雪解けのキス何も無い、ただ氷だけが世界を覆い尽くす。 その凍てつく世界に、たった一人立ち尽くしている自分。 誰もいない、自分以外、誰も存在してはいない… 「…松本…雛森っ……」 ――…姫……っ!! 最愛、の人の名を呼ぶ。 笑い返して欲しかった、いつものように。 「くそっ……、どこに…どこにいるんだよッ!!!」 ――どれだけ永い夢を見ていたのだろう。 気が付くと、昇っていた月は沈み、真っ暗な静寂という名の闇が俺を包み込んでいた。 「そうか、夢か…。」 日番谷は額の汗を拭うと、気怠さの残る上半身を持ち上げた。 布団から伝わる温もりが、あの世界の冷たさを物語る。 ただの夢なのに、何故だかやけに現実味があって。 夢を見ても、いつもはうろ覚えのはずなのにどうして、こんなにも鮮明に思い出せるのだろうか……。 「俺も、疲れてんだな」 そう吐き捨てると、日番谷は溜め息を吐いた。 深くは考えないほうがいい、そう思ったから。 「日番谷…隊長…?」 ふいに、廊下の方から声がした。 その聞き慣れた声に彼は振り向く。 「姫か、…どうした?」 あの夢を見た後だ。 どうしても不安な想いが渦を巻く。 「え、いや…その……」 彼女は俯くと、恥ずかしそうに笑った。 急に心配になったんです、と。 日番谷は少し驚いたような顔をすると、首を傾げた。 「何を心配する必要があんだよ?」 彼が怪訝そうな顔でそう言うと、今度は逆に、姫が驚いた顔をした。 「だって隊長、うなされてたんですよ?」 知らなかった、そこまで酷かったのか……。 日番谷は布団を剥ぐと、ゆっくりと立ち上がった。 姫に心配を掛けさせる訳にはいかないと、そう思った。 「悪い、何でもねえよ。少し夢見が悪かっただけだ」 「で、でも…!随分と苦しそうだったし…」 姫は苦い顔をして、日番谷を見た。 何を見たのか、彼女はきっと問うていたのだろう。 「俺は大丈夫だから。姫には、関係ねえよ」 これ以上、彼女を心配させたくはなかった。 日番谷は敢えて冷たい態度を取り、入り口に立つ姫に背を向けた。 「…関係なくなんか、ないです!」 しかし彼女は日番谷の元へと歩み寄ると彼の腕をとり、そう言葉を紡いだ。 そして目に涙を溜めて、彼を見据える。 私は、隊長の何なのですか…! 「…ただの夢だ、ほんっと胸くそ悪い、ただの夢……」 姫の涙を見て余計に言えなくなる。 彼女を泣かしてしまう、自分がもどかしくて堪らなかった。 しかし、これを言ってしまえば彼女はきっともっと心配してしまうだろうから。 ――ただの夢だ、こんなことで姫を惑わせたくはなかった。 「そう、ですか…」 「ああ、そうだ。だから、何でもねえ」 日番谷は頭を掻くと、ばつの悪そうな顔をして。 そしてそれから、物寂しい表情をする姫にそっと手を伸ばした。 「ありがとな、心配してくれて」 彼女の頬に優しく口付けをすると、彼は気付いた。 その温かさに。 それと同時に、あの氷の世界はどこからともなくゆっくりと、彼の記憶から崩れ去っていった――。 ←back |