One day



「夏、終わんねえで欲しいよな」
家庭科室の大きな冷蔵庫の中身を覗く、その背中へ届くように言葉を紡いだ。
なんでもいい。同意や否定、或いはそれ以外のなんらかの言葉なんかが欲しかった。自分と相手、その2人しかいない家庭科室はやけに広々としていて、いっそがらんどうと呼んでも差し支えはなさそうだった。それが段々と秋めいていく日々の切なさに拍車を掛けたものだから、独り言などで終わらせたくなかったのだ。

「それはまた、なんで?」
「あー、んん、なんつーか、こう、寂しいだろ」
背中を向けたまま、尋ねる苗字へ言葉を返して、そうして改めて自覚する。
寂しい。そう、寂しくなった。
夏の終わり。静かな海。落ち葉の日々。それから、引退。去年とは違う、明確な区切り。不透明なこれからに目を向けると少し、暗い夜の海に向かい立つような心持ちになる。

そんなこちらの心象など知らず、ガシャガシャと音を立ててなんらかの材料を取り出した彼女はこちらを振り返って、取り出したものを作業台の上に置いた。
「黒羽はさ、夏の定義ってなんだと思う?」
「……俺、難しい話はできねぇからな」
「まあ、聞きなさい」
作業台を挟んで向かい側。背の低い椅子に座ったまま生み出した言葉に、立ったままの苗字が質問を投げかけてくる。テニスボールを投げたらバスケットボールが返ってきたような、そんな変化球。そうだねぇ、程度で終わると思っていた話が予期しない方向へ転がりだした予感に苦笑する。

「暦の上では、」
と、喋りながらも慣れた手つきで作業を始める姿をぼんやりと眺める。他人の、慣れた手つきを見るのがなんとなく好きだ。
「立夏から立秋の前日までが夏なんだよ」
オジイが図面も無しに木を掘り出してラケットを作る手つき。或いは、ダビデが器用にウチの犬小屋を組み立てていた時のような。
「けど、立秋って何時か知ってる?」
言われるがままに彼女の言葉に耳を傾け、すこし考えてから、首を横に振る。すると苗字は答えられなかった俺を見て少し嬉しそうにニヤッと笑って、「8月8日」と正解をくれた。

「でも8月8日なんて、まだ全然夏真っ盛りじゃん。だからもうこの定義は現代的じゃないわけよ」
「まあ、そうだな。確かに」
今年の夏を思い返す。9月になってもまだ始めの頃は暑かった。10月に近く今頃になってようやく、夏の暑さを忘れかけてきたくらい。

「じゃあ夏の定義ってなんだ?ってなるじゃん。暑くなってから涼しくなるまで?でもそれって人によって違うでしょ。もしかしたら気温0度でも暑いって思う人もいるかもしれない。そうしたらその人は年がら年中夏ってことになっちゃうじゃんか」
シロップが注ぎ込まれて、透明だったグラスが鮮やかな赤色に染まっていく。カランコロンと高く鳴り響く音に真夏の昼を思い出した。
「そう思うとさ夏なんてそう簡単に定義できないものだ、って思うんだよ。だからさ、私たちが今は夏だって思ったらその瞬間がもう夏なんだよ」
「なるほど。……って、そりゃあ詭弁じゃねぇの?」
「論理の穴をついたと言って欲しいね」
なはははは、と気の抜けた笑い声を上げて、彼女はグラスのてっぺんに真っ白なアイスクリームを乗っけた。そうしてそのグラスをスススッと机の上で滑らせるようにこちらへ差し出した。

「クリームソーダといえば夏。夏といえばクリームソーダ。というわけで、はい、夏続行です」
「おー、赤いクリームソーダとか初めて見たわ」
真四角の氷に張り付いた炭酸の泡が沸き立っては消え、そしてまた沸き立つ。そうして氷の上に乗っかるようにおかれた半球の形をしたアイスクリーム。パチパチと弾ける炭酸は明度の高い澄んだ赤色だった。
「今日だけ、君だけの特別なカラーだよ」
「ハイハイ、嬉しい嬉しい。んで?その心は?」
「……文化祭で使ったイチゴシロップがめちゃくちゃ余っててさあ」
「そりゃあ、……あー、ご愁傷様?」
「これ使い切るまで夏は終わせられないんだよ……」
そんな苗字の少しばかり深刻そうな物言いに同情する。シロップなんてカキ氷かクリームソーダくらいにしか使わねぇもんなあ。夏が終わったら使い所が難しい。スーパーでも見かけなくなるし。
受け取った長いスプーンでグラスを掻きまわす。正面の彼女もまた、自分のクリームソーダのグラスに口をつける、薄く淡い色の唇。

「……そっちも引退か?」
「引退だよ。料理研究部部長改めただの一般生徒。寂しくなるねえ」
「だよなあ。あいつら、後輩とかはいつでも来てくれって言うけどそうもいかねぇだろ」
「いかないよねえ、代替わりしたらもうその子らが引っ張ってくわけじゃん?あんまちゃちゃ入れたくないしさ」
「そうなんだよな、って、あーやべえ痛え、キーンときた。やっぱこれ秋に食うもんじゃねえよ」
「まだ夏!」
「いや無理があるだろ、やっぱり」
夏!と叫んだ彼女もすぐに顔を歪めて側頭部を手で抑えた。口は開かないが、やはりクリームソーダの洗礼にあってしまったらしい。声を上げて笑ってやったら睨まれた。

「話変わるけどよ、俺今日誕生日なんだわ」
「へえ、おめでとうじゃん」
苗字は相変わらず頭を抑えたまま、軽い社交辞令。祝いの言葉を言わせてしまったなと内心少しだけ反省する。
そんなことを思っていると、彼女はおもむろに立ち上がって、再び冷蔵庫を開けた。ふふふふふーん、と鼻歌が聞こえて、ああ、聞いたことあるな、何の歌だったっけなあと記憶の引き出しを開けてみたりしながら、彼女の行動を待っていると、小さな袋を取り出した彼女がまたこちらへ戻ってきた。袋の中から何かを取り出して、俺のクリームソーダにパラパラと撒く。
「おっ、チョコチップ」
「ハッピバースデートゥーユー」
半分以下に減ってたアイスの上に多めにチョコの粒が撒かれる。太っ腹だなと言うと、君だけ特別だぜえと笑って、それから自分のものにも掛けはじめた。
「おいおい、俺だけの特別はどうしたよ」
「私は調理者。つまりこのクリームソーダを生み出した神なので」
俺のやつより1.5倍ほど多めにかけて、チョコチップを再び冷蔵庫へ戻した。

ズッーーーーーーーー、ズッ、ズズズズズ、コロロロロロ、と、2人してクリームソーダを飲み干したところで、不意に、バンッ!と大きな音が窓ガラスのほうからした。というか、窓ガラスが何者かの手によって叩かれた。俺と苗字、向かい合ったまま、唐突な音に肩を震わせて顔を見合わせる。

「バネさん!」
音と声の方へ反射的に顔を向けたら、そこには。
「もー!バネさん!すっごく探したんだからね!って、女の子と2人きり!?えっ!もしかして彼女!?」
「2人で密会してみっかい?……プッ」
見慣れた可愛い後輩たちだった。

「あらら、君んとこのおもしろ名物後輩じゃん」
「あいつらそんなふうに言われてんの?」
「あの子ら、見てるぶんには面白いよね」
暗に観賞用だという、剣太郎が聞いたらショックを受けそうなセリフに苦笑する。校庭側の窓ガラスの向こうでまだギャイギャイと騒がしい2人をBGMに、グラスの中に残った氷を転がして苗字が微笑んだ。
「行きなよ。テニス部で誕生日パーティーでもしてくれるんじゃないかな」
「そうかあ?」
「そうに決まってるでしょ」
ニッと笑った苗字が「いってらっしゃーい」と、ひらひら手を振った。
「やっ、でも片付けとか、」
「いーって、いーって!片付けるまでが調理よ」
少しだけ思考を巡らせて、その言葉に甘えることにした。「スマン!」と手を合わせて頭を下げてから、床に置いていた荷物を手に取る。そうして後輩たちの方へ足を進めた。

「黒羽」
名前を呼ばれて振り返る。
すると苗字が、
「まだ寂しい?」
なんて言って笑うから。

外からの呼び声と、屈託無く笑う彼女。
落ち葉の日々。静かな海。夏の終わり。こぼれる光。確かに残った後悔と、戻らない日々への寂寞。冷たい海にも太陽の光は降り注いで、それでも砂浜は温められていく。

嗚呼、気を遣われていたのだと、ようやく今になって気がつく自分に少し呆れる。
けれど謝るのは違う気がして、笑いかける彼女へ笑顔を返す。
「ありがとな!」
大きく弧を描くように振った手に、小さく、けれど確かに振り返された手が嬉しかった。

夏の終わり、移ろいゆく秋の日のこと。


(2018.9.29)
バネさんの誕生日祝いに書いていました。
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