思案の外じゃない



「なんだこれは」
「見ての通りだよ」
お守り、と言って、苗字は平等院の握られた拳を開かせるとその手の中にざらついた生地でできた布の袋を握らせた。
碌な説明もなしに渡してくるその手を振り払うことなど容易だったが、彼はしなかった。己の手にふれる指が驚くほど白く細く、加減を間違えたら折ってしまいそうだと思えたからかもしれない。
掌の中に押し込められた布袋を平等院は手を開いて改めて見つめる。染め抜かれた赤がやけに目に入った。
「ユニフォームは赤だったでしょう」
合わせてみたの、と彼女はそう言って目の前で相好を崩す。

嗚呼、こんなもの、情や馴れ合いそのものだ。

そう騒つく胸の内に対して、感情は酷く落ち着いていた。自分でも呆れ返ってしまうほどに。
不意に平等院は僅かに踏み入った浅瀬から深い色をした湖面を眺めているような気分になった。より深みへ立ち入れば、溺れてしまう。そんな予感がするのだ。彼女を目の前にするときは、いつも。

「俺は神や仏なんぞに祈らん」
だから返す、と、だから不要だと、暗に言った筈だった。そんなこともう既に、いやきっと渡す前からわかっていただろうに、けれど彼女は優しくそれを拒絶した。
「貴方はそうでも、私は違うの」
持っていて、私が安心するから。

そう囁く彼女の穏やかな微笑みこそ、思えば平等院にとっては忌避すべきあらゆる現象の根源だった気がする。
いつだってそうやって毒にも薬にもなりえない要求をゆっくりと穏やかに、まるで絹布に染液を染み込ませるが如く通してくるのだ。

その度に彼は思う。
彼女から与えられる感情を、慈愛を、愛念を受け入れるたびに、自分が望んでいない自分に染められていくようだ、と。
理解しきれない感情の水位が彼の足を、膝を、腰を、段々と濡らしていく。重たい水に絡め取られる肉体。全てを飲み込もうとする水がもうすぐそばまで迫っている。そんな予感がもうずっと絶えない。

平等院は掌の上の布袋を睨むように見つめる。
己が往く道は修羅であり、そこでは一抹の情も義も己の命を晒す隙にしかならない。それを理解してなお、この小さな小袋が自分の命を脅かすものになるかもしれない。そう思ってしまった。
不意の一瞬、命のやり取りの最中にさえ、自分はこれを失う事を惜しがってしまうかもしれない。そんな自分がまだ心の奥底にいることに、彼は自身の内心のずっと奥の方で気がついていた。そんな自分を何度も何度も殺そうとした。
けれど、どうしてそれができなかったのか。

そうやって、掌の中の小さなお守りひとつ握れなかった彼を、苗字は愛おしく笑った。
「本当に、呆れるくらい生真面目な人」
こんな、要らなくなったら捨てればいいだけのものを。お守りなんて大層な名前をつけたって、所詮はただの布の袋。ただの布と糸の集まりだというのに。

受け取ることのできない平等院を見て、彼女はわかっていたと笑いながらその掌の上の布袋を自身の手に戻そうとした。その瞬間、平等院はお守りをぎゅっと握って自身の掌の中に隠してしまった。
まるで、返すつもりはないとばかりに。

「無理に受け取る必要はないんだよ」
「俺に寄越したんだろうが」
「要らないかと思って」
「要らないとは言ってねぇ」
「……貰ってくれるの?」
その問いに平等院は押し黙ったまま、お守りをポケットの中に押し込んだ。よく出来ているが、表を見ても裏を見ても社寺の名称は何処にもなかった。その訳がわからないほど間抜けではない。

「まだ荷物に空きがある」
嘘ではなかった。例え荷物がぎゅうぎゅうだろうと、こんな薄っぺらなものひとつくらい、容易に入ってしまうだろうけれど。

「……そっか」
お守りを取り返そうとした時とは違う、穏やかな表情で彼女は微笑んだ。それを見るたびにやはり、息がし辛くなるのだ。

(2018.6.7)
「義理や人情守れるならば 恋は思案の外じゃない」都々逸
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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