いつか王子様が



永四郎だって、どうせ卒業したら本土に行っちゃうんでしょ。
なんて、まるで拗ねた面倒くさい女みたいなことを言ってしまった。
「拗ねた面倒くさい女ですね」
「そういうこと思っても言わない」
自覚はあった、から余計に腹が立つ。
永四郎は相変わらず呆れたような目で私を見下ろす。それから軽く、溜息をついて言った。
「ええ行きますよ、進学は東京ですから」
「……やっぱり」
「来ないんですか」
「東京なんて簡単に行けるとこじゃないし」
海岸のそば、コンクリートの防波堤の上でずっと膝を抱えていたからお尻が痛い。手だって痺れてしまった。
なのに私の横に立つ永四郎はジンジンしてる私の手を取るから、重力に逆らって上へ連れていかれる私の腕につられるように顔を上げる。永四郎の顔と、夕暮れの少し暗くなってきた空が視界いっぱいに広がった。

「3年」
「へ?」
「3年待ってなさい」
「なんで」
「迎えに行きますから」
思わず顔を上げて彼を見つめた。
それはいつもの意地悪なことを言う時の顔でも、嘘をついてる顔でも、揶揄う時の顔でもなかった。
だから私はその言葉だけで嬉しかったのに。

「…………詐欺?」
「ゴーヤ食わすよ」
「……私、甲斐くんとかと違ってべつにゴーヤ食べれるもん」
「じゃあ歯磨き粉食わすよ」
「怖っ」
まざまざと想像ができた。こう、私の顎をガシリと掴んで、チューブの歯磨き粉を口の中に流し込む永四郎の姿が。
ムギィと微妙な顔をしたまま、私の頭の中で勝手に想像が加速する。
具体的に言うと、もはや歯磨き粉を投げ捨てて、リングの上で己の腕力のみで私を卍固めする永四郎。私のマネージャーである知念くんがタオルを投げるも、永四郎は止まらない。軋む骨。激痛。遠ざかる意識。投げ入れられるも無視され続けるタオルが1枚、2枚、3枚…………。
「何を考えてるんですか」
「いや、その、タオル、12枚目なんだけど……」
「タオル?」
空想の中の永四郎は止まらなかった。
タオルを投げても。ゴングが鳴っても。

「どうせ碌でもないことを考えてるんでしょう?」
「いて」
永四郎は行儀悪く膝で私を小突いた。永四郎は無駄に脚が長いので、彼の膝は丁度私の頭のあたりにくる。すとんと打たれた側頭部がカクンと揺れた。
いつもみたいに、なにするのさ!って怒って、喚いて。そうすることもできたけど、なんとなくそんな気分じゃなかった。
頭が揺らされて、そのせいで前髪が目元にかかる。それを海から流れてくる潮風がぶわりと払った。

まとわりつくような暑さも、水平線に沈む夕日の眩しさも、どこまでも広くて青い空も、私のことも、全部置いて行っちゃうくせに。

「永四郎、手離して」
「何を拗ねているんですか。もう帰りますよ」
もう一度、コツンと。さっきより優しく小突かれた。私は俯いたまま、手を引かれたまま、このまま貝みたいにじっとしていたくて、でも置いていかれたくはなかった。

「3年ってさぁ、」
長いよ。
呟いた声は小さくて、もしかしたら永四郎には届かなかったかもしれない。聞いて欲しかった気もする。聞こえなくてよかった気もする。自分の感情なのに、よくわからない。だから少し、困る。

永四郎は何も言わない。
言わないまま無理やり私を引きずって歩いていく。
「ええええええ……」
ずりずりずりずり、とコンクリートの上。引きずられるがままのお尻が痛いし、制服のスカートが破けそうで思わず「たんま!」と声を上げた。
「なんですか」
「いやなんですかじゃないよ!削れちゃうよ!」
「適切な対応でしょう?」
「今のが?」
「今のが」
仕方なしに立ち上がって、汚れてそうなスカートをパンパンと払う。永四郎は、初めからそうすればいいんです、と言ってラケットケースを背負い直した。
叶うことなら私の右ストレートをお見舞いしたかった、が、空想の中ですら永四郎に勝てない私が現実で勝てるわけがないので大人しくする。永四郎は攻撃されるとそれを何倍にもして返してくる。賢い私は小中学校の長い付き合いですでに学習したのだ。

立ち上がった私と永四郎は防波堤の上。
ここからは遠くまで海が見渡せるけど、さすがに本土までは見えない。当たり前だ。だって、遠いんだもん。遠くて、私じゃ行けないよ。

歩き出す。進んでいくのと同じくらいのペースで日は沈んでいく。家に着く頃にはきっと暗くなってるだろうな。
「言っておきますけどね、」
不意に隣から低い声。それは漣の音に紛れることなく、私の鼓膜を優しく揺らした。
「あなたに恋人はできません。王子様は来ませんよ」
「なっ、何さ突然!ってか、何を根拠に、」
「見てればわかります。来ません」
「そんなのわからないじゃん……」
「わかります。来ません」
「く、来るもん……多分」
「来ません」
「来ーーるーー!」
「来ません」
必死に否定するものの、永四郎にそう言われてしまうとそんな気もしてくるのが悲しいところだ。
そのうち何も言えなくなって黙っていると、永四郎がずっと握ったままの手にぎゅっと力を入れた。

「だから3年です」
「うん……」
「長いですか」
「……長いよ」
「それでも待ってなさい」
「待ってたら来てくれるの」
「そう言ったでしょう」
「東京で可愛い女の子と付き合って、私のことなんか忘れちゃったりしない?」
「あなたみたいな人、忘れたくても忘れられません」
否定するなら後者じゃなくて、前者の女の子と付き合うほうを否定して欲しかった。私みたいな人って何さ、その言い方じゃまるで私が変人だから忘れられないみたいじゃないか。

「…………言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「いーもん、別に無いもん」
「俺はあります」
「なに?」
先に足を止めたのは永四郎だった。繋いだ手につられて、私も足を止める。

「信用しなさい」
永四郎は私をしっかりと見て、そう言った。
「ちゃんと迎えに来ます。簡単に約束を破れないくらい、俺はあなたのことが大切ですから」
珍しく、ほんっとうに珍しく、彼が優しい声でそんなことを言うから、私はその穏やかな表情に見惚れてしまった。
ああ、信じてしまうな、何もかもを許してしまうなって、自分のチョロさに呆れながらも心が静かに解かれていく気がした。
「…………待ってる」
「よろしい」
「もし迎えに来てくれなかったら海泳いで地べた這いずり回ってでも私の方から永四郎のところに行ってやるから」
そういうと彼は肩を揺らして笑った。
「ああ、それもいいかもしれませんね」
「いやよくないから。ちゃんと迎えに来てよ」


陽は落ちて、星が浮かぶ。
その下を2人で歩いた。別れ際に手を振る。振り返されることに僅かな安堵。少し離れた位置で永四郎が笑ったような気がした。
「また明日」
ただの気のせいだったかもしれない。
私の家よりもう少し向こうの方にある永四郎の家。帰路につくその背中を、家の門の傍で静かに見送る。

また、明日。
そんなささやかな約束がどうしてか時折堪らなく苦しくなって、堪らなく嬉しくなる。
この平穏がいつか過去のものになるとしても、今はただ未来に期待を。


その日の夜、夢を見た。
今より少し背が高くなって、なんだかオシャレになった永四郎がでっかいゴーヤに乗って私を迎えに来てくれる夢を。
差し伸べられた手を取る。そんな夢を。


(2018.2.6)
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