前日譚というか当日譚というかちょっと前の話



しなやかな腕の祈りの前日譚
※どちらから読んでも支障ありません


「主ィ!」
蜻蛉切の怒号が響いた。
着替えを持ってくるのを忘れたと、風呂上りの審神者が全裸で屋敷を闊歩していた。
次郎太刀は「アンタ汚ったないもん見せてんじゃないよォ!」と酒を煽ってゲラゲラ笑っていたし、山姥切国広すらも一切赤面することもなく「そんな格好でウロチョロするな」とちびちびお猪口を舐めていた。
だからこの本丸に顕現したばかりの同田貫正国は、別に女人が全裸で歩いていることはおかしいことではないのか、と思った。
「どうか恥じらいを持ってくだされ!」
もちろん真っ赤になった蜻蛉切の怒号ですぐにその考えが間違いであると知るのだが。


「主ィ!」
蜻蛉切の怒号が響いた。
今日は暇だから庭仕事を手伝うと申し出た審神者が水やりのホースを手に取ったまま「もうバレてしまったか」と舌を出した。
「明日提出の書類が溜まりに溜まっております!終わるまで部屋からは出しませぬぞ!」
ドスドスと足音を立ててやってきた蜻蛉切に首根っこを掴まれて執務室まで連れ戻される審神者を同田貫は呆れたような顔で見送った。
「なんですぐバレるってわかってんのにサボろうとすんだよ」
同田貫が呟くと、同じく内番の宗三左文字が細く白い腕で雑草を抜きながら「貴方にもそのうちわかりますよ」と言った。


「主ィ!」
蜻蛉切の怒号が響いた。
審神者は酒を医者に止められているらしい。酒を取り上げられた審神者は泣いていた。そして審神者に酒を勧めた次郎太刀も共々蜻蛉切に叱られていた。
「禁酒すると約束したではありませぬか!」
説教はもう一刻も続いている。いくら夜が長いとはいえ、この調子では夜が明けてしまうのではないだろうか。審神者が禁酒していたなど露ほども知らなかった同田貫はカクテル作りに目覚めたという乱藤四郎にジントニックを作ってもらいながら正座で震える審神者と次郎太刀を眺めていた。
「つーか、仮にも神との約束破る奴がいるかよ」
思わずそう呟くと「もはやそれどころの騒ぎじゃないからね」と、乱はグラスを差し出してそんなことを言った。受け取った同田貫はゆっくりと酒を喉に流し込む。……洋酒ってのも悪くねぇな。


「主ィ!」
賭場に行っていたことがバレた審神者が叱られている。

「主ィ!」
箒をバットに脇差たちと草野球をしていた審神者が追いかけ回されている。サボっていたらしい。

「主ィ!」
なんだかよく知らないが今日も元気に審神者が怒られている。


「大変だな、近侍ってのも」
同田貫がそう話しかけると、陽の当たる縁側で日向ぼっこに興じていた鶯丸はキョトンと首を傾げた。
「なんの話だ?」
「なんのって、だから蜻蛉切のことだよ。あんな騒がしい主を毎回叱ったり仕事させたりしなきゃなんねぇんだろ?俺にゃあできねぇな」
今だって理由は知らないが、審神者が蜻蛉切に叱られている。
いつものことだが、審神者からはまるで反省の色が見えない。
自分を叱る蜻蛉切を見つめてヘラヘラと笑っている。
そのうち今度は笑いすぎて反省の色がないという理由で再び叱られている。
なんというか、審神者にしろ蜻蛉切にしろ、近侍だからってよくもまあ飽きないものだ。
「違うぞ、同田貫」
「は?」
不意に隣の鶯丸が茶を啜りながら穏やかにそんなことを言った。騒がしい2人から離れた縁側は静かで穏やかだ。

「違うって、なにがだよ」
「近侍は俺だ」
「……は?」
「蜻蛉切は別に近侍でもなんでもないぞ」
同田貫はポカンと口を開いたまま鶯丸を見つめる。

「お前がここに顕現した時から近侍はずっと俺だ。よく思い返してみろ、近侍とはつまり第一部隊の隊長だろう?」
そうだった、同田貫が隊員として戦闘を行なっている第一部隊の隊長は彼がこの本丸に来た時からずっと鶯丸だった。
件の蜻蛉切の練度は既に最大であり、今は基本的に第三部隊で低練度の刀剣たちの教育係にあたっている。そういや、そうだ。少し前まで自分も世話になっていた。

「この本丸において近侍ほど楽な役目もない、精々戦闘で指揮を執るくらいだからな」
本丸での仕事は特にない、書類仕事も連絡伝達も主の世話も全部蜻蛉切がやってくれるからな。そう言って鶯丸は笑った。

「……じゃああいつらはなんなんだよ」
蜻蛉切に首根っこを掴まれた審神者を指差しながら、同田貫が呻くように言う。すると、鶯丸は茶菓子に手を伸ばして微笑んだ。

「仲が良いんだろう」
まあ細かいことは気にするな、と鶯丸は言った。
なんだか面倒になった同田貫はその言葉に素直に従うことにした。



「どっか行きたいとこ、ある?」
妙に粧し込んだ加州清光が同田貫にそんなことを訪ねた。
その装いはいつもの戦闘服ではなく、ましてや内番服でもなく、見慣れない現代服だった。

「……阿津賀志山……?」
「は?いや、そういうんじゃなくて」
と、そこまで言って加州は合点がいったのか、「あっ、そっか」と勝手に納得した。
「同田貫、ここに来たばっかだもんね」
「あのなあ、ちったぁこっちにもわかるように説明しろ」
見慣れない着慣れない現代服が同田貫の分も用意されていた。
それに着替えたら出かけるよ、と渡してきた蜂須賀虎徹が見目良く笑いかけた。
なんのことだが見当もつかず、同田貫は首を傾げることしかできなかった。

「月に一回、夜にみんなで出掛けんだ」
楽しいぜ、と厚藤四郎が遠足前の子供のように興奮した様子でそう言う。
「主の金で飲む酒が最高なんだよねぇ」
相変わらず酒のことしか考えていない次郎太刀が主から預かった黒いクレジットカードをそそくさと仕舞い込む。
「大概いつも行くのは近現代の2000年代初期あたりだな。あっ、おい、次郎太刀、ここのビアガーデンとやらに行きたいんだが」
インターネットに接続した端末を片手に山姥切国広がさっさと歩いて行ってしまう。
「つまり本丸全休の日ってことだ」
そう言って同田貫の肩を叩いたのはこの本丸の主だった。
振り返ると主もまた短刀たちのようにそわそわと楽しそうにしている。

「あんたも行くのか?」
「いいや、私は行かない。他に約束があるんでな」
「……仕事か?」
「まさか!休日だって言っただろ、私もさ」
ニヤニヤヘラヘラとやけにニヤついて止まない主。
いつも以上にテンションが高いらしく、そわそわとして何をするわけでもないというのに忙しない。気色悪ぃなと思って、さっさと彼女から離れた同田貫は用意された現代服に腕を通す。

「似合ってんじゃん!ま、俺が選んだんだから当然だけどね」と上機嫌に胸を張る加州に腕を引かれ、とうとう屋敷の出入り口にある時代転移装置の前に連れてこられた。見渡せば本丸にいる刀剣の全員が着替えてそこにいた。全部で20振り近い、割と大所帯だ。こんなに大人数で出掛けていいのだろうか。

「主、全員用意はできたらしいぞ」
近侍の鶯丸が主に声をかけると「よし、任せろ」と彼女が装置を作動させた。出陣の際に聞き慣れた機械音だが、いつもの戦前の緊張感なんてこれっぽっちもどこにもなかった。
「それじゃ、こっちはこっちで好きにやってくるからな」
薬研藤四郎が軽く手をあげると、主がその手にハイタッチをして応える。

「おーおー、好きにやれ好きにやれ。帰りはいくらでも遅くなっていいぞ、なんなら二晩くらい帰ってこなくてもいい」
「はっはっは、明日の昼には帰るけどな」
装置が動き出し、この本丸の刀剣たちが近現代に送られる……その直前、同田貫はあることに気がついて声をあげた。

「あっ、いや待て、蜻蛉切がいねぇぞ」
そう言った瞬間、ザッと一斉に周りの刀剣が振り返って同田貫を見た。その様に反射的に驚いて思わず怯むが、皆の向けてくるその表情になんとも言えない気持ちになる。
振り返った誰もが、こちらを見てニヤニヤと笑っていたからだ。
それこそまるで先ほど言葉を交わした主のように。

「なっ、んだよ、その気持ち悪ぃ顔……」
「ふふ、まあまあ、詳しいことはあっちに着いてから話すよ」
燭台切光忠が堪え切れない笑みを浮かべたままそう言った。
自分だけよくわかっていないらしい居心地の悪い空間で、同田貫は転移する直前に己の主と目があった。先ほどまでとは一転して、穏やかな笑みで彼女は告げる。
「楽しんでこい、同田貫。人の身は面白いことだらけだぞ」


◇ ◇ ◇


刀剣たちを送った審神者は彼らが無事に彼方に着いたのを確認して、くるりとその身を翻して屋敷へ戻る。
そうして屋敷の中に唯一残った刀剣、蜻蛉切が縁側に腰を掛け、酷く罪悪感に塗れた顔をしているのを見て声をあげて笑った。

「なんだなんだ、浮かない顔だな、蜻蛉切」
「…………いえ、その、自分の都合に合わせて皆を追い出すようで酷く心苦しいと言いましょうか」
真面目すぎる奴だなぁと審神者は毎度のことながら思う。
追い出すも何も、この月に一回の休日を提案してきたのはあちら側であったし、彼らは現代を楽しむ、自分たちは自分たちで楽しむ、とお互いに利益があるのだ。

「我々もあいつらも特をする。いいことだらけじゃないか」
「ですが、皆の出費の出所は主からでしょう?それもまた申し訳なく……」
「何、そんなこと気にするな。ちょっと高いホテル代だと思えば大したことではない」
「ほ、ほてるだい……?あまりよくわかりませんが、よくわかりたいとも思えませぬな……」
不意に審神者は遠慮なく蜻蛉切の膝の上に乗りあがると、彼の瞳をじっと見つめ、ゆっくりとその口の端に唇を落とす。それから首に手を回して体を密着させ、2人の距離はゼロになる。彼の首筋に鼻先を押し付けて、不覚息を吸う。
風呂上がりの石鹸の香りと、僅かに滲んだ汗の匂い。
そしてその奥に潜んだ男の匂いに、下腹のあたりが締め付けられたように疼く。

なんだかんだで1ヶ月振りなのだ。短刀たちみたいに興奮して昨日はよく寝れなかった。そう言ったらどんな顔をするだろうか。
欲を見せつけるように、下腹部を彼の腰のあたりに押し付ける。もはや今の自分は蜻蛉切の主でも審神者でもなく、愛しい男に抱かれたいだけのただの女でしかない。

「…………ん、ああ」
無意識に熱い息が漏れる。
しなだれかかるように彼の体に重心を掛けた時、不意に彼女を抱きかかえたまま蜻蛉切が立ち上がった。
「蜻蛉切……?」
突然の揺れに思わず彼の顔を見上げるが、蜻蛉切は何も言わず、ただ屋敷の、彼自身の自室へ足を進めていく。静かな屋敷に彼の足音だけが響いた。
静かで、自分たち以外誰もいない、2人きりの夜。
彼の向かう先に気がついてたまらず期待に胸が膨らむ。

辿り着いた彼の部屋にいつのまにか敷かれていた布団を見て、思わず喉を鳴らすように笑う。
心苦しいだとかなんとか言っておきながら、床の準備はきっちりしてるんじゃないか。
彼女がそう思っていたことに気がついたのか、蜻蛉切は僅かに頬を赤らめながらも「それとこれとは話が別です」と開き直って答えた。


◇ ◇ ◇


「つまり、主と蜻蛉切は好い仲なのさ」
挿れたりハメたりする仲ってこと。ああ、指輪の話だよ?

古参の1人であるにっかり青江が言うには、気がついた頃にはもう彼らは、互いに互いを意識していたらしい。が、勿論、奥手かつ従者としての立場を弁えた蜻蛉切は当然その淡い恋心を捨て去ろうとしていた。

「でもそれじゃ2人があんまりだからさ、僕らで色々企図したんだ」
堀川国広の言葉に、薬研が続ける。
「まず2人に酒を入れてある程度酔わせてから大将を蜻蛉切の寝所に向かわせた。全裸で」
「全裸で!?」
「ああ、とりあえず無理矢理にでも穴に棒突っ込んで既成事実さえ作っちまえば、あの堅物なら自分から檻に入るだろって言ってやってな」
薬研の言い方は明け透けだが、まあ、理解はできる。あの生真面目な蜻蛉切なら例え一夜の間違いであっても、責任を取るだがなんだか言いそうだ。

「つまり俺たちは2人の惚気に月一で付き合わされてるってことだな」とは言い方の割に楽しそうな鶴丸国永の言葉。
「ちっがーう!2人の恋愛を応援してるの!」と乱は腕を上げてぶんぶんと振り回す。
「好い仲なんだ、たまにはしっぽりやんねぇとな」
「薬研」
「それに2人とも声がでかいしな」
「薬研」

「huhuhu、刀派村正のファミリーが増えるのは良いことデス」
ああだこうだといっているが、身内の千子村正が言うのならもはや外側からはもう何も言うことはないような気もする。
「嫁入りは決定してんだな……」
「蜻蛉切は真面目が服を着たような男デス。knocking bootsして責任を取らないハズがないでショウ!」
「のっきん……?」
「make loveデス!」
「なに言ってっか全然わからねぇよ」
嫌な予感がするからあまり知りたくもない。
とはいえ、これでようやく合点がいったと同田貫は思った。意味深な仲間たちの言葉も、やけに主の世話を焼く蜻蛉切のこともすべてはここにつながっていたのだろう。

「ほーら!いいから呑みに行くよ!」
次郎太刀の言葉に、どこへ行きたいここへ行きたいとすぐに皆の話題は変わった。
「同田貫はどこ行きたい?」
「あー、そうだな」
洋酒が呑みてぇと呟けば、深くフードを被った山姥切国広がいつもより嬉々とした声音で「ビアガーデンに行くしかないな」と先頭きって歩き出した。

路地裏を抜けて都会の雑踏に紛れ込む。煌びやかで、夜だというのに目が潰れそうなほど明るい。
けれど空を見上げれば、狭いけれどそこには確かに夜空があった。夜は更けていく。ここだけではなく、きっと2人のいる本丸もそうなのだろう。
そんなことを少しだけ考えて、同田貫は皆に遅れないように前を向いて歩き出した。

(2017.7.11)
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