食べ終わった焼きうどんの皿をもって台所に行くと随分と珍しいものを見た。
表情に出さないまでも宗谷は内心驚く。
名前、落ち込んでる。
机に倒れこむようにして突っ伏した彼女は塩をかけたみたいにしなだれていた。
テーブルの端に追いやられたパソコンを見て大体のことを察する。ここ数年の名前の悩みはたった一つだから。
流し台に皿を置いて蛇口をひねって水で浸す。
洗い物がしやすいように、と教えてくれたのは名前だ。
「名前」
そんなところで寝てたら風邪を引くよ。
僕にそう教えてくれたのは名前でしょ。
「名前」
返事は無い。
「名前」
返事は無かった。
宗谷は椅子に掛けてあった半纏をうつ伏せる名前にそっとかけた。
近づいた彼女からは規則的な吐息が聞こえた。
彼女がこんなふうに落ち込むことは滅多になかったから、こんな時どうしたらいいのかわからない。
手持ち無沙汰なまま、動かない名前のそばでどうするべきか思案したまま立ち続ける。
彼女はいつも、自分がどんな時でもそばにいた。
小さい頃から、こうして大人になった後でも。
将棋で勝ったときも、負けた時も。
世界から音が消えていった時も。
彼女は笑って自分の手を握ってくれていた。
そんなふうに昔のことを思い返していたからだろうか、ふとある出来事を思い出した。
原稿用紙の束が入った封筒を抱えた名前とその背中を見送る自分。
吹けば飛ぶぐらい軽い雪が彼女の黒髪の上に積もっていた。
不安げな顔で振り返った彼女を見て、その珍しさに思わず笑ってしまったのを覚えている。
彼女が小説家になるのを決めた日。
彼女が小説家になった日。
そういえば受賞が決まった時は二人で酒盛りをしたような。
どんな話をしただとか細かいことはすっかり忘れてしまったけれど、とにかく酒好きの名前が楽しそうに笑っていたことは記憶に残っている。
そこで思いついた宗谷は、ぽんと右手の拳を左手のひらに乗っけた。
台所の戸棚を開けて酒の貯蔵を確認する。
祖母のいない今日は、少しぐらい騒がしく夜更かししても構わないだろうから。