たおやかな愛に呑まれた





ふと、考えることがある。

世界中が幸福で満たされることは起こり得ないのだろうか、と。厳しい世の中ではある、しかしそれでも多くの人間にとって今日は特別な一日なのかもしれない。俺の世界は狭いが。


新年の浮ついた雰囲気に呑まれつつも、俺は目蓋を閉じた。


世界が眩しいと思ったことはない。世界が愛しいと思ったこともない。何かを愛でるなんて気持ちは、きっと生まれた瞬間に置き去りにして来たのだと、そう思っていた。

そんな冷めた俺を、人々は忌み嫌うけれど。――彼女だけは違う。何かがそう、根本的に。


ただ無条件に、見返りも求めず、俺だけのために愛を捧げる。好きだと言って笑い掛けてくれる。彼女はいつもそうだ。

そんな彼女を見ていると、俺の中の何かが崩れていく気がして。彼女がいま幸せなら、ああ俺も幸せなのかも、と。

一緒に居るだけで、何時もとは違う感情が沸き立つ。俺の幸福は、彼女が傍にいること。ただ、それだけでいいのだ。何て単純で、何て重い――。



「、しょっぺえ」

「そーご?……寝言?」

「ちげーよ。起きてまさァ」

「なあんだ。夢でも見てるのかと思った」

「まァ色々思い出してはいたけどな」

「ふむふむ。何をだね?」



姫は大きな瞳を更に丸くして此方を覗き込む。多分コイツは何も考えてないんだろうな、俺が鼻で笑ってやると、姫は口を開けて。何かを言おうとした刹那――、それを俺の唇で塞いでやった。

はむ、と唇を合わせれば、途端に真っ赤に顔色を変えて。一気に体温急上昇。そして今度はぎゅぎゅっとその瞳を瞑った。



「あれ、期待しちまった?」

「…っ、ちが……」

「まァまァそう慌てなさんな。お楽しみは夜までとっておきやしょーぜ」

「そ、総悟……っ」

「やっぱ、照れてるあんたって可愛い」



ぼっと音を立てる勢いで、彼女の頭はとうとう噴火してしまったようだ。余りに分かりやすい一挙一動に、俺は思わず顔を綻ばせる。恥ずかしそうに俯く彼女の髪を弄りながら。



「……今年も、宜しくね」

「おう。宜しく頼まれてやりまさァ」



新春のうららかな日差しに当てられ、そして俺は大きく伸びをした。穏やかで暖かで。気持ちの良い年明けだとそう思えるのも、隣に姫が居るからだろう。


とろんとした瞳で往来を眺めては、時々口元を緩めて俺を振り返る。そんな彼女に俺はちょっかいを出して。

縁側で日向ぼっこよろしく寛ぐ俺達に、行き交う人々は目を呉れもしないから、其処はまるでふたりきりの空間のようだった。



「さっき思い返してたこと」

「――うん?」

「姫に惚れ始めた頃の俺自身、のことでさァ」

「…ほんと?」

「えェ。もう懐かしく感じやすねィ。俺にとって、……あんたが初恋だったんだなあ」

「っ、何か照れ臭いね」

「知ってやすよ。姫が俺にベタ惚れだったんだよなァ」

「そ、総悟だって今は……」



そうだよ、恐ろしく無縁だと思っていた。世界が突然クリアに見えて知らない感情が芽生え始めて、正直戸惑った。

けれど、彼女はこれまで見たことも無いくらい嬉しそうに泣いていた。それが好きっていう気持ちなんだよ、と微笑みながら。


あの日から今までを忘れることなど出来ないだろう。


――俺は、恋に落ちていた。






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