吹き抜ける風に愛を一匙



「タルトタタンって知ってる? あれはね、タタン姉妹がデザート用に炒めてたリンゴが焦げちゃったのを、機転を利かせてタルト生地に入れて焼いたのが始まりなのよ」
「それは知らなかったな。 それで、お前はこの焼け焦げたシフォンケーキから機転を利かせて一体何を作り上げてくれるんだ?」
「いっそとことんまで焼き切って練炭でも作ってみる?」

名前、と低い声で呼ぶと、彼女は肩をすくめた。
「言っておくけど悪気はないからね」
「当たり前だ。 悪気があったら今すぐ家から追い出してる」
さてはて、厳しい声を出したはずなのに目の前の名前に反省の色がないのはどうしてだろうか。
泉田は今すぐに頭をかきむしってしまいたくなった。
無論自分のではなく、目の前でヘラヘラと笑う名前のをだ。

「すごい憂鬱そうな顔してるけど大丈夫?寝る?」
「……そうだね。もし君にもっと注意力があったら僕らはより優雅な午後を過ごせてたんだろうなと思うと憂鬱にもなるよ」
換気扇をもう随分かけてるはずなのに一向に消えない焦げ臭さに、泉田は今すぐ家具にもカーテンにもキッチンにも名前にもファブリーズをぶっかけてやりたかった。

◇ ◇ ◇

オーブンをかけておきながら昼寝をするという、世界で最もやってはならない愚行の一つを彼女はいとも簡単にやってのけた。
もともと設定していた時間が彼女の確認ミスでレシピより10分ほど長く、そのうえ時間になってもオーブンの扉を開けるはずの人が熟睡していたのだ。
ケーキは自然の摂理に従って真っ黒になった。当たり前だった。
泉田が帰ってくるのがもう少し遅かったらより無残になっていただろうことは想像に難くない。
普段の料理はとても美味しいのに、何故かお菓子作りとなると壊滅的な才能を示すのだ。
ビーフストロガノフも鯖の味噌煮も上手なのに、どうしてクッキーやトリュフはダメなんだろう。
どうして初歩的なお菓子が作れないのにシフォンケーキなんて上級者向けのものを作ろうとしたのだろう。
随分と長く一緒に居た気がするのに、未だに読めない彼女に溜息が漏れた。

すると名前はさっきまでとは違う、すこし弱ったような顔をした。
「あー、塔一郎? そんなため息なんかつかないで。きっと次は上手くいくよ!」
元気出して!と彼女は腕を振った。
なんで僕が失敗したみたいに言われてるんだろう。
「確かに材料も無駄にしちゃったし、オーブンの掃除も大変だし……怒ってる?」
ヘラヘラ笑いをやめた名前が恐る恐る僕の顔を覗き込んできた。
僕の溜息一つでさっきまでとは打って変わってしょんぼりとした様子を見せる彼女は、なんだか叱られた犬みたいだ。
そのくせなんで怒られてるのかはさっぱりわかってないに違いない。
まったく、なんてことだろう。

僕はカウチに腰掛ける彼女を抱き上げた。
「名前。僕はね、別にケーキを失敗したことを怒ってるんじゃないんだ」
名前を脇の下から抱えて、小さい子にするみたいに高い高いをしてやる。
「もしもケーキを焦がして、君が気づかなくて、火事でも起こって、名前に何かあったりしたら恐ろしいから言ってるんだ」
心配してるんだって、ただそれだけだって伝えたいのだ。
ぎゅっと名前を抱きしめると、彼女もまた僕の背中に手を回した。
それから僕の胸元で小さく「ごめんね」と声が聞こえた。
もういいんだよって意味を込めて、抱きしめる腕に力を込めた。
「今度は一緒に作ろうか、きっとうまくいくよ」
旋毛に落とした唇にくすぐったそうに身を捩って彼女は笑った。

(2014.9.17)
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