マドンナリリー





ハアハア、荒く呼吸を繰り返す。やがて視界に入った目的地を見据えると、俺は徐々に走るペースを落とした。


今日も花屋の朝は早かった。街が活気付く手前、まだ猫が大通りの中央で大きな欠伸をしている頃、そのシャッターの向こうでは物音がしている。並ぶ彩りの花々に水遣りをしようと、ジョウロを持つ彼女の顔は微笑んでいた。

――なんてことは、俺の想像に過ぎないのだけれど。ただ彼女の朝が早いのは事実だった。他がどうだとかは知りもしない。俺の中では、彼女=花屋、花屋=彼女、なのだから。


昼間は人で溢れかえる街中を人が疎らな早朝にジョギングするのが、俺の密かな日課だった。そして想いを寄せる彼女の店の前を通るのも、そう。


閉ざされたシャッターの奥から、小さく鼻歌が聞こえたのに俺はにやりと口元を和らげると、緩やかになっていた歩を速めた。そしてそのまま店先を通り過ぎて行く。

――こうして、今朝も俺のあまりに自己満足過ぎる日課は終了したのだ。





「ふんふふーん、」



今日はやけに気分が良かった。理由は単純明快だろう。生憎俺は複雑な思考を持っていないから、思わず今朝聞いたばかりの曲を口ずさんでいた。彼女が歌っていた、それ。


教室に着き、自分の席に座ると、隣の席の彼女―――と言うより花屋の彼女、が此方を振り返った。俺が驚いて口を閉ざせば、彼女も驚いた顔をして口を開けた。



「わあ、奇遇だね!」

「な、なにが……?」

「今朝、私も同じ曲を口ずさんでたんだよ」

「へ、へえー」



奇遇だねィ、と呟いて俺はひやりとした。だって今朝彼女のそれを聞いて移ったのだから、そりゃそうだろう。



「私、家が花屋でね、……あ、知ってた?」

「いや。へえー、」

「そっか。沖田君の家の近所なんだよ」



ぎくり、として身を強ばらせるが、幸いにも彼女はそれには気付いていないようだ。普段あまり話す事の無い姫に話し掛けられて、俺は自分が挙動不審になっていないかが心配だった。

普段の俺はそれはもう嫌がられる程に多弁だし、茶々も人一倍入れていると自負している。しかし彼女の前では、不思議な程に寡黙になるのだ。何故かなんて、理屈でないから分かる筈もない。ただ、何となく、気恥ずかしいような、緊張するような――、俺の軽い口が突然縫い付けられるのだ。



「……って、ちょっと待ちなせェ」



え、今さらりと流してしまったのだけれど、



「姫、俺ン家知ってんの?」

「うん。寧ろ、沖田君の方こそ知らなかったんだね」



いや、実は毎朝通っています、とは言えず。俺が黙ったまま大きく頷いてみせると、彼女は柔らかく表情を緩ませ。



「沖田君のお姉さん、店の常連さんなんだよ」

「……あァ、通りで。花が枯れねェと思った」

「あ、じゃあ、沖田君は花とか好き?」

「え、あ……まァ、かなり好き…、でさァ」



事実、嘘ではなかった。彼女と共通の話題を見付けたくて、飛び付いた話題が花≠ナ。幾日にも渡って調べ上げた、と言うよりかは現在進行形で調べているそれ。俺は人よりも多くを知っている自信があった。

好きな人が好きなものを好きになる、とはよく言ったものだ、と我ながら笑いもしたけれど。いま漸くその努力が報われたと、俺は内心飛び跳ねた。



「俺、百合が好きなんでィ」

「え?またまた奇遇だね。私もなんだ。特に白ユリ、とか……分かるかな」

「よく分かりやすぜ」

「本当に?嬉しいなあ。こんな話してもみんなきっとつまらないだろうから」



沖田君、話が合うね、なんて。彼女は俺だけを見て、俺だけに笑い掛けてくれた。それが何だかとても凄いことのように思えて。大袈裟だけれど、まるで奇跡のような。そんな錯覚。



「あ、白ユリの花言葉はね、」

「純潔、威厳、無垢、だろィ?」

「わあっ、正解!」



嬉しそうに息を弾ませる彼女を眺めているだけで、俺は幸せだった。今までこの恋をどうしたいとか、そんなのは少しも考えたことがなかった。けれど、楽しそうな声音で無邪気にはしゃぐ彼女を、もっと見ていたいと思う。もっともっと笑い掛けて欲しいと欲する。


俺が百合を好きな理由、それはアンタにそっくりだから――、なんて言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。美しく可憐な容姿の内で、ひっそりと佇む純潔に見初められたのだ、俺は。

彼女を百合に喩えるとして、――ならば俺は何になるのだろう。



「あのさ、姫……、今度アンタの店行ってもいいかィ?」

「もちろん!大歓迎だよ」

「ははっ、そりゃ嬉しいや」

「何か見たい花があるの?」

「や、違ェ。――もっと姫のこと、知りてェなァ、って、そう思っただけでさァ」



そんな大層な人間でもないのだが、俺は雨雲になりたいと思った。或いは太陽、或いは風。百合に必要とされるそれに、彼女に頼られる唯一の存在に、なりたいと思った。


目を丸くして瞬きを繰り返す彼女にゆるりと手を伸ばし、その揺れる髪に触れた。多分、無意識。爆発寸前の心臓は制御不能になっている。しかしそれに反比例するかのように、すうっと静まり返った俺の脳内にじわりと溶け込んでいたのは、何処からか仄かに漂う、白百合の甘い香りだった。





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のんちゃんに捧げます。
2周年、10000打、どちらも本当におめでとう!今までもこれからも大好きです!迷惑ばかり掛けてすみません。陰ながらずっと応援しています。





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