猫派の私と犬っぽい君


「猫を吸う」という言葉がある。字面通りに受け取ると何を言っているのかさっぱり訳がわからないだろうが、つまりは猫の匂いを嗅ぐことをこう言う。いわゆるネットスラングだ。

寝ている猫の腹や背中に顔をうずめて匂いを嗅ぐというただそれだけの行為。しかし過去に猫を飼っていた経験から言わせてもらうと、それはもう最高で至高の時間だ。猫の柔らかさと温かさとなんとも言えない獣臭がたまらなくエクスタシー。ストレスが凄まじい勢いで減っていくのが自身でもわかる。
ただ気をつけなければならない点が一つ。猫は気まぐれなので、最初こそ無抵抗に嗅がれてくれていても唐突にキレだし、容赦ない猫キックを食らわせてきたりする。アレは痛い。あまりにも痛い。

そんな難点を除いても猫を嗅ぐという行為は最高だ。最高なのだが、今の私には縁遠い。なぜなら猫を飼っていないからだ。
私もハルも犬や猫を飼いたいなあとは思っているのだが、共働きだからろくに世話もしてやれないし、命だから簡単に飼うことを決められはしない。
とは言っても、嗅ぎたい。あのふかふかでぬくぬくな生き物を心ゆくまでクンクンしたい。動物園のふれあいコーナーではそろそろ限界がある。具体的に言うといい大人が子供たちに混ざってうさぎをモフるという絵面が無理。どう見ても不審者。通報待った無しだ。しかし猫カフェでは猫様と信頼を築くのに時間がかかってしまう。
と、まあ精神衛生上大変よろしくない。このままではお気に入りのぬいぐるみを電子レンジでチンしてしまう。

そんな錯乱状態になりかけた頃、私はとある発見をすることとなる。



ハルが、寝ている。

休日の昼下がり、お昼ご飯も食べて眠くなる頃。
……ハルが、寝ている。
ソファの上でクッションに顔をうずめるといううつ伏せのような体勢で寝ている。ソファに収まりきらない長い脚が肘置きの外へぴょんと飛び出しながらも、寝ている。ハルは寝つきが大変よろしいので、一度寝ると当分起きない。多分震度3くらいの地震では起きないと思う。

そんなふうにしてぐうぐうと呑気に寝ているハルを、私はソファのそばに突っ立ってガン見していた。休日ゆえに特にワックスをつけるでもなく、いつもよりふわふわしたハルの髪の毛。それが彼の呼吸に合わせてふわふわとうごく。ふわふわ……。ふわ、ふわ……?

「…………ハッ!」
気がつくと私は彼が眠るソファのそばに膝をついて、彼の髪の毛に手を伸ばしていた。慌てて手を引っ込めるが、心臓はバクバクと跳ね回っている。理性がまるで働いていない。
自分では気がついていなかっただけで、私は随分とふわふわでぬくぬくなものに飢えていたらしい。だから目の前に現れたふわふわでぬくぬくな恋人の頭にまで見境なく手を出そうとしてしまった。

…………いやでも、別に手出してもよくない?

しばし思考する。……………………………………………………。………………………………………………、……………………………。…………。………………………。

…………犬、みたいなもんだしな、この人。

心の中で「よし」と気合を入れて、私は彼の方へググッと前のめりになった。
ゆっくりと手を伸ばして彼の髪にそっと手を落とす。それから手を動かして頭を撫でた。掌に伝わる私より硬くて太い髪の感触に、背筋がゾクゾクする。何故だろう。よくわからないが謎の背徳感に大変興奮していることを自分自身でしっかりと認識している。意識のない相手に好き勝手しているからだろうか。
ハルはというと私にどれだけ撫でくりまわされても変わらずぐうぐうと小さい寝息を立てながら寝ている。そんな昼寝中の犬みたいな姿を見て、不意に「ハルを吸う」というワードが頭に浮かんだ。

……いや、それは流石にいくらなんでも。いやでもふわふわだぞ?ぬくぬくだぞ?ちょっとくらい吸っても多分この人起きないだろうし。いやでもそういう問題ではないよね、人の寝込みを襲うなんて……。

そうやって私が真顔で悶々としていると、唐突にハルが身動ぎをした。起きたか!?と思ってびびったがどうやら本当にただの身動ぎらしい。抱えていたクッションをぎゅっと抱き締め直したハルが「んぐぅ」と小さく鳴いた。思わず心臓を押さえる。

……一回だけ、許されたい。
古人曰く、一発なら誤射。
古人が言うなら仕方ない。あー仕方ないなこれは!

あー、急に体勢が崩れたー!これは事故ー!と内心で茶番をしながら、彼の後頭部に顔を近づけて、髪の毛に鼻を埋める。ふわふわ、ぬくぬく。意を決して、そのまま深呼吸をして、あっ、なんかめっちゃいい匂いが、






そこで私の記憶は途切れている。


気がつくと私はキッチンで延々とキャベツを千切りにしていた。すでにキャベツの3/4玉が千切りされている。何故だろう。何もわからない。何も覚えて無いと言いたいが、何も覚えてない訳ではないのだ。

なんか、いい匂いがした。いい匂いというか、好みの匂いというか、……その、なんだ、すまん。
胸の中で謝罪をする。恐る恐るキッチンからリビングの方へ目を向けるとハルは変わらずソファでべちょっと寝ていた。
今日はトンカツにしよう。山になったキャベツの千切りを前にそう決めた。トンカツに喜ぶハルを想像して胸が痛む。何故だろう、玉ねぎを切っているわけでも無いのに泣けてきた。これが罪悪感というやつなのだろうか。

(2018.11.11)
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