一生のお願い



「お前は冷血だ」なんてよく知らない他人に指をさされても何とも思わなかった。
へえ、そうなん?って感じ。傷つくふりすらする必要も感じなかった。お前がそう思うんならそうなんやろな、お前ん中では。
俺にとってそれは蚊に刺されたようなもので、ダメージなんてゼロだった。
けど、いくら蚊とは刺されたら痒くて、それが気になってつい掻いてしまって自分の爪で自分の肌を傷つけてしまうような、そんな自傷のような他傷のような、そんなできごとがあった。
それはもう随分昔のことだけれど。


「じゃ、家のことはよろしく」
って、ひらひら手を振ってスーツ姿の名前が家を出たのが数日前の朝のことだった。
一週間東京まで出張だと言っていた顔を思い出す。
「あかんな、東京行ったら方言封印せな。東京で関西弁つこうたら村八分にされんのやろ」
なんて、へらへら笑ってそんなことを言っていたが、俺にはわかる。名前はきっとうっかりポロっと関西弁を使ってしまうけど、それが可愛らしいって言われて周りから愛されるタイプだって。

愛想が良い名前は俺とは正反対で、俺に無いものを持っている。逆に俺は名前の持ってないものを持ってる。けど、だからと言って、お互いがお互いに無いものを持ってるから上手くやれてる、なんて陳腐なことは言いたくない。
そんな理屈が通用するのなら今頃俺は全世界の人間と上手くやれてるし、世界はあっという間に平和になってるはずだ。だって他人と違うところがない奴なんていないから。

別に名前のことは嫌いじゃない。
嫌いだったら一緒に暮らしてない。
冷血だって言われても、なんだかんだ他人と暮らせてる。それなりに上手くやっていけてる。別に誰になんて言われようが構わない。
名前が俺をどう思ってるかは知らないけど、別に冷血だって思われてても気にならない。血も涙もないって思われてても、別に構わないけど。

けど、どうなんだろうな。

冷血な俺はあいつが急に死んでしまってこの世からいなくなっても一切泣かないのだろうか。わからない。考えたこともなかったし、それ考える必要あんのかっちゅー話だし。

名前のいない日々だが、俺は1人ででも生活はできる。仕事して、自分で飯作って、寝て、起きて、仕事して、ってエンドレス。名前がいてもいなくても、変わらないことばっかり。
あんな、これまでの俺の人生の中で、あいつと一緒にいた時間よりいなかった時間の方が多いんやで。だから、名前がいないと生きていけないわけがない。せやろ?


『ほんとは寂しいんやろ?』
なあなあ、ホントはそーやろ?
電話の向こうの名前は嬉しそうな声でそう俺に尋ねた。
あいつが出張に行って、4日目の夜。
電話を耳に当てた俺はキッチンの椅子に腰掛けて、今ここで電話を切るのも1つの手だなと考えていた。

電話をかけたのは俺からだった。
滅多にやらないことをやると、こういう人種を容易に調子に乗らせてしまうと今ここで学んだ。というか、俺も大概人のことは言えないが、なぜ素直に電話が来て嬉しいと言えないのか。……まあ、この疑問はブーメランになってしまうからやめよう。
「あほ、寂しいのはそっちやろ」
せやから電話かけてやったんや。感謝せい。
冷たく言い放ったのに、名前の声音には相変わらず笑い声が混じっている。もうちょっと真面目な声だったら少しは優しいことを言ってやるのもやぶさかではなかったかもしれないのに。

『せやせや、光、聞いてや。あんな、うち仕事中は頑張っとったのに休憩んときにフツーに関西弁で喋ってしもうてな、みんなに笑われてもうた』
「全然ダメやん」
『ダメやった。あかんわ、うち大阪でしか暮らせへんわ』

あったりまえやろ!!

そう叫びたくなったのを必死にこらえた。
今そこにいるんだって知ってはいるけど、東京にいる名前なんて全然想像がつかない。ごちゃごちゃしてる大阪でへらへら笑ってべらべらマシンガントークかましてるのが一番似合ってる。
なんで東京なんか行っとんねん。アホか、はよ帰ってこい。

……などと言えるはずもなく、単調な声帯はいつも通りの俺を演じ切った。時間にしてたかが20分かそこら。1日は1440分だから、その中のたった20分。短っ。
ツーツーと無機質な音が鼓膜を揺らす。携帯を耳から離して、ぽんと適当に机のほうへ放った。
部屋、こんなに静かだったっけ。違う、あいつの声がうるさかったから、その落差のせいで静かに感じてしまうだけ。
音楽でもつけようか、と思ったけど、もう自分でわかってしまったから指は動かない。今はダメだ、今は、今だけは音楽でもきっと心は癒せない。

はー、と深い溜息が出た。
左掌で自分の両目のあたりを覆う。静か過ぎる部屋に自分の溜息がやけに響いた。椅子の背もたれに深く体重をかけた途端ギシリと音を立てる。

マジか、俺ってたかが数日名前がおらんだけでこんなんなるん?あとたったの3日なのに?
今、急にあいつの仕事が早く片付いて明日の朝に「ただいまー」って呑気に名前が帰ってくる妄想しとるけど、俺正気か?
誰やねん俺のこと冷血だのなんだの言った奴、名前も顔も忘れたけど、お前ほんまこれ見てもそれ言えるん?
もう一度深い溜息が勝手に出た。今晩はいくらでも出せそうだ。

死にたい。
具体的に言うと名前より先に死にたい。
もう無理や、ってわかってしまった。名前に先に死なれたら困る。めっちゃ困る。寂しくて、寂しくて、ダメになってしまう。
俺が死んだ後1人置いてかれた名前が可哀想とか言われてもそんなん知らんし。1人置いてかれた俺の方が絶対に可哀想やろ、常識的に考えて。
左手を顔に置いたまま目を開く。ぼやけた視界の中で、左手の薬指の付け根がきらきら光る。名前とお揃いのそれ。俺が人生の中の、最高の選択のうちのひとつがそこにあった。

もっかい電話かけたい。
俺のちっちゃいプライドがそんなことを許すわけがないけど、かけたい。今すぐかけて、あのうるさい声が聞きたい。あと3日がアホみたいに長過ぎる。

「あーーー……はよ帰ってきてぇや……」
生きてる間めっちゃ幸せにするし、めっちゃ稼いで莫大な遺産残したるから、俺より先に死なんで。
頼むわホンマ、一生のお願いやから。

(2018.4.19)
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