丁寧なピンぼけ


日付を跨ぐ、少し前。玄関のチャイムが部屋に鳴り響いた。
鍵は開けているからハルが帰ってきたのだったらチャイムなんて鳴らさずに中に入ってきてるだろう。知り合いが尋ねて来たのなら先に連絡をくれてそうなものだが、特に誰かからの連絡も来ていない。時間帯も時間帯なので少し警戒しつつ、ジリジリと玄関へ向かうと、「ごめん名前さん、俺」と聞き慣れた声がした。
「……ヒカルくん?」
「うぃ」
一応確認のためにスコープで外を見ると全ての疑問に納得がいった。嗚呼、なるほどねと、私は慌てて扉を開いたのでした。

扉を開けてすぐそこにはヒカルくんと、ヒカルくんの肩にもたれたハルの姿があった。
「ごめん名前さん、先に連絡できたらよかったんだけど」
「ううん、気にしないで。これは仕方ないわ」
少し顔が赤いものの、しゃんと1人で立てているヒカルくんに対し、ハルはもう見るからにべろんべろんに酔っていた。半分寝かけって感じで、ヒカルくんが手を離したらそのまま玄関の前でパタリと倒れてしまいそうだ。
これを運んできたのだから、そりゃあ連絡をいれる余裕も無かっただろう。むしろこんな状態の成人男性、それもかなりタッパのある男を連れてきてくれたことにこちらが感謝しなくては。
「ヒカルくんごめんね、こんな大荷物運んでもらっちゃって」
「俺は大丈夫だけど、名前さんは大丈夫?中まで運ぼうか?」
「いいよいいよ、ここで受け取っちゃう」
そう言って、目もまともに開けられてないハルをヒカルくんから受け取る。私もヒカルくんもすっかりハルを宅配便の荷物みたいに扱っている。なんならハンコでも押してやろうか。
ヒカルくんから受け取ったハルは、だらーんと私に抱きつくように寄りかかってきた。そうしてもう半分以上眠たそうな様子のまま、耳元で「名前〜」とだらしのない声で鳴いた。

ヒカルくんとハルが今晩飲みに出かけたのは聞いていたが、まさかこんなになるまで酔って帰ってくるとは思わなかった。というか、ハルがこんなに酔ってるのを見るのは久々だ。元々そこそこ飲める体質だから滅多にこんな風にはならない。幼馴染のヒカルくんの前だから気がいつも以上に緩んだのだろうか。

年下のヒカルくんの手前、少し見栄を張ったが、流石に大の男を1人で支え続けるのはキツイ。
「ごめんヒカルくんほんとにありがとうね。この恩は必ず返すから」
「いいって、飲み代バネさんに奢ってもらっちゃったし」
こんなべろべろになりながらも後輩には奢るのだからしっかりしているのか、そうでないのか。「もう夜遅いから帰りは気をつけて」と声をかけて、ヒカルくんと手を振りあって玄関のドアを閉めた。鍵もちゃんと締めておく。

ハァーと一息ついて、真正面から私に抱きついたままのハルの背中に手を回す。そしてその手で広い背中をポンポンと軽く叩いた。
「ハルー?ハルくーん、大丈夫かなー?」
「ん、んんー……」
ダメそう。せめてもう少し自分の足で立って欲しいのだけれど。
「ハルくん、私潰れちゃうから頑張って立ってくださいな」
「名前……」
「はいはい、名前さんですよー」
ほとんど引きずるようにしてハルを寝室まで運ぶ。腰と腕がジンジンとダメージを蓄積していってる感覚。これがあと10分続いたら確実にぎっくり腰をやらかしてしまいそうだ。

ずるずるずるずるとハルの長い脚を引きずって、なんとか辿り着いたベッドサイド。
「いよっしゃーい」
そして掛け声と共にハルをベッドに放った。バフンという乾いた音と共にシーツに突っ伏すハル。この様子じゃあそのまま寝てしまうが、彼の外行きの格好のままじゃきっと寝苦しいだろう。上はTシャツだからいいとして、下のデニムだけは脱がそう。ベルトを外して引き抜いたり、重たい足からデニムを脱がせたりとまた肉体労働に励んでなんとか楽にさせた。
私はハァと一息ついて、首を回したり、腕を回したりとバキバキになりかけた体をストレッチする。まったく、せいでせっかくお風呂入ったのに、ハルのせいでまた汗をかいてしまったではないか。

「こんにゃろぉ」
転がったハルの横に私も並んで寝っ転がった。そして彼の方を向いて、その無防備で赤い頬を指でつついた。ツンツンするたび日に焼けた肌が少し沈んで、「ん、ん、……」と微かに吐息が漏れる。ちょっとお酒くさい。飲み過ぎだね。そんな無防備な姿に唐突に胸の奥のところがぎゅっと締め付けられた。これが愛しさ、これがトキメキというやつか……!
楽しくなって、少し笑いながらそれを続けていると、不意にハルが瞼を開いた。寝かすつもりも然程無かったが、起こしてしまっただろうかとその瞳を見つめ返すと彼はちょっとだけ口元を緩めて笑った。
「名前がいる……」
「いますよー。ハル、今自分が何処にいるかわかる?」
「ねてる……」
「そうだね、家のベッドだね」
トロンとした目のまま、ふわふわな口調でハルは呟く。
酔った私をハルが介抱するというのか普段の立ち位置だから、こんな風にしているのはいつもと真逆。とても新鮮でなんだか楽しい。
ハルは何度か瞬きをしながら私のほうに重たそうに手を伸ばして、ぽんと置くみたいにしてから私の髪を撫でた。その指が何度も髪を梳いて、それからゆっくりと下がって私の頬にふれた。
「珍しく酔ってるね」
「おー……」
「ヒカルくんとお酒飲んで楽しかった?」
「たのしかった……」
私の方からもハルに手を伸ばして、少しワックスが取れてへたりとしたハルの髪を撫でた。自分のより硬い髪質だけれど、なんだか心地いい。

いつか、他人の体温が恐ろしかったこともある。繋がれる手、触れられる肌、撫でられる髪、他人に与えられる知らない体温が嫌いだった。
けれどしかし、思えば彼に触れること、彼に触れられることに嫌悪感を感じたことは一度も無かったような気がする。あの日、崩れ落ちた私を助けた時から、ずっと。触れ合うことへの気恥ずかしさや照れはあったとしても、薄暗く卑しい感情など抱いたことはなかった。
彼だからなのか、彼にそうされたのか、わからないけれど知らなくてもいい。

私たちはお互いにお互いをゆるゆると撫であっていた。なんの意味もなくとも、穏やかな時間。やがて少しずつ私のほうにも眠気が訪れる。ハルがした欠伸が移って、私も間の抜けた声で口を開閉した。
「ねむいねぇ」
「おう……」
さみぃ、と目を瞑ったまま小さく彼が呟いたので、ベッドの足元に丸まっていた毛布を手にし、それを広げて私と彼にかけた。それから少し腕を伸ばしてベッドサイドのリモコンを手に取り、部屋の電気を消す。
「おやすみ、ハル」
「ん……」
毛布をかけてもまだ寒かったのか、半分夢の中の状態でこちらに擦り寄ってきた。それが温かいところを探す猫みたいで、思わず私のほうから抱きしめた。じんわりと伝わる人肌に安心して、私も静かに目を瞑った。

(2018.6.2)
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