砕月 無



※真名バレ有り

突然「燕青」が意識を取り戻した。
目を覚ました燕青は何度か瞬きを繰り返すと、鼻に付く鉄の臭いに眉を顰める。気がつくと彼は豪華な椅子に腰掛けて、絢爛な部屋に1人佇んでいた。
少し前まではたくさんの人が集まり騒いでいたらしいが、それももう遠く昔のことのようだ。部屋があまりにも静寂が過ぎて、耳鳴りが頭に響く。喧騒が欲しい。狂乱が欲しい。殺戮が欲しい。
イライラとした気持ちを発散する為に足元に転がる雀蜂の死骸の頭を蹴っ飛ばして、燕青は立ち上がりググッと伸びをする。

ここは何処だ?
ーーここは新宿。歴史から、世界から断絶された悪性魔境。

何故俺はここにいる?
ーー呼ばれたからだ。幻影魔人同盟の1人として。世界の破滅の計算式の為に。

俺は何を望んでいる?
ーー栄華を。いつか、彼が望んだ栄華を。いつか、彼女が殉じた栄華を。

では、俺は誰だ?
ーー…………。

俺は誰だ?
ーー…………。

俺は、誰だった?
ーー……燕青、だった。そんな気がする。


靴についた血を床に擦り付けて取ろうとするが酸化してこびりついてしまっているから上手くいかない。が、そんなことも不意にどうでもよくなって、すぐに歩き出す。扉までの道程には死体と塵と血とバラバラになった色んな物が転がっているが、それら一切に目を向けず彼が歩む先にあるもの全てを踏みつけて歩いた。
扉に掛かった鍵を叩き壊して開ける。部屋にいた生き物はみんな死んだ。密室殺人、みたいだなんて。記憶は無いが、状況証拠からして犯人は自分なのだろう。

どうでもいい。
もうここに興味は無い。
別の場所に行こう。
どこに?
そうだな、空が見たい。

扉を大きく開いて屋上へ向かう。彼の歩いた道が赤く染まっていった。省みることのない死体の山を築いては踏みつけていく。当然だ、何故ならここにはもう人の悪意しか生きていないのだから。




自分が見たかったのは本当にこの景色だったのだろうか?
燕青は屋上の端に腰を下ろし、足をぶらぶらと投げ出して首をかしげる。
川が見えない。山が見えない。森が見えない。星が見えない。
当然だ、ここは新宿、悪性魔境。美しいものはみな消え失せた。尊いものはみな殺された。
ふと郷里がちらつく。一体誰の記憶だろう。燕青のものか?燕青が取り込んだ誰かのものか?それを認識し、判断する人格すら失われた。

嗚呼、それにしても、どうして、こんなにも月が遠いのか。

−−−フラッシュバック。深い山。記憶の奥。皆の声。騒がしい饗宴。我が主。裏切り者。月夜。燃える街。血に濡れた匕首。彼女。掌に書かれた文字。戦。血と鉄といななき。空を裂く弓。手を、握って。「お側にいます」「何も、変わらないではないか」『わたしが、つれていく』これで良かったのか?「お前には未来があるんだ」本当に?
感情など無価値。事実だけが横たわる。
ただ、結果として、見捨てた。恩ある主人を、家族同然の少女を。もう2度と届かないものに手を伸ばす。その先に何もないと知ってなお「黙れ!黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」

頭を掻きむしり、屋上の硬い床に頭を打ち付ける。地面に爪を立て、唸り声を上げる。なんだここは。誰だおれは。主人とはなんだ。彼女とはなんだ。矜持はどこへいった。わからなくなる。自分が失くなる。境界線が曖昧になり、自分の記憶が、他人の記憶とつながる。自分は娼婦で、いや違う、雀蜂で、あれ?ヤクの売人だった。それで親を殺して、子に殺されて、天に月、それから、地に、犬が、なんの話だ?

『××』
掌の感覚。誰かに触れられたような、気が。気のせいだ。そんなはずがない。名前も思い出せないのに。誰のこと、だ?
思い出さなくてはならない。自分のこと。自分を育ててくれた人。自分がここにいることを許してくれた人々。自分のそばにいてくれた人。それら全てを失いつつある。それだけは理解している。
俺は、俺は、天功星、燕青。我が主人の名は×××。嗚呼、殺せば良かった。そうすれば…………そうすれば何になったというのか?それから、我が唯一の家族である彼女の名前は?××。そうだ、××。どうしてそんな当然のことを忘れていたのだろう。あんなにも大切だったのに。それで?彼女の名前はなんだったか。思い出せない。なにも、なにも、だけど思い出さなくては。

明けることのない夜空に風が吹く。屋上で崩れ落ちるように倒れた男は泣きじゃくって喚いた。胎児のように身を丸ませて、悲鳴のような大声を上げて泣いた。側からみれば狂人か、あるいはダダをこねる子供にでも見えただろうか。幻の痛みに耐えかねて泣き喚く。誰にもなにも理解できずとも、男は確かに痛みを感じていた。

苦しい。苦しい。苦しい。けれどもこの苦しみだけは確かだ。彼らを思い出そうと願い、それが叶わないことに嘆く。そんな俺だけは確かに他の誰でもない燕青なのだ。たくさんの人を殺しました。望んだ平穏は殺しました。誰も皆記憶から殺しました。
だからもう、誰もそばにいてくれないだろうけど。もう誰も俺の手を握らないだろうけど。
もしも俺がもう一度証明されたのなら、そうしたのならきっと彼らを思い出せるはずなんだ。どうか、ここにいるのは燕×なのだと証明して。そうすれば、×青が愛した全ても肯定できるはずなのに。
××は彼らを愛していた。愛していた。愛して、いた。愛していた?
愛していたなら何故手を離したのだろう。どうして自分はここにいるのだろう。

「……栄華を」
栄華を、手にしたい。彼が望んでいたものを手にすれば、輪廻を越してようやく自分にも理解ができるのかもしれない。彼がそれを求めた理由。そうしたら、そんなもののために彼と彼女が死んだことにもきっと納得ができるはずだ。そうしたらきっと無力で無価値で屑な自分のことも許せるはずだから。
空に向かって手を伸ばす。届かない月にそれでも手を伸ばす。
もうすこし、もうすこしで栄華を手にできるんだ。きっとこれでいい。これで良くなきゃいけない。だってこれが間違っていたのなら、もう自分はどこにも行けない。もう、誰も誰も誰も彼も彼女も自分を許してくれない。
「いやだ……助けて……ひとりはいやだ……」
ひとりは怖い。ひとりぼっちが怖い。置いていかれるのは怖い。納得したような錯覚で、残されたのは自分だった。諦めきれていなかったのは自分だった。

『わたしが、×××××』
彼女の最後の決意はなんだったか。彼女が自分の代わりに持って行ったものはなんだったか。自分が彼女にできたことはなんだったか。彼女の声を思い出したい。彼女の顔を、彼女の笑顔を、思い出せ、俺は確かに彼女のことを…………………………………………………………アぁ?


男は不意に立ち上がる。何故自分はこんなところに寝転がっていたのだろう?なんでか、やけに頭が痛い。それに爪も割れている。一体なにがあったのだろう。……まあいいか。肉体が破損してもまた適当な誰かの体を写せばいいだけだ。次は、そうだな、女の体を写したい。どうせなら美しい女がいい。
男はこれまでに取り込んだ名前も知らない人間の皮を被ると、屋上の端から地上へと飛び降りた。サーヴァントである彼にとってはそれすら児戯に等しい。
ああ、なんだか腹が空いている。(嘘だ)少し眠い。(嘘だ)心臓が苦しい。(嘘だ)なんだか寂しい(嘘だ)……嘘に、決まってるだろ。

ここにいるのは新宿のアサシン。
変幻自在の無頼漢。堕ちた星。
そこに「燕青」の入り込む隙間は無い。

(2019.1.6)
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