世界が愛に満ちるまで誰もが愛したいと望んでいる。しかしそれ以上に、愛されたいと望んでいる。ぐるぐるぐる。世界は欲望の渦に巻き込まれ、もっともっと……、と人々は渇望する。 そして結局、誰も愛を享受することは出来ないのだ――。 「なァ姫……、俺ァ世界を創り替えてみてェのさ」 「ふふっ、高杉ってば、たまに可笑しなこと言うよね」 「ククッ……違ェねェ」 俺は隣に座る彼女の肩を抱き、その華奢な身体を己の腕で包み込んだ。囲まれた彼女はくすり、と小さく笑みを零し、俺に身を任せる。 ことり、俺に寄り掛かる、お前の髪からは艶やかな花の香りがした。 「でも、本心だぜ」 「うん分かってる」 「無理だと思うかァ?」 「ううん。……高杉なら新しい世界を築ける、そんな気がするから不思議なの」 「ああ、お前も大概変わってるよなァ」 「なにそれ、酷い!」 「流石俺の女だって、褒めてんだぜ?」 かあっと顔を真っ赤に変えるお前が可愛くて、つい囲む腕に力を入れてしまった。しかしそれを苦しむでもなく、彼女は赤らめた顔を俯けて。 髪が揺れる度に、香りが鼻を掠めて俺を惑わす。視界にちらつくそれに惹かれるようにして指を絡めれば、驚くほどに手触りが良くて。さらりと流れる黒髪を、俺は目を瞑りながら何度も撫で続けた。 「……愛で満ちた、そんな世界を、俺ァ望んでるのかもしれねェなァ」 俺は軽く目蓋を持ち上げて、彼女を見た。何故だか妙に静まり返った、優しい気分だった。 世界が愛で包まれて、誰もが幸せだと笑い合える。それはひどく平凡で穏やかで、柔らかく、そして優しい。そんな世界をお前に見せてやりたい、それが俺のゆめでもあった。 「わあ……素敵だね!高杉がその世界を望むなら、私も同じように望むよ」 彼女の笑顔は、美しい。 この世界が愛に飢えた、その時は、何処か遠くへお前だけを連れ去ってしまいたい。世界で唯一俺だけが愛を注ぎ込むから、お前は誰よりも満たされた存在になれるだろう。 深く、切なく、濃厚で、甘美なメロディーに乗せて。いま世界一倖せな人が彼女でありますように、と果てしない祈りを込めて。 「――姫、愛してる、」 そう囁き微笑んだ俺の先で、彼女の瞳が揺らいだ。 誰よりも何よりもお前が好きで、お前こそが俺の総てで。失いたくないと、手放したくないと、生まれて初めて執着した存在だった。大切な人も守りたい人も大勢居たけれど、彼女だけは特別だったのだ。 誰であろうと覆すことは叶わない、根底から湧き上がる無条件の愛情。恋心なんてそんな幼稚な感情はとうの昔に捨ててしまった。今俺を突き動かすのは、ただひたすらに、愛。お前が俺に手向ける全てを慈しむ心。 震える唇を薄く開き、 「ありがとう――、」 彼女は涙に似た言葉を零した。 嬉しいよ幸せだよ、好きだよ、ずっと一緒だよ、――俺が欲する言葉をお前はいつだって温かな声音で呟いていた。けれどこんなにも優しい声音は初めてだった。 ぼんやりと滲んだ瞳が、そうっと伏せられて。ぽろりと墜ちた粒は仄かな美しさを秘めていた。……きれいななみだ、だ。魅せられたまま、動けない俺の前に彼女はそっと手を差し伸べて。 出会ってくれてありがとう。 選んでくれて、ありがとう。 「――わたしを愛してくれて、ありがとう」 頬に触れた指先が柔らかに肌を撫でた。感謝されるようなことをした覚えは無いと。大きく目を見開いた俺のことなど気にもせず、穏やかで緩やかな、それは幸せに満ちた吐息だった。 そして目元を朱くして、――おまえは、笑う。 周囲を包み込む暖気の全てが彼女に味方した。口許が自然な弧を描き、ふっくらとした唇がゆるりと持ち上がって。 眩しそうに、俺を見る。 そんな彼女の笑顔は、俺が夢にまで思い描いていた世界によく似ていた。 ←back |