冷えた心が愛を奏でる





慣れ≠ニ云うものは、時に酷く優しく、時に酷く残酷なものであった。まるでぬるま湯に浸かったかのような心地好さに抜け出すことは叶わない。ぬくぬくと、どっち付かずのまま在り続け、そのままどちらを選ぶことも出来なくなるのだ。


嗚呼、後悔は無いさ。

嗚呼、悲しみも無い。

嗚呼、痛みも無ければ、きっと喜びもないのだろう。


天国と云う名の地獄に溺れ死んだ俺を、救い出してくれる存在など在りはしない。わざわざ自ら此方側に足を踏み入れれば、それは生への冒涜になりかねないのだから。

それ程までに、俺は余りに進み過ぎたのだ。帰っては来れない、戻っては来れない、やり直すことは出来ない、――そんな奥底にまで沈んでしまった。



「これで良かったんでさァ」



俺は現状に満足しているし、高望みもしなければ、過去に見返りを望むこともしない。救いようのない今の自分を誰かのせいにする気など毛頭なかった。此は自分で選んだ道だった。だから、恐れることは何も無い。


――ただ、ほんの少し、寂しいだけ。哀れな自分を嘲笑う、けれどその隣には誰も居やしないのだから。




その晩は、暁月夜だった。妖艶で謎めいた月を眺めていれば、冷たい夜風が肌を撫でて行く。感傷にふけりつつ、ぼんやりと、ひたすら前だけを見据える俺の背中で一つの影が揺れていた。



「何か用ですかィ」

「げ、バレてたのか」

「鬱陶しいんで、斬り捨ててやろうかと思ってたとこでさァ」

「……お前が珍しく風景なんて眺めてっから、からかってやろーかと思っただけだ」

「やっぱり斬り捨てられたかったみてーですね」

「やめろ、お前が言うと冗談に聞こえねェから」



ははっ、冗談じゃ、ねーんですけど。

俺は厭らしい笑みを浮かべて刀の鍔に手を置いた、が、しかし直ぐに腕を下ろした。今はどうにもそういう気分に成れなかったのだ。両腕に力を無くした俺を見て、土方はおっ、と訝しげな視線を送って来たがそれも無視してやる。



「……で。何がこれで良かった、だ?」



聞こえていたのか、と大きく舌打ちをした。けれど、視線は一向に外れないままだ。存外しつこい土方に折れ、俺は薄く唇を開いた。



「人殺し、」

「……は?」

「だから人殺し」

「……なにが」

「俺が、人殺し」



一体何を言いたいのだ、と土方は目をいからせた。



「総悟が人殺し?はっ、何だよそれ、訳分かんねェよ」

「そう言われたんでさァ。俺ァ人殺しの目をしちまってるそうで。全く、笑えやすぜ」

「……笑えねェ。全然、笑えねェよ。誰だ、そんなふざけたことヌかした奴ァ」

「何故です?アンタには関係ねーでしょ」

「うるせェ。……総悟、思い上がんなよ。お前は人殺しなんかじゃねェ」

「そうですかィ?俺は案外、ピッタリなんじゃねーかと思うんだけど」

「ふざけんな…!違うっつったら違うんだよ!」



俺は土方の阿呆面を鼻で笑ってやる。彼は、怒っているらしかった。人殺し、という物騒な役職を自分の部下に宛てられたことに。こんなにも感情の起伏を露わにする眼前の男は、きっと俺の感情まで連れ去ってしまったに違いない。

だって、俺には怒りなど沸いて来なかったのだ。不思議と、ああそうかもしれない、と受け入れてしまったのは、自分でもそう思う節があったからだろう。


最初に人を斬ったのが何時だったか、そう遠くない話であった筈なのに、よく覚えていない。何時からか、人を斬る動作が自然なものとなっていた。そして、全て斬り終えた後に感じていた罪悪感に似た感情が、消えてしまっていた。

自分は感情を殺すことが巧みになっていた。人を殺すことでさえ、容易になっていた。



「アンタのせいじゃ、ねェから。安心して下せェ」

「な……ッ」

「後悔なんて無いし、そもそも自分で決めた道だし。俺は俺らしく生きるだけでさァ」



儚い笑顔など性に合わないと、俺は精一杯胸をそらせて。ざまあみろ土方、と悪態を吐いてみせた。俺のこれは、彼にとっては苦しみであっても、俺にとっては取るに足らないことだから。わざわざ彼に背負わせてやろうなんて、これっぽっちも思ったりはしない。……あ、俺って優しいかも。


土方は表情を歪ませたかと思えば、落ち着きを取り戻そうと一息吐き。それから彼にしては柔らかく、そして甘い声音で俺の名前を呼んだ。

――総悟、と。



「お前の手は、誰よりも綺麗なんだよ………」



泣きそうな程に、優しい声音は、俺の中で刻み続ける時を止めてしまった。

土方は少し悴んだ自身の掌に息を吹き掛けた後、背後から俺を抱き締めて。その腕の中に閉じ込められたまま固まってしまった俺の掌を取り、自分のそれで包み込んだ。


不器用な表現、その全てが――何故だろう、とても、あたたかくて。



「ひ、じかたさ、ん」

「総悟……お前は、」

「………いいんでさァ。だから言ってるでしょ、もういいんでィ」



今更こびり付いた紅が消えるとは思っていない。そしてこれからも、それは一層色濃く俺を蝕んで行くのだろう。

それならせめて、誰かの為に在りたいと思った。大切なあなたを助ける刃として、生涯あなたの傍に置いて欲しかった。

だから、ほんの少しでいいのだ―――あなたの隣で刀を振るい続ける、理由が欲しかった。



「だから、土方さん」



オレは、人殺し。


息絶える、その時まで、ただ一人の男に愛された―――それはあまりに純粋で、幸せな。



「俺を愛し続けて下せェ」





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