる事はなく、二人の間を遮ったのは広い室内にやけに響く電子音でありその相手があの堅物監視官であると応答した常守の言葉で察した狡噛は自分にも関係がある事かとしばらくその姿を見守っていたが通信を終えると頭を下げて小走りに走り去っていく後ろ姿にそれが杞憂だと知る。
 ただ、小さなその後ろ姿を見送る瞳に物言わぬ影が一瞬だけ差した事を知る者はいない。

 小さな上司が走り去って数分もしないうちに、広い室内の奥に備え付けられたロッカールームの扉が思いのほか静かに開きそこから姿を現した人物に狡噛は視線を向けた。

「…ふぁ……」

 開いた扉をくぐる様にして姿を現した男が大きく欠伸を漏らすと、長く赤茶けたその毛先が襟元の開いた白いシャツの布地を滑って流れる。
 半分ほどがまだ閉じたままの瞼を折り曲げた指で擦る仕草は、頭身が180を超えた成人過ぎの男とはとても思えぬ幼さを滲ませている事が不思議だ。
 焦点のぼけた瞳がゆっくりと点を結び己の姿を認識すると、まるで咎めるように繰り返す欠伸に狡噛は小さく苦笑いを漏らした。

「常守が探してたぞ」

 思わぬ人物の言葉にまた目尻を擦るみょうじが不満げな声を漏らす。

「えぇ……しんちゃんなんで起こしてくれなかったの…」
「お前一度寝ると自力で起きない限り、起きないだろ」

 強引に起こそうとして何度物や服を駄目にされた事かと、女々しい台詞を零したくもなる程にこの男の寝起きというのは最悪なものだがそれを口にするほど狡噛は子供ではなかった。

「うぇ……探しに行くのめんどくさいんですけど…」
「知るか」

 自分より背丈も体格もある男が駄々をこねた所で可愛げのかの字もないぞと、首にかけたタオルを投げてやればぺそりと頭に乗ったそれで顔を拭こうとし小さく汗臭い…と零す姿に口角を上げるだけの笑いを返した。
 のそのそと冬眠から起きたばかりの熊にも似た緩慢な動きでベンチに置いてある新品のタオルを手に取ると、顔でも洗いに行くのだろうか出てきた扉に戻っていく姿が横切る時、視界の端に掠めたそれに狡噛は思わず声をかける。

「おい」

 短く舌に乗せた言葉に未だ眠気が完全に覚めてはいないぼんやりとした顔がこちらを向く、その顎の下、思いのほか白く隆起した喉仏を通り鎖骨の窪みに伸びていく首筋の途中。
 赤というよりはほとんど鬱血に近い色に変色した丸い皮膚の痕を示すように、狡噛は己の首筋の同じところを軽く人差し指で叩いて示した。

「ついてるぞ」

 示されたそこを確かめるようにのろのろと伸ばした指先で表面を撫で、短い爪で掻くみょうじの仕草に虫刺されで誤魔化せる色でもないなとどうでもいい思考が差し込む。

「もー…しんちゃんのせいでしょー…」

 不満そうに唇を尖らせながら年上とは思えないへそを曲げた子供の様な口調でぶつぶつと咎める声に、今度こそ小さい含み笑いを零した狡噛を恨めしそうな瞳で横目に見ながら、みょうじは薄暗い部屋の扉をくぐった。




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