血と後悔 前編



※前編・後編共にセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、ご覧ください。
※この物語はフィクションであり、特定の境遇の方への差別・偏見を助長する意図や思想は一切ありません。
※恋愛要素無し



『あのときああすればよかったと
そんなやくざな仮定法があるばっかりに
言葉で過去を消そうとするけれど
目前の人っ子ひとりいない波打際は
目をつむっても消え去りはしない』



ヴィランを親に持つ子はヴィランになりやすい、という統計があるそうだ。
外部からの影響を強く受けやすい幼少期にヴィランが身近にいるという環境がそうさせるのか、或いは遺伝的なものなのかについては意見が分かれるが、それは未だに根強く支援されるデータの一つであった。

次々と流されていくスライドを見つめたまま、轟はふと思った。
その理論が通じるというのなら、ヒーローを親に持つ子はヒーローになりやすいのだろうか、と。
自分の周囲を見れば、血縁者にヒーローがいるのは自分と飯田くらいだろうか。確かに、身内にいるヒーローに良くも悪くも大きな影響を受けたことは事実だ。だが、実際のところクラスメイトのほとんどは身内にヒーローなどいない。それが普通なのだ。
それに、飯田はともかく自分は父親の姿を見てヒーローを目指したわけではない。
そう思って無意識のうちに轟はわずかに眉間に皺を寄せた。

父親。
轟にとってそれは酷く苦しい記憶だ。ささくれだった指先で心臓の柔らかい部分を触られるような、そんな気持ち悪さと不快感。高校も2年に上がった今となっては、以前に比べたらずっと父親についても飲み込めるようになった。例えそれがどれだけ苦く、吐き出しそうになるとしても。

オールマイトという平和の象徴が失われて、ようやく長年No.2ヒーローだった父の焦燥が理解できた。1と2の間には大きな断絶があった。決して埋まることのない断絶。深淵のような隔たり。だとしても挑まなくてはならない理由があった。
永遠など存在しない。いつか、崩れる日が来る。あの男はそれがわかっていたのだろう。だから、絶対的な強さに固執したのだ。だから、轟にはあの辛い幼少期があるのだ。平和の象徴が倒れても、平和を継続させるために。その先も、ずっと、ヒーローが正義であるために。
今ならそれが少しだけわかる。全てのことにはプロセスがある。繋がりがある。背景がある。そこに至るまでの過程と理由がある。
わかっている。わかってしまった。ヒーローを目指すようになって、平和の象徴が表舞台から去って、今になって、わかるようになってしまった。
けれど。
だとしても、あの男の行いを許すことは出来ないけれど。

講演が一つ終わり、昼休憩を告げるアナウンスが流れた。会場を出て行く人々の流れに加わって、歩き出す。
その日は学外授業だった。大学や研究機関による犯罪心理学の講演会。犯罪心理学はヴィランを捕らえるヒーローとしては欠かす事のできない学問だ。それ故にこれまでにも何度か専門家を呼んでの特別授業が行われ、今回の講演会への参加もその特別授業の一つだった。

「昼休憩ということで解散。午後の部開始の10分前にはここに集まるように」
担任である相澤の言葉に「はーい」と返事をした友人たちはバラバラと散って行く。昼食のために会場の外へ出ることが許されていた。確か最寄り駅近くに蕎麦屋があったはずだと轟が思い出しつつある時に、近づいてきた緑谷に食事を共にしないかと声をかけられた。
「飯田くん達と外に出ようと思ってるんだけど轟くんもどうかな」
「ああ……俺も行っていいか?」
「もちろんだよ!」
人の良さの表れた笑顔に轟も少しつられて笑う。周囲から入学当初に比べて丸くなった、と言われる理由の一つは間違いなく目の前の友人にあると轟はわかっていた。得難いものを手にした。ふとした時に噛みしめるようにそう思う。

そうして玄関ドア付近で待つ飯田たちのもとへ2人並んで向かおうとして、
「すみません」
轟と緑谷はほぼ同時に振り向いた。
2人が振り返った先にいたのは黒髪の女性だった。自分たちより年上、おそらく20代前半くらいに見える。柔和な微笑みと穏やかな物腰。首から下げたネームタグを見るに講演会の参加者なのだろう。バッと勢いよく振り返った2人に一瞬驚きながらも、すぐに言葉を続けた。
「あの、轟さんでお間違いありませんか」
「ああ、はい。そうです」
轟がうなづくと彼女はほっとしたように表情を緩めた。僅かに上がった彼女の息に、自分を探していたのだろうかと感じながら「なにかご用ですか」と返せば、彼女は「少しお伝えしたいことがあって」と言いながら少し視線を迷わせた。それだけで緑谷はなにかを察したらしく、「僕、あっちで待ってるよ」と玄関の方を指差した。轟はうなづいてその背中を見送り、再び彼女に向き合う。ネームプレートには「××大学 苗字名前」と書かれているが、やはり見知らぬ人だ。書かれたその大学にも特別な関わりがあるわけでもない。

「大事な休憩時間にすみません」
「いえ、それは構いませんが」
何の用だろうか、彼女は誰なのだろうかと考えているのがわかったのだろう。
彼女は「ええと、私は××大学博士課程で犯罪心理学を学んでいます、苗字名前と言います」と慌てて自己紹介をした。
「はあ……」
事情はよくわからないながらうなづく。すると彼女は目を細めて、言葉を続けた。
「貴方は、エンデヴァーさんの、……轟炎司さんのご子息でお間違いありませんか?」
その言葉を聞いた途端、どろりと喉の奥から苦いものが込み上げたような気がした。

何の縁か、先程の講演の最中に考えていたあの男が噂に忍び寄って来る影のように再びやってきた。此処にいるはずもないのに、彼女と自分を繋ぐ見えない存在として。乾きそうになる喉と硬直しそうな脳味噌に耐え、再びゆっくりとうなづく。
すると妙に嫌な気持ちが心を占拠する自分とは異なり、苗字と名乗った女性はひどく穏やかに微笑んだ。その心の底から喜んでいるかのような微笑みに、どうしてか罪悪感が湧いてしまう。まるでずっと探していた人物にようやく会えたような、長く辛い旅路を今やっと終えたような、そんな表情。

「お忙しい方だとは存じているのですが、どうか彼にお伝えして頂きたいことがあるんです」

その微笑みを前に、うなづくことしかできなかった。

◇ ◇

「轟」
苗字からの言付けを聞いた轟はしばしその場に立ち尽くしていた。去って行く彼女の背中をただぼんやりと眺めていると、不意に名前を呼ばれる。
声のする方を見ると、すぐそばに相澤が立っていた。
「さっきの方、知り合いか?」
「いえ、そうではなく……」
何と言うべきか少し悩んでしまいつい口を噤むと、非合理的な沈黙だと認識した担任に早くしろとばかりに鋭い視線を向けられる。
「……よくわからないのですが、以前父に助けられたみたいでお礼を、と」
「エンデヴァーにか」
あの人案外ファン多いからな、と呟く相澤。だが、息子である轟にその言葉はあまりピンと来ない。つい訝しげな顔で背の高い彼を見上げてしまうと、そんな顔をするなと返される。
「愛想が無いせいでオールマイトと比べられるだけでNo.1の実力は本物だよ」
お前ならわかるだろ、と暗に言われて、何も言えずに黙り込む。わかってしまうから空しいのだ。しかしそれは家族間の確執のようなもので、相澤に伝えるべきことでも無い。
そう思ってつい、話題を変えようとして先ほどの女性の話を逃げるように振ってしまった。

「あの人、『弟切の娘』だとか言ってたんで、もしかしたら父の友人の娘なのかもしれないです」
弟切というのは名字なのだろう。「弟切の娘だと言えば、きっと炎司さんもわかるかと思いますから」とそう彼女は言っていた。
父の友人の娘、と考えるのが一番わかりやすい。と、そこまで考えてふと違和感を感じた。……もしそうなのだとしたら互いの親を通じて話をした方が早いに決まっている。なのに何故偶然出会ったような自分に言付けを頼むのだろうか、という疑問が湧いてくる。……それにやはりおかしい。轟は思い返して気がついた。彼女の名字は弟切ではない。彼女はたしかに苗字と名乗ったのだから。と、考えに耽りかけて、そういえば担任が先程から何も言わないことに気がついた轟はふと相澤のほうを見て、彼のその表情に目を見開いた。

合理主義である相澤はそもそも滅多に感情を露わにしない。それはなによりも無駄であるし、感情を悟らせることが敵に対して有利を与えることもあると知っているからだ。そしてそれは日常でも変わらない。
そんな彼が驚いたような表情のまま、固まっていた。
……とはいえそれもたった一瞬の事だったけれど。しかし轟にとっては大きな衝撃だった。どうしてそんな顔をするのか。きっと、先ほどの彼女が理由なのだろう。けれど一体なぜ?
「……せんせ、」
「轟、あまり個人が特定されるような情報を他人へ不用意に口にするものじゃない」
相澤は轟の言葉を遮るようにぴしゃりとそう言った。そして先程までのことなど何もなかったかのようにいつもの無愛想な表情に戻った彼は、轟に何を言わせる暇もなく「早く緑谷たちのところへ行ってやれ。時間は有限だぞ」と告げ、さっさとその場を立ち去ってしまった。

置き去りにされた轟は何も言えないまま、しかし言われるがままに緑谷たちを元へ向かうことにした。
胸の奥に居心地の悪い妙なしこりができたような感覚を抱えることになってしまったが、やはり誰にも何も言えないまま、けれど轟はそれを忘れないようにと「弟切」と言う名前を心の中で何度も繰り返して呟いた。


◇ ◇ ◇


「親父」
居間で座布団に腰を落ち着けた父親へ、轟は襖のそばに立ったまま声をかけた。手に持っていた書類の束から無言で顔を上げ、こちらを見る炎司を静かに見つめ返す。
思えば、こうやってまともに顔を見て話せるようになったのもごく最近のことだ。
今まで碌に家に寄り付かなかった父親がたまの休日には帰るようになったこと。敵連合との戦いが落ち着き、轟もまた時折実家に戻れるようになったこと。相変わらず喧嘩腰なところはあっても兄と会話するようになったこと。同じ食卓を囲んで夕食を共にすること。
きっと普通の家庭では普通に行われていることが、ようやく出来るようになった。以前に比べれば家族との関係は良好と言ってもいい。あくまでも以前に比べれば、だが。マイナスがようやくゼロになったようなものだ。しかしそうだとしても、他でもない母が、姉が笑っていたから。
過去を許せないとしても、過去にとらわれたくはない。血縁からは逃げられないのだ。だからせめて向き合いたいと轟は思う。

「……なんだ」
呼んだまま何も言わない息子に訝しんだ炎司がテーブルに書類を置きながら口を開いた。彼らは知らないが、人を訝しむその表情をするとき2人はとてもよく似ている。
姉も兄もいない2人だけの会話。まだ慣れない2人きりの空間に、うまくテンポを取れないまま2人の会話が始まっていく。

「言付けを預かってる」
「言付け?誰からだ」
校長?いや、オールマイトか?と思い当たりそうな人物の名前を挙げる父親の問いには答えず、轟は続けた。
「『その節は貴方にまでご迷惑をかけてしまってごめんなさい。』」
「……は、?」
戸惑うような父の声にも耳を貸さずに伝言は続いていく。
「『だけどありがとうございました。』」
「…………」
「『誰か何と言おうと、あの時の貴方の判断は間違っていなかったと私は思っています。』」
「…………」
「だってよ」
炎司は眉をひそめたまま、口元に手を当ててなにかを考え込んでいたがそのうち首を振って「覚えがない」と言った。
「何のことかまるで検討がつかん。誰だ?」
「『弟切の娘』だって名乗る人からなんだが、知らねぇか?」
「弟切……」
すると彼は告げられたその名を確かめるように一度呟き、それから、「ああ……」と全てがわかったかのように深く息をついた。長らくのヒーロー活動のためか指は歪み、傷跡だらけの大きな掌で自らの目元を隠すように覆う。それからもう一度深く、深く息をついた。
「弟切…………。あの時の……」
指の隙間から見えたその目からは僅かな苦しみが見えて、轟は自分がこれまでにだって一度も見たことのない父親の表情に不意を打たれて、言葉を失くした。
どうして、そのような顔をするのだろう。まるでかつての過ちを眼前に見せつけられたかのような表情。家族とのそれにすら見せなかった表情を何故今見せるのか。それは一体どこから来るのか。

「なあ、親父。その弟切ってなんなんだ」
父親のすぐそばの畳に轟は膝をついた。しかし炎司は息子のほうを見ない。まるで何かに対して悼むのように黙して目を伏せたままだ。
「相澤先生も、弟切って聞いた途端すげえびっくりした顔してた。一体何があったんだよ」
「……」
炎司は黙って書類をまとめて手に取ると、そのまま立ち上がった。そうして隣に座り込んでいた轟を上から威圧的に見下ろす。けれど轟は目を逸らさない。じっと見つめ返して言葉を待つ。

長い、沈黙だった。
言葉を交わすよりもずっと激しく強く向き合っていた。そしてお互いがお互いに譲らなかった。そうしてその果てにようやく、少しだけ炎司が折れた。

「……どの立場に立って聞いても気持ちのいい話ではない」
「あんたの顔を見てればそんなこと言われなくてもわかる」
話をするまで逃がさないとばかりに見つめてくる目に手を上げる他なかったのだろう。少し呆れたような溜息をついてから、炎司はその気持ちのよくない話をすることにした。

「……お前が生まれる少し前にあった事件だ。とある男が事件を起こし、捕まる直前に警察の包囲網から逃げ出した」
「そいつが弟切なのか……」
「ああ。その男、弟切は個性を行使しながら逃走を続け、その時最も近くの地区にいた俺が応援に駆けつけた」
その時近くには俺しかいなかった、と彼は言った。まるで他に誰かがいたのなら、という仮定の話をするかのように。
「ヒーローがやってきても当然弟切は個性を使って抵抗しようとした」
「……それで、親父はどうしたんだ」
一度深く目を閉じてから、炎司は「応戦、」するしかなかった、と言いかけて、それがあまりにも言い訳じみた言葉のように思えて、息子に知られないように内心ひとり自嘲した。

「……応戦した。当然だがな」
相槌を打つようにうなづいた轟が次の言葉を待つ。
言い訳ならいくらでもできる、と炎司は思った。弟切は凶悪な連続殺人犯であり、すでに警察官をひとり殺害していた。あの場には一般市民も多くいた。迅速な対応を求められていた。弟切は強力な個性の持ち主だった。
だとしても。

「応戦した結果、俺は弟切を殺害した」
「………………は、?」
淡々と吐き出した言葉に見開かれた息子の瞳。けれど炎司は目を逸らさなかった。例えそこに失意や怒りが混じっていたとしても。
「っ、どういうことだよ、ヒーローはヴィランを生かして捕縛だろ……」
「原則は、だ。警察官に最悪の場合犯人の射殺が許可されているように、ヒーローにも何度かそれが許された事例がある」
「許された、って……」
「だから俺はまだヒーローとして活動し続けられている」
何かを言いたげに口を開く轟を遮るように炎司は言葉を吐き出した。
「言っただろう。どの立場に立って聞いても気持ちいい話ではないと」

「ヒーローエンデヴァーは最悪の手段を取った。お前の父親は人を殺した。……まだ、幼い娘がいる男の命を奪った。すべて事実だ」
炎司は静かに目を閉じる。そこでようやく、2人の視線が途切れた。
「……焦凍、この件についてはもう詮索するな」
それだけを言い残して、炎司は部屋を去っていった。

轟は遠ざかる父親の足音を背に受けながら、あの日出会った女性のたおやかな微笑みを思い出していた。

(「誰が何と言おうと貴方の判断は間違っていなかったと、誰よりも私がそう思っているのだと、どうかお父様にお伝えくださいませんか」)

あの日彼女が言った言葉の意味を。

(2018.12.11)
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