雪白に焦がれた@「――俺、辞めます。」 夜勤明けで身体は疲れ切っていた。しかし突然の来訪者を無理矢理身体を起こして迎えれば、真面目な顔をした総悟が突っ立っていて。あまりに真剣な表情だったから、つい身構えてしまった。また何か悪ふざけをするつもりだろう、と。 「何の用だよ、総悟」 総悟は何も、答えなかった。 早朝の空気は冷え込んでいて、外は雪がちらついていた。昨日よりもまた寒くなったのか、俺は小さく身震いをする。 こんなにも冷え切った日であるのにも関わらず、総悟は薄っぺらな着物一枚を身に付けているだけだった。寒くない筈がないだろう。俺は火櫃を部屋の入り口に寄せた。まあ入れよ、そんな意味も込めたつもりだ。 けれど、総悟は足を踏み出そうとはしなかった。 「おい、どうした?」 「…………」 「寒ィから、早く中に入れっつってんだろ」 それでも俺の部屋の襖を開け放ったまま、総悟はそこを動かない。微動だにしない。 「ったく。何だってんだ」 痺れを切らした俺は大きく息を吐き、煙を吐き出す。仄かに冷気の白も混ざっていた。銜えていた煙草を口から離し、灰皿へと擦り付けてから徐に立ち上がる。 すると、今までずっと沈黙を守っていた総悟が、突然悲鳴に似た叫び声を上げた。 「近寄るなァっ!」 「……っ、はっ?」 「こっちに来るなっつってんでさァ」 「そ、…そう、ご……?」 一体どうしたというのか。開いた口が塞がらず、俺は目を大きく見開いたまま立ち竦んだ。 総悟の様子がおかしいのは、誰が見ても明らかだった。一瞬何時もの悪ふざけかと、甘い考えが頭を過ぎったが、総悟の瞳は討ち入りの時のそれと同じで。俺はやっとの思いで唇を強く結んだ。 正直、意味が分からなかった。どうしたら良いのかも、分からなかった。何か声を掛けようともしたが、焦る気持ちの方が上回って何も言えなくなる。 そう言えば、今日の一番隊は朝から市中見回りだった筈だ。しかし隊長は、総悟は、此処に居る。しかも隊服ではない、彼の私服を身に纏って。 総悟に拒絶された、その不快感に俺は眉を寄せた。言い知れぬ嫌な予感が胸を過ぎる。 いっそのこと、何時もの調子で怒鳴ってやろうかと思った。近寄るなとは何だ、てめェ誰に向かって口聞いてんだ、と。 「おい、総悟てめェ……」 「土方さん、」 「あァっ?」 「俺、真選組を辞めます」 もう外が寒いとは感じなくなっていた。それどころか、思考回路も可笑しいらしい。何だ、今のは。幻聴か。いや、まさか。そんな、――まさか。 「そのまさかですぜ」 「……お前はいつから人の心を読めるようになったんだ?」 「全部声に出てまさァ。バッカじゃねェの、アンタ」 「はっ、てめェみてーな、馬鹿な事言い出す奴よりはマシだと思うぜ」 「冗談じゃ、ねェですぜ」 「まだ寝起きだろ?何か変な夢でも見たんじゃねェのか。それとも毒でも飲んだのかよ」 「はぐらかすなよ、土方ァ」 分かっていた、総悟が"マジ"だってことぐらい。分からない振りをしていたかった。分かりたく、なかった。 こんなにも身体は冷えているのに、冷や汗が背中を伝う。 「今日を以て、一番隊隊長、沖田総悟は――真選組を、脱退しやす」 「っ、そんなことが許されると本気で思ってんのか」 「……えェ、まァ。つい先日にも、家族の看病だっつって辞めてった隊士が居たじゃねーですかィ」 「だから何だ、駄目に決まってんだろーが!第一、お前は仮にも隊長なんだ」 「ははっ。アイツが良くて、俺がダメな理由、俺にはさっぱり分かりやせんけど」 乾いた笑い声が、総悟の口から零れた。どこか諦めたような、そんな――。 何時も何処を見てんのか、よく分からない目をしていた。しかしそれでも、その奥に宿る光が消えたことはなかった。とても美しく力強い瞳だった。何も恐れるものはない、と人知れず主張していた。 総悟はまだ十八だ。俺や近藤さんに比べて、いや、全隊士と比べたって、随分と年若い。剣劇に滅法強い、しかし剣の腕しか鍛えられていない、結局彼はまだまだケツ青いガキなのだ。 それ、なのに。その総悟が、否、総悟の瞳から、光が――消えていた。 絶えず輝きを放っていたそれは失われ、俺が愛した彼の瞳は、確かに死んでいた。 「……いきなり、どういう了見だ」 「いきなりじゃありやせんぜ、土方さん。俺の中では随分前から考えていたことでねィ。……ただ、違ったんでさァ」 「違う?何が、」 「真選組は俺に合わねェ。ここは俺の望んだ場所と違う、そのまんまの意味ですよ」 「………お前、」 「天職を見つけたんで、転職してェんでさァ」 「全然、笑えねェよ」 「あァ、でしょうねィ」 何がそんなにも可笑しいのか、総悟はくつくつと笑うと、それから踵を返した。 「オイ、待て、総悟っ。まだ話は終わってねェ……!」 「いいえ、こっちの話はもう済んだんで。近藤さんには一言詫びといて下せェ。じゃあ、――さようなら、土方さん」 その背中は酷く孤独だった。 腕を強く掴み、押し倒せば止められたかもしれない。しかし俺は微動だに出来なかった。身体中の神経が麻痺したかのような感覚に陥っていたのだ。 総悟は、たまには遊びに来てもいいですぜ、と言い、一枚のカードを此方に投げて寄越す。そしてとうとう、総悟の姿は見えなくなった。 》to be continued.. ←back |