真実は貴方だけが知っている





大丈夫、大丈夫。


其れは魔法の言葉だった。まだ幼かった俺にとって、ちっぽけな自分を守るためだけに存在した言葉。意地を張り続け、そうやって俺はこれまでの俺を幾度となく騙し続けて来た。そして何時しか、心は虚偽で縁取られてしまったのだ。


大丈夫、大丈夫。


俺はまるで自分を嘲笑うかのように薄っぺらな笑みを張り付け、何時かの魔法の言葉を吐き出すようになった。本当に大丈夫なのだと意地を張って思い込んでいた何時かとは違い、冷たい瞳で俺は自分に言い聞かせていた。


そう、大丈夫なのだ、と。


俺は大丈夫だから、俺はまだ戦えるから、俺は、俺は――近藤さんと土方さんの少しでも近くに居たいから。だから、大丈夫。これぐらい屁でもないって、まだ戦える。

そうやって自分を偽り続けて来たのだけれど、俺のこれまではあの日、奴の一言で簡単に崩れ去ってしまったのだ。



「ふざけんな、どこがだよ?お前、全然大丈夫じゃねェだろ」





廊下は騒々しく、先刻からドタバタと駆け回る足音と大声が響いて鳴り止まずにいた。今晩は負傷者がそれなりに出ていた。

大きな捕り物を終えた沖田は重い足取りで自室に向かう。するとそこには一足先に屯所に戻っていた彼の姿があった。


沖田はくすりと小さく笑いを零す。自分を見た瞬間、これでもかというくらいに眉を顰めた、土方に向けて。不機嫌丸出しの彼はまさに泣く子も黙る鬼のような形相だった。



「土方さん、んな顔ばっかしてると福が逃げて行きやすぜ。…あ、違うか。もう既にすっからかんですもんねィ」

「喧嘩売ってんのか、総悟」

「喧嘩売りたくもなりまさァ。疲れて帰って来て早々、お出迎えがこんな辛気臭ェ面した野郎だなんて」

「んなっ、」

「ねえ、ハグやキスの一つでもしたらどーなんですかィ」



唇を結ぶと、沖田は挑戦的な眼差しを意地の悪い笑みと共に送ってやった。可愛らしく小首を傾げて、疲れたんで癒やしてくだせェ、なんて絶対に言ってやらない。焦れったいくらいがきっと俺達には丁度良いのだ。


案の定、土方は複雑そうな表情をしてみせて。しかし相変わらず眉間には皺が寄ったままだ。

ひょっとして顔に力を込めたらそのまま戻らなくなってしまったのだろうか、それならかなり笑えるけど。



「それより、総悟…お前、その傷…」



やけに真剣な土方の視線は、沖田の右肩に注がれていた。隊服の黒にじわりと染み出た赤、パックリと斬れた、そこ。勿論始めから沖田はその視線に気付いていたのだが、やはり心配性の彼はずっとこの肩を気にしていたのか。



「あァ、これはちょいとしくっちまっただけでさァ」

「お前らしくもねェな」

「仕方ねェでしょ、でもどうってことありやせん」



沖田は土方の掌を取って、自身の肩に寄せた。じんじんと燃えるような熱を帯びたそこに、冷え切った指先が触れる。

突然の行動に驚いたのか、土方は切れ長の目をぱちくりさせていた。



「お、おい…総悟……?」

「ほら、傷。浅いだろィ?」

「…っ、あ、浅い深いの問題じゃねェだろ!化膿したらどうすんだ、早く手当てして貰って来い!」

「どうってことねェよ、土方さん」

「お前はまたそうやって……!全然大丈夫じゃ、」

「いや、本当。大丈夫なんでさァ、土方さん」



後でちゃんと手当てして貰って来やすから。今はもっと重傷の奴を優先すべきだし、それに、俺は――。


そこまで言って口を噤んだのと、土方が沖田の肩から手を離したのはほぼ同時だった。ひんやりと気持ち良かった感触が遠ざかる。あ、と思わず声を漏らして俯けば、行かないで、と心は縋り付こうとしていて。



「……おれ、は、」

「総悟」

「俺、……っんぁ、」



見透かされた、のだろうか。

土方は沖田を一瞬にして抱き寄せ、開いては閉じてを繰り返していたその唇に唇を重ねていた。始めは慈しむような優しいキス、それから、何度も何度も角度を変えて深く求められた。

いつの間にか、沖田の頬を包み込んだ指先は燃えるような熱を湛えていた。



「本当に、大丈夫なんだな?」

「何度も言わせんなよ、俺は大丈夫でさァ」

「なら、いい。その代わり後で必ず行って来いよ」

「はいはい、分かってやす」



悪態をつけば、頭上から降って来たそれに、再び唇を塞がれた。口内に侵入してきた舌を自分から絡め取りにいけば、逆に巻き込まれてしまって。煙草の苦味と、熱が思考までをも絡み取って行く。


言い掛けて言えなかった、それでも見透かされた、言葉。――それに、俺は、土方さんの傍に居たいんでさァ。


そうやって何時だって、ズカズカと入り込んで来ては、奴は虚偽で覆っていた俺の真実を曝していくのだ。



大丈夫、大丈夫。


自分のために吐いた魔法の言葉は、あの時を境に、ひとりの人のためになっていた。こんなにも素直じゃない自分を、こんなにも大切に扱って、愛してくれる土方さんに、ほんの少しの恩返し。彼を不安にさせるのが俺なのだとしたら、彼を安心させるのも俺なのだと。

困ったな、思ったより随分と惚れ込んでしまったみたいだ。



「あんまり心配させんなよ」



土方の言葉に沖田はにやりと笑んで彼の首に左腕を回した。そして最後にもう一度だけ、魔法の言葉を呟くのだ。





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