秘密一つに不慣れな二人


おやすみと言って、電気を消して毛布に潜り込んだ。ベッドの壁側、俺の隣でとうに横になっていた名前は目を瞑りながらおやすみと返した。
それは繰り返す日常。寄せては返す波のようなもの。つまりは当たり前のことで、目を瞑ればもうあっという間にまた次の朝がやってくるような気がした。
何に遮られることもなく、緩やかに落ちていく意識。ああ、このまま眠りにつくのだろうな、とそう感じていたとき。
「ハル」
不意に小さく、本当に小さな声で名前を呼ばれて、身動ぐ。まだ起きていたらしい。名前も、そして俺も。意識が曖昧なまま、それでもさっきより少しだけ覚醒に近づいた。俺は仰向けになっていた体を横にして、こちらに背を向ける名前の服越しに感じられるなだらかな背骨のラインに目を閉じたまま額を寄せた。
「んん、どした」
「…………なんで、起きてんの。早く寝なよ」
声をかけたのは名前の方だったのに、どこか素っ気ない。多分、起きているはずがないと思っていたのだろう。俺の寝つきがいいのは自他共に認めていることだから。だから多分、名前はすこしびっくりしている。寝てると思って、一応確認したら俺が起きていた。きっと彼女の中にあった予定が狂ったのだろう、それがなんなのかはわからないけれど。
俺は下手を打ってしまっただろうか、と俺が行うべきだったかもしれない選択についてちょっと考えてから、まあいいやとさっさと思考を投げ捨てた。終わったことをぐちぐち言うのは趣味ではない。

名前はそれ以降、ずっとだんまりだった。寝たのかもしれない。起きているのかもしれない。背中しか見えない俺からは察することすらもできない。
長い沈黙が夜の帳を支配して、意識はまた落ちかけていた。このまま眠ってもいいってことはわかってた。けれど、名前が何か言いたいことを抱えているのだろうってことはなんとなく感じ取れて、だったらできることなら話くらい聞いてやりたい、とそう思った。

長かった沈黙の果てに彼女は小さな声で言葉を紡いだ。細い糸のようなそれを不器用に折り重ねていく。
「……昔からね、」
「……おう」
寝たふりをするかどうか迷って、俺はやはり相槌を打った。
「本を読むのが好きだったの。けど、たくさんの本を読んできたわけじゃなくて、好きな本をゆっくり何度も読むのが好きだった。だから案外だれでも知ってるような物語を読んだことがなかったりするんだ」
「……へぇ」
思えば……、などといえば非常に白々しいのだが、実は前々から彼女に関して思っていたことがある。俺はずっと、名前は自分のことを話したくないのだと思っていた。いつも人の話を楽しそうに聞くばかりで、彼女が自分自身について話すことは少なかったから。彼女がそれでいいのなら、俺もそれでも別に構わないと思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしいってことに最近になって気がついた。
「トムソーヤーの冒険って物語を知ってる?私はそれを読んだことがないんだけどさ、前に知り合いが「アレは子供の頃に読んでおくべき本だ」って言ってて、それを聞いて、なんか、寂しかった」
「……」
「読まないまま大人になってしまったからね、もうなんだか、私にはそれを読む資格がなくなってしまったんじゃないかって。多分、そんなことないんだろうけどさ」
「……そう、か」
名前の呟くような微かな声が暗いベッドの上、俺の鼓膜を揺らした。

話したいことがあって、でも話すタイミングがわからなくて、だとか。伝えたかったけどうまく伝えられない、伝える方法がわからない、だとか。
話したいなら話せばいいって、考える前に喋り出す俺みたいのとはまるで違う思考の奴もいるって、知ったのは、気がついたのは名前と出会ってからな気がする。
違う価値観や考え方が有るっていうことは当たり前だけど、それは実際に目の当たりにしてみなきゃ有るってことにすら気がつけない。
「わかりあう」の前に「知る」が必要なんだって、当たり前だけど、それだけのことに俺は気がつかなかった。そういう俺のこれまでの話。

「うん、ただそれだけ。寝る前につまらない話をしてごめん」
でもずっと、この話を誰かに聞いて欲しかったの。
彼女は言って、それからおやすみと囁いて、その夜はもう何も言わなかった。
だから俺も口を噤んで、ただ彼女の内心に想いを馳せる。

タイミングを逃し続けて、何処にも行けなくなった言葉の群れ。尊い価値だなんてそんなもの要らないのに日々に磨耗されて失われていく感傷。
死にかけていたそれらがまだここで息をしていたのなら。落とした後悔を拾い上げ、読めない本を抱えて立ち尽くすお前の手を引いてやれるなら。
俺が眠らずにいたことにも確かな意味があったのだろう。
お前が今宵の微睡みをなかったことにしてしまうのならそれでもいい。けれど俺だけはお前の寂しさの観測者になろう。繰り返す朝焼けにやがてその記憶すら磨り減っていくとしても、今だけは、今だけ、今夜だけは…………。
俺は思考を打ち切って、微かな寝息を子守唄に、彼女を抱きしめて眠った。

(2018.5.17)
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