見晴らしの良い山道を駆け上がれば、そこには宇宙一美しい景色が広がっている。 俺のお気に入りの場所だった。 深緑に溶け込んだ、青。 澄み切った空が絶え間なく続いていて、思わず足を踏み出してしまいそうだ。 まるで自分が青に浮いているかのような錯覚。 俺に羽は無いけれど、何だか飛べそうな気がしてしまう。 しかし実際は叶わない、何故なら先へ続く道など無く、俺の立つそこは絶壁なのだから。 「バカな奴等だね」 俺はニンマリと笑みを湛えたまま、甘い声でそう呟いた。 人は言う、我等は幸福を求める為生きるのだと。 ならばその努力を怠り、死を決意した者の行く末はどうなる。 より安易で楽な道を選んだ、至極下等で脆弱な人間の最期は――。 「アンタも今から死ぬの?」 「そう、見える?」 「うん。そうでしょ。俺はここでアンタみたいな人を大勢見てきたから、分かるんだよね」 俺は、知っている。 エデンに魅せられ足を踏み外した愚か者達は、地へと墜ちて行くだけだと。 後悔などしたところでもう元の世界には戻れないというのに。 「じゃあそうなのかもしれない、……貴方は止めないの?」 「止める?俺が?一体何の為に、何の得があって、アンタを止める必要があるのさ」 「なら良かった。赤の他人の貴方に止められても困るもの」 「…変わった事を言うんだね」 冷たい風が背を撫で、俺はぶるりと身震いをしたけれど、彼女は黒髪を揺らすだけだった。 今までの人間と同じ場所に立ち、同じように此方を見上げている筈なのに。 しかし彼女の酷く冷めた瞳は、どこか温かな光を灯していて。 奴等とは違う、とても良い匂いがした。 「ねえ、何時までそこで傍観者気取ってるつもりよ」 「見飽きるまで、かな。だってアンタ、面白いんだよね」 「面白い?どうして?」 「さあ、どうしてだろうね」 今まで見てきた奴等は皆、最後の最後に止めて欲しそうな顔をして俺を見ていた。 死にたい筈なのに、何て可笑しな行動か。 俺にはまず理解できないけれど、奴等は誰かに必要とされたかったんだろう、きっと。 彼女の白い肌をほんのりと彩る紅色。 かさついた唇から紡がれる、心地の良いソプラノ。 そして透き通った漆黒の瞳に映える、哀――。 その全てが俺を惹きつけ、魅了し、視界を奪った。 端的に言い表すとしたならば、…アンタに惚れたんだね、俺は。 「死ぬなんて馬鹿な真似は止めなよ。アンタには勿体無い」 始めとは正反対の事を言う俺を、彼女は驚いたように仰いだ。 そしてその顔が、益々俺の興味を煽って。 「俺のところにおいでよ」 「どうしていきなり…」 「ん、アンタが気に入ったからだね。…逃がさないぞ?」 俺はふわり、と高見から飛び降りると、今にも落ちそうだった彼女の腕を引いた。 そしてその脆く儚い身体を、抱き寄せて。 俺の温もりで、冷え切ったそれを支配してやる。 「…アンタ、名前は?」 「――姫、」 彼女の体温が上昇したのが、肌を伝って感じられた。 俺は満足げに笑う。 「そう、姫。いい名前だね」 「……私、行かないよ」 「嘘だね、アンタはもう俺のだ。逃がさないって言ったろ?」 彼女の耳元が赤かったから、俺は確信した。 哀色に染まっていた瞳から、温かな雫が零れ落ちる。 ずっと、瞳の奥でこの時を待ちわびていたのだろうか。 俺は、姫の髪を撫でた。 明日が来るのが、こんなにも突然に愛おしくなるなんて。 彼女と過ごせば何かが変わる、俺は密かにそんな気がしていた。 明日が急に愛しくなった←back |