REMIND



車内にはラジオが流れていた。
中古で買ったこの車のエンジン音が少々耳障りではあるが、無機質で面白みを排除した女の声を聞くのにそこまで不都合は無かった。
女は原稿通りに今日の出来事を語る。
人身事故による電車の遅延、東京の女子大生殺害事件、聞き慣れた政党の政治家による汚職事件、それから今日の気温が今月の最低気温をマークしたこと。(通りで今日は寒かったわけだ)
荒北は運転に支障が出ない程度にラジオに耳を傾けた。会話の無い車内での唯一の娯楽だ。
同乗者はメガネの奥の瞳をじっと閉じており、横目でちらりと見ただけの荒北には起きているのか寝ているのか判別がつかなかった。

「寝んなよ、金城」
一応と思い声をかけてみた。
すると助手席の男は声に反応して素直に目を開いた。その様子を見るにどうやら寝てはいなかったようだ。
返事をしない無精者が身じろぎし背筋を伸ばしたのが見ずともわかった。
パキッと骨が鳴る小気味良い音がした。

酔った金城の迎えを荒北が頼まれた理由はよくわからない。
2人の共通の友人が呂律の回らないまま金城の携帯で荒北に迎えを要求してきたのだ。
先日車を買ったと自慢げに報告したのが悪かったのかもしれない。
ちなみにその友人には彼女が迎えとして来ていた。
幸せそうな顔で去って行くそいつらを見て、世の中クソだなと荒北は心の中で呟いた。
いくら顔が良いからといって夜中にゴツい男の迎えなんて勘弁だ。
ふざけんな畜生と憤りつつも結局迎えにくるあたりが荒北という男なのだが。

金城の意識は案外しっかりしていて、本当に酔っていたのか怪しいほどだ。
窓の外を眺めていたかと思えば、ラジオの音量を調節したりしている。
これなら迎えとかいらなかったんじゃないのォ、と内心ぼやいた。
そして十字路を右折した時。

「メガネのな、フレームが同じ型だったんだ」
「……はァ?」
それは唐突だった。
もしかしたら彼は右も左も分からないぐらい酔っていたのかもしれないし、もしかしたら今すぐ100m走が出来るぐらいこれっぽっちも酔ってなどいなかったのかもしれない。
きっと荒北には永久にわからないことだけれど。
不可解そうな荒北の顔に一切視線をやることなく金城は続けた。

「かけるのは授業の間だけでな、お互いに同じタイミングで外したんだ。 少し目を離したその時に巻島にメガネをすり替えられた」
荒北は寄っているのだろうと結論づけた。
酔っ払いの独り言だ、まっすぐ前を見ながら荒北はそれでもラジオより彼の独り言に耳を傾けた。
赤信号で車が止まる。なだらかなブレーキ。ここの信号は長い。

「すっかり気がつかなくて、そのまま自分のじゃないメガネを掛けた。 度があっていないからな、とてもびっくりした」
信号は赤のまま。
エンジン音が耳障りで無くなってきた。

「おどろいて周りを見渡したら、同じようなメガネを掛けた彼女も同じようにきょろきょろしてるのがぼんやり見えて、」
2人して笑った、と男は掠れた声で言った。
度の合わないメガネ。曇りガラスの視界。
子供の頃から視力の良い荒北には少し想像がつきにくかったから、相槌も打たずに車を発進させた。

「目立たない、大人しい子だった。 体育祭より文化祭の方が好きな、確か文芸部で、色で例えると紺色みたいな。 ああ、何度か彼女か好きだって言った本を借りたりもした」
記憶の糸を千切れないように手繰るみたいな、そんな声音だと思った。

「本当は巻島に背中を押される前から気になってたんだ。 だからといって別に付き合いたいとかそういうことじゃない。 時々こっそり数学の答えを教えてあげるような関係でよかった」
金城はすこしだけ、ほんのすこしだけ口を開閉して言葉を紡ぐかどうか躊躇った。
それから嘆息して、ちいさく腹を括って消え入りそうに言った。

でも好きだった、と。
そう言って金城は口を閉じた。
あの時の、高校3年生の金城真護のあの子への想いはただそれだけで、それだけがすべてだった。
きっと彼女は深い海であり、遠い星であったのだ。
そこまで思って金城はさすがに照れたように身じろぎを一つした。
その後車の中を賑わせたのはラジオの単調な声だけだった。
すこし浮ついたインターバル。
なんとなくそんな沈黙にも飽きて、荒北が口を開いた。

「その子今どこにいんのォ」
「……さあ、どこだろうな」
「ンだよ、進学先も聞けなかったのかよ」
「いや、都内とは聞いた」
都内。
荒北は東京と聞いて有名なタワーより先に高校時代の友人2人を思い出した。

「知ってんじゃねェか」
「進学先は知ってても、今どこにいるかはわからないサ」
茶化すような金城の声に眉を寄せた。
なんだ屁理屈かよ。わかりやすく舌打ちをした荒北に金城が笑った。
それにもなんだか腹が立って、後ろに車が無いのを確認してわざと急ブレーキを掛けてやった。
アパートにはまだ着かない。
今日に限って赤信号に引っかかるんだ。
他に放送することが無いのか、ラジオが再び本日のニュースを流し始めた。

『ーー本日午後6時頃東京都××区にて20歳程度の若い女性が血を流して倒れているとの通報がありました。女性は病院に搬送されましたがまもなく死亡。女性の名前はーー』
ちょうどその時、スピード違反ぎみなオートバイが破裂するような音を立てて走り去り、そのせいで一瞬ラジオの音が聞き取れなかった。
荒北は不愉快気に目の前を横切っていったオートバイに毒づいた。
はたして金城は聞き取れただろうか。

『ーー現場検証から殺人事件と判明。その後警察は容疑者を逮捕。容疑者は犯行を認めるような供述をしています。警察からの情報によると犯行の動機はーー』
その時、するりと伸びた手がラジオのチャンネルを入れ変えた。金城だった。
ラジオからは打って変わって、明るい音楽番組が流れ出した。

「すまない、聞いていたか?」
「いンや、別にィ」
金城が変えていなくてもきっと荒北が変えていただろう。
殺した動機なんて殺された側からしたら何の意味もない。
それが愛であれ、憎であれ、与えられた結果は同じなのだから。

なんにせよ、酷いタイミングだった。
荒北が一瞬、ほんの一瞬思い浮かべてしまった悲劇は起こっていないに違いない。そんな確率があるはずがない。
だけれども、荒北は金城が被害者の名前を聞き取れてなければいいと思った。
ラジオから流れる音は明るいのに、車の中の空気はなんとなく冷たくなったような気がするのはきっと気のせいだろう。
荒北は自分の左側を向くことができなかった。
金城は今どんな顔をしているだろう。知りたかった。嘘、知りたくなんてない。
彼は努めて前だけを見続けようとした。
視界の端に映る友人が知らない顔をしていたらと考えるだけで背筋に悪寒が走る。
それどころか口を開くのも憚れた。
開いた途端街灯の無い夜道の闇によく似た、何か得体の知れないものが自分の内側に入り込んくるような気がしたからだ。
ただの杞憂。妄想。
わかっていながら荒北は少しスピードを上げた。
車通りも人通りも少ない道路だ。少しぐらいのスピード違反くらい許してほしい。
アパートにはまだ着かない。
ラジオからはどこかで聞いたことがあるような音楽が流れていた。
洋楽なのだろうか、歌われる歌詞はすべて英語だった。
男が熱を込めて、それでいてどこか冷たく歌い上げる。
その声の盛り上がりからサビに入ったことを知る。

『もう一度思い出させてくれないか』
『私達は確かに発光する感覚の中に立っていた事を』
『かつて、私達は深く深く繋がっていた事を』

金城と名前も知らないあの子も立っていたのだろうか。
2人だけで、2人だけにしか理解できない優しく光を放つ感情の中に。
アパートのすぐ近く、最後の信号がタイミング悪く赤に染まる。
指が白くなるほどハンドルを握った荒北は金城に聞けない質問を胸に抱えた。

なァ金城、お前なんで突然その子の話をし始めたんだ?

(2014.10.27)
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