宇宙一の花嫁「あっ、そこ、ちが……」 「ふーん。じゃあ、」 「………っ、」 「お、当たり?」 「だから違……っ」 「違わないよね?ここは?」 「――だぁっから、違うって言ってんでしょうがァアア!!」 どうやら怒りの沸点が最高潮に達した模様です。 私は赤ペンを神威の頭部に向かって投げつける、が、ひょいと軽々摘まれてしまった。ふふっ。しかし頭の良い私はそうなる事など計算済みなのだ。 指先に気を取られたままの神威に、炬燵の下から猛烈な蹴りをお見舞いしてやる。それから悶える彼の横腹を冷たい手で擽りまくる、――つもりが、きゅっと腕を掴まれて。 「何してるのかな?」 それはもう、顔面全体を使った満面の笑みで、にっこーりと史上最大級の笑顔を頂いた。 冷や汗がだらりと背中を伝う。いや、臆するものか。ここで引き下がればそれこそ女の恥だ。神威の思う坪だ。さあ、言ってやれ、わたし! 「それはこっちの台詞よ!真面目な顔して勉強したい、なんて言い出すから、渋々付き合ってやればっ!」 「付き合ってやれば?」 「アンタ分かってないでしょ?それならちゃんと言ってあげる。私も神威も、今、高校二年生なの。この意味分かるよね」 「え、そんな事知ってるよ。姫って案外バカなんだね」 「ちっがーう!私が言いたいのはね、」 どんっ、と勢い良く机上に手を付けば、わお豪快、と神威が目を丸くした。それを力強く睨み付けてから、私は己の掌の下にあるプリントを見た。神威も釣られるようにして、そちらに視線を寄越す。 解き始めたばかりで、何の変哲も無いただの数学のプリントだ。ただしその内容を除けば。 「足し算が出来ない高校生なんて、信じられない」 「でも"いちかけるきゅう"は分かったでしょ?」 「……答えは?」 「"さん"」 「………だから、違うって何度も言ってるじゃん」 それにそれ、足し算じゃないんだけど。――もういい、と私は髪を掻き回して大きく溜め息を吐いた。相反して、神威はルンルン気分で口笛まで吹いている。どうしようもない馬鹿だ、手の施しようがない。 しかしこんな馬鹿野郎に惚れてしまった自分は、きっともっと大馬鹿野郎なのだ。 「もう最悪……」 「どうかしたの、姫?」 「……神威、アンタのせいなんだからね」 好きになってしまったものは仕方無いじゃないか。どうやったって嫌いになんかなれる筈がなくて、寧ろ格好良く見えさえするのだから。 燃えるように赤い髪も、純粋に透き通った眼も、ふにゃりと弛められた口許も、――その総てが、神威で。至極愛おしくて。 全く、調子を狂わされてばかりいる。こんなの全然、私らしくないではないか。 「――そう言えば、どうしていきなり勉強したいなんて言い出したの?」 「姫と同じ大学に行こうと思って」 「……ムリだね、」 「うん。だから諦めた」 「うっわあー…」 「でもその代わり、将来の夢を見付けてさ」 神威の瞳は、多分、キラキラと輝いていたのだと思う。直後目が細められたからよくは分からなかったけれど、しかしとても嬉しそうだ。それを嬉しいと、そう同時に感じてしまうのは、惚れた弱味だろう。 「俺、宇宙海賊になるよ」 「は?」 「宇宙一最強になって、姫を俺の嫁として宇宙に迎え入れるんだ。どう?素敵でしょ?」 「……っほんと、馬鹿!」 本当は舞い上がっている、神威からも大切に想われていることに。わああ!もういっそのこと、叫んで飛び跳ねて、手放しに喜んでしまいたいくらいだ。 しかしどれもぐっと呑み込んでしまうのは、馬鹿な神威の前では何時も通りの、そう、余裕ある私で在りたいから。 ――神威にはきっと全部、見透かされているのだろうけれど。 「連れ去られてくれますか」 こくりと、小さく頷いた、泣きそうな私の頬に手のひらを添えて、神威は満足げにくすりと笑んだ。 ←back |