自爆



量の多い髪を束ねて、一つのお団子にしていた。俺は彼女の後ろ、少し高い目線からそれを見ている。台所の彼女はパタパタと世話になく動いて、少し離れた冷蔵庫に寄りかかる俺のことなんか、ちっとも見やしない。

むせかえるような暑さ。夏だった。西へ行っても東へ行っても、夏。何が楽しくて、夏。
吹いた風が窓辺の風鈴を鳴らしても暑い。我が家は海にほど近いから、こんな熱い夏の日は近所の子供達が浜辺で遊び回っている。その喧騒がこの台所にまで届いていた。

ビニールプールやかき氷にはしゃぐ年ではなくなった。けれど、まだ未成年。娯楽の少ない島だけど、離れる気になれないのはきっと好きだからだ。この島にある色々なものが。目の冴えるような都会よりも。そしてそれはどうしようもないほどに心の中に根付いてしまっている。たとえ何処へ行っても、俺の帰る場所はここなのだろう。どれだけ遠くに行ったとしても「おかえり」と微笑まれる幸福を知ってしまったから。

「凛くん」
彼女はこちらに背を向けていて、顔は見えない。朝からずっと結んでいたお団子が時間が経つごとにゆるくなっていって、今は少し崩れかけている。
まとめあげられたことで露わになったうなじ。少し日に焼けたその肌も大変よろしい。
けれども、さわってみたいのはお団子からほつれた黒髪のほう。うなじのすぐそばでまとめあげられたお団子から外れた髪が癖を残しながら僅かにほつれていた。その数本の髪を親指と人差し指で挟んで、つうーっと、抜かないくらいの力で摘んで引っ張ってやりたい。驚くだろうか。そりゃあ驚くだろう。びっくりして、振り返った、彼女のその顔が見たいのだから。

「凛くん、聞いてる?」
彼女が振り返った。当然その顔は驚いてなどいない。いつもの、ごく普通の、笑ってもないけど怒ってもなくてけど無表情でもない、そんないつもの顔で俺を呼んだ。だから俺は笑う。悪い悪いってまるでそう思ってないみたいな顔で笑う。
「ぬーがや?姉ちゃん」
「聞いてなかったでしょ」
「聞いてなかったさあ」
「やっぱりね」
そう言って笑ってくれた。

姉ちゃんって呼んでるけど、実の姉ではない。3つ上の従姉妹。家が近くて、幼馴染どころか家族同然に育った、俺の好きな人。
初恋の人、ではないはずなのだけれど、気がついたらどうしようもなくこの人が好きだった。結婚したいって、俺のものにしてしまいたいって、そう思ってしまっていた、いつのまにか。それでもずっとそんな素振りを見せずにいた。そうしようと決めていた。俺が18になるまでは。怖がられないように、身を引かれないように。その時が来るまで。

家族同然に育ってしまったから、彼女は俺のことを弟くらいにしか思っていない。それは歯がゆかったけど、悪いことばかりでも無くて。そばにいることは簡単だったからいくらでも悪い虫は払えた。

「シロップ、どれがいい?」
「なにがあるんばぁ?」
「えーと、いちごとレモンと、ブルーハワイ」
「じゃあ、わんはイチゴ」
「おっ、いつものだね」
そうやって笑った彼女より、いつしかずっと背が高くなっていた。体つきも大きくなって、腕も脚もずっと太くなって、筋肉もついた。多分きっと絶対に、今の俺は彼女よりもずっとずっと速く長く走れる。でも、多分きっと絶対に、彼女の中にはかけっこで転んで泣いてた子供の時の俺の思い出しか無いのだろうな。

もしも、18歳になったら。
大人、とはまだ言えないとしても、結婚ができる。従兄弟同士でも結婚ができるって知って、海に飛び込むくらい喜んだ中1の時の俺があの日から変わらず俺の中にいて、ずっとその時を待っている。

「かき氷作るんばぁ?」
「ううん、今日はクリームソーダ」
ちゃんとアイス、乗っけたげるからね。
彼女は微笑んだ。ソーダ水取って、って言葉に素直に従って冷蔵庫から冷えたペットボトルを取り出して渡す。その時、一瞬だけ触れ合った彼女の薬指。その温度が自分のより少し高くて、心臓が大きく跳ねた。すぐに自分のに馴染んで消えていってしまった薬指の体温。跳ねた心臓の感覚がまだ消えない。

夏、どこまで行っても、夏。
なにが悲しくて、夏。
たった15回目の夏。もう15回目の夏。積み重ねてきたこれまでと、積み重ねていくこれから。年月と感情と、言語化し切れない様々なこと。

「…………ね、」
姉ちゃん、って呼ぼうとして、やめた。そのような意味なんてなくっても、言葉は意味を縛ってしまうから。

「……名前」
だから、名前で呼んだ。彼女はそれを戯れだと笑って、こちらを見る。そんな彼女の眼差しの向こうに俺がいた。

夏、遠い喧騒、氷がグラスにぶつかる音、汗で首筋に張り付いた髪の毛、湿度に膨張した木材の匂い。キンキンに冷えた炭酸水。透き通っていく珊瑚色のソーダ。篭った熱に桃色に染まった彼女の頬、緩んだ目元、柔らかな微笑み。
ただ、それだけのこと、ただそれだけのことだったのに。

表面張力から溢れてしまった感情が、真夏日の呆れかえるような熱さと混ざって、今、決壊する。

風が吹いて、風鈴が高く鳴く。
彼女は笑った顔のまま、何が起こったのかわからないって表情。固まったまま、驚いていた。

ああ、待つつもりだったのに。本当の本当に、ちゃんとその手を取れようになるその日まで、待つつもりだったんだ。
だけど、止められなかった。溢れ出した感情が決壊するみたいに、彼女への想いが、言葉が、心が、俺の口から飛び出て行ってしまった。

嗚呼、だけど18歳になったら、従兄弟でも、結婚できる。ずっといられるんだよ。俺はいたい。そうでありたいんだよ。俺の抱える感情はもうそれだけだから。あとはもう、その先はもう、未来はすべて、あなたに委ねたっていい。

夏、どうしようもないほど、夏。
笑えるくらい、夏。

静かな台所で、硬い氷が音を立てて溶けた。

(2018.6.17)
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