溢れ出る月光だけが静寂を包み込む、それは優しい夜だった。
寂寥感が漂う筈の夜更けも、真ん丸いお月様ひとつでどこか穏やかになるのだから、――不思議なものだ。
土方は慣れた手付きで懐から煙草を取り出すと、その内の一本に火をつけた。
じり、赤くなる先端を眺めもせずに口に銜えれば、途端に白い煙が立ち上がる。
「ふわぁ、」
誰も居ない、ひっそりとした廊下で欠伸をひとつ。
凝った肩をぐるりと一回しし、疲れ切った瞳を伏せた。
書類漬けにされた机上はもう見たくもない。
漸く一段落し、逃亡に成功した訳ではあるが、しかしやらなければならない事に変わりはなくて。
土方は再び大きく欠伸をした。
「…っち、今夜も徹夜か」
さわさわと風が木々を撫で、ほうほうと梟の声が響いている。
……何て静かなのだろう。
ただ唯一煩いと思えるノイズは、隊士達の無遠慮ないびきぐらいで。
羨まし過ぎる、と今呑気に眠っている奴ら全員を呪った。
そんな中、ふと開けた視界の先で、何かがキラリ瞬いた気がした。
…俺のほかに誰か、向こうに居るのだろうか。
土方は重い腰を持ち上げると、正体を確かめるべく歩を進めた。
「――おい、お前っ。そこで何してんだよ?」
「…………。」
「…おい、聞いてんのか?」
向けられた背中からの応答は無し。
少しだけ間を開けてもう一度問い掛けてみても、結果は同じだった。
遠目に声を掛けているとは言えども、聞こえない距離ではないだろう。
不審に思った土方は慎重に間合いを詰める。
しかし、眼前の肩に手を掛ける手前で、そいつは勢い良く振り返った。
「誰でィ…っ!」
ほんのりスパイス程度に感じたピリリとしたそれは、間違いようも無く確かな殺気だった。
咄嗟のことに土方は驚き、思わず後ろに飛び退いていた。
しかしそれは思いもせぬ鋭い声を突き付けられたからでも、大きく叫ばれたからでも無くて。
見覚えのある顔から、はらり、雫が伝い落ちる。
「そう、ご……?」
「あ、っ……土方、さん…」
「おま、どうしてっ」
――其の晩の月はまるで、アイツのようだと思っていた。
俺だけが知っている、静けさをも包み込んでしまう優しい光。
冷たい心に差し込む穏やかな光。
苛立つ気持ちも愛しい人を思い浮かべただけで、すっと消えてしまったと云うのに。
何故だ、赤く腫れ上がった目元が頭から離れない。
どうして、独りきりで泣いているのだ。
……胸騒ぎが、俺を襲う。
俺が今まで見ていた本当のアイツは、今にも闇に呑み込まれて消えてしまいそうだった――。
追憶の闇夜
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