(05)
翌日。ネグリジェ姿のマザードルテからのお説教を聞き流しながら俺は庭掃除に励んでいるであろうシャノの元へと向かった。わかったって、寝過ぎたのは。マザードルテはしつこい。
「シャノー、朝ご飯ほしいんだけ、ど。」
「あら、ウィラードさん?」
見えたのは夜色のベールだけでなく、いつぞやに見た橙色だった。
二人は仲良く談笑していたらしくシャノの掃除の手は多分完全に止まってる。エリザベスの手には林檎が積まれたバスケットが握られていた。
「ウィル!わかった、ちょっと待ってね。」
「ありがとう。二人ともごめんね取り込み中に。」
「私なら構いませんよ。シャノさん待たせるなんてしないで今作ってさしあげて。」
終わるまで待ってるから、その一言で背中を押されたらしいシャノは「仕方ないなぁまったく。」なんていう俺への一言も忘れずに家の中へと入っていく。
ちゃっかりしてるなあ、もう。
「というわけで、シャノが戻ってくるまでのお相手はこのわたくしめで構いませんかお嬢さん。」
「ええ、喜んで。」
くすくすと笑うエリザベスの方を見て俺も笑った。
寝起きの脳は眩しい空と肌寒い空気のお陰で大分冴えている。まあしかしこの盛大に暴れているのであろう寝癖だけはどうにも出来ない。
「でもご飯の用意を女性に任せてばかりでは、いつか愛想つかされますよ?」
「生憎、食材には触らせてもらえなくてね。不本意だ。」
「あらあら。」
窓から飛んできた皿をキャッチして、上に乗せられていたサンドイッチをまるごと掴む。どういった意図があって外で食事をとることを促されたのかはしらないが、おそらくマザードルテが割り込んできて嫌がらせにこんなことをしたんだろう。
渡されたサンドイッチをそのまま全て重ねれば、大口をあければギリギリ全ての層にかぶりつくことができる大きさになる。人目はあるが、かまわずそのまま噛み付いた。
「…お味は?」
「美味しいよ。」
「私の目が間違ってなければ、最低でもエッグサンドとチキンサンドとフルーツサンドが一緒になってると思うのだけれど…。」
「生クリームとマヨネーズも中々合うしね。食べる?」
「遠慮しておくわ。」
「ああ、嫁入り前だしね。ごめん。」
「…そういうことにしておく。」
なんてことのない世間話を続けていれば自ずと時間は過ぎていくもので、じきに甘い芳香が漂ってくる。
直後家から出てきたシャノの手には二つのマグカップがあった。中には乳白色が全体の七割ほどの位置で波立っている。ホットミルクだ。はちみつの甘い香りもする。おそらくエリザベスの分も淹れてきたんだろう。
予想通り、というよりは分かりきったことだったけど、シャノの手にあったマグカップは俺とエリザベスの手に握られていてそれに二人して口をつける。
待ち望んでいた味が舌の上を滑り喉を通っていたのを感じて満足した。
そんな麗らかな空気をぶち壊すかのように、テノールがこちらに投げられる。
「エリザ!」
姿を見せたのは白衣姿の男だった。
サックスブルーの髪はオールバックにされていて、走ってきたせいか少し乱れている。コルク色の目を細めて眉を吊り上げながら男はエリザベスの腕を力強く引っ張った。ガシャンとマグカップが地面に叩きつけられる。
「家にいないと思ったら全く君は……!」
「ごめんなさいカルマ、でもシャノさんが林檎をわけてくださるって…。」
「……とにかく帰ろう、もうすぐ診察の時間だ。」
カルマ医師はエリザベスの肩に手を回し自身の方へと抱き寄せた。エリザベスの右手を庇う仕草やその一連の行動には婚約者を思いやる愛情が感じとれたけど、実際彼が何を思っているのかはわからない。
崖でのことを思い返せば尚更だ。
エリザベスを帰路のほうへ向かせたあとカルマ医師はこちらをギンッと強く睨んだ。俺の横にいたシャノがひどくびくついて俺の服の裾を掴む。
「…君たちもあまりエリザに近づかないでくれ。」
乳白色だった液体は、地面に濃い染みをひろげていた。