君とただ朝を迎えてみたいだけ



――誰かが俺を呼ぶ声がする。

ふと目を開けるとそこは薄暗い畳の部屋だった。目を開けたその瞬間に全てを理解した。
歴史修正主義者。
審神者。
刀剣男士。
自分がここに呼び出された理由。
存在意義。
それにしても、あえて写しの自分を呼ぶなど物好きもいたものだ。そう自嘲しながら辺りを見ると足元に小さな狐がいた。
「初めまして、山姥切国広様。わたくしはこんのすけ。政府から遣わされた、審神者様をサポートする式神でございます」
狐はそう言うとまるで人のように頭を下げた。
「ああ、わざわざ写しの俺を呼び出すとは、ずいぶんと変わった奴なんだな」
「ええ、そうかもしれませんね」
俺の皮肉にも狐はたんたんと返した。
「それで、俺の主はどこにいるんだ。まさか写しの俺なんか目にも止めたくないってことか」
「いいえ、審神者様ならずっとここにいらっしゃいますよ」
その言葉に山姥切国広はきょとんとした。この部屋のどこにも人の気配がなかったからだ。キョロキョロと辺りを見回しても目に映るのは狐の式神と……。

「なあ、これは何だ?」
部屋の奥に寝台が用意されていた。そしてそこには人ぐらいの大きさの何かが置かれていた。遠目から見ると、それは長い布のようなもので巻かれ、そこから無数の管らしきものが何本も飛び出ていた。興味が湧いた山姥切国広は近寄るが、うっ、と鼻を抑えてそれに辿り着く前に立ち止まった。強烈な悪臭。汚れや汗の臭いなどではない。これは……。

「彼女こそが審神者様。あなたの主様でございます」
政府の式神を自称する狐がそう言って目線をやったのは寝台に横たわる何かだった。
山姥切国広は絶句した。
今、狐は何と言った?審神者?これが?こんなものが?

「……っおい、式神!なんだ……なんなんだ"これ"は!」
「"これ"とは随分な言い草ですね。先程申し上げましたように、彼女があなたの主です」
山姥切国広は目を見張った。寝台に横たわる何か。
消毒液と肉が腐った臭い。それは死臭だった。右腕は明らかに腐食しており、その部分だけ特に包帯が変色している。横たわったままのそれは大量の管に繋がれ、その管の先には山姥切国広が見たことのないような機械があり、断続的にちいさな光と音を立てている。暗い室内のせいで今まで見えていなかったがよく見ると顔だけは露わになっている。しかしその顔も茶色や青が混じった、とても健康的な人間の顔ではない。髪の毛はもう随分手入れをされていないらしく、伸びきって無造作に投げ出されていた。
山姥切国広は思わず口元を抑えて、ふらふらと"それ"から離れる。
「なんだ……っ、なんなんだおまえらは!」
山姥切国広は悲鳴のような声で狐に叫んだ。

「俺たちを呼び出すために死体まで使ったのか!」

そこにあるのはどうみても死体だった。
ギリギリ人の形を保っているだけのおぞましい死骸だった。

「なんと、死体とは失礼な。彼女はまだ生きています」
生きている、だと?違う、息をしているだけだ。体はほとんど朽ち果てている。もう、いつ死んでいてもおかしくない。死にかけた体を無理矢理生かしているだけだ。
寝台から落ちてぶらりと垂れ下がった右腕を狐が体を使って器用に寝台の上に戻す。
「ええ、確かに体は機能していませんし、意識の有無もわかりませんが、彼女には優秀な審神者としての力があるのです。ですから政府が彼女の親類からの許可をとってこちらまで連れて来たのです」
彼女の前にちょこんと座った狐からは感情が読み取れない。式神だから、と言えばそれまでだが、今の山姥切国広にはそれが恐ろしくて仕方がなかった。

「……審神者としての能力があれば意思の疎通は二の次だっていうのか」
「歴史修正主義者共との戦いは一刻を争うのです」
「だが、審神者がこれではまともに戦うことなどできないだろう!」
「審神者様は非常に優秀な霊力をお持ちですので問題ないと上は判断されました」
絶句した。何が問題無いだ。こんなのおかしい。人を人とも思わないような考えに吐き気がする。
山姥切国広は思わず縋る様な目で寝台を見た。だが、その上の審神者はぴくりとも動かない。本当に生きているのか。それさえもわからなかった。

「山姥切国広様」
狐の式神が温度の感じられない声音で語りかけて来た。
「貴方がどうしてもと仰られるのであれば、審神者を変えることが可能です」
譲渡という形になりますが、と続けた。
「他の通常の審神者を望むのであれば」
「……もし俺がそれを望んだとして、こいつはどうなるんだ」
山姥切国広は今ここにいる審神者を指差して尋ねた。
大方、自分より審神者に忠実な刀を呼ぶのだろうと思っていたのだが。

「処分されます」
狐はそう言った。
処分?何を?審神者を?この生きているのかどうかもわからない人間を?お前たちが生きていると断じた人間を?

「は……?」
「審神者としての能力を持っていても刀剣男士を使役できないのであれば審神者としての価値がありませんから。刀剣を己の支配下に入れるまでが審神者に必要な力です」
何も言わない山姥切国広に構わず、狐は続けた。
「それに彼女は見ての通り他の審神者より不利な条件が多いですからね。扱いに困るぐらいならいっそ彼女を処分します。歴史修正主義者に下手に利用される可能性も無いわけではないですし」
絶句したまま呆然と立ち尽くす山姥切国広に式神は尋ねた。
「さあ、どうなさいますか?」

選択肢などあってないようなものだった。



◇ ◇ ◇


彼女の横たわる寝台のすぐ側で山姥切国広は自身の本体を抱えて眠っていた。

――懐かしい、夢を見ていたようだ。

目を開く。今となっては聞き慣れた機械の音が耳に届いた。
「……主」
起き上がって、瞳を閉じた彼女の顔を眺める。相変わらず青ざめた顔。それでも今日はいつもより顔色がいい。それに少しだけ安心して、口元を緩める。
それから、白く冷たい腕を取る。手首の骨張った窪みに指を当てて脈を取る。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、数える。自分の指の腹を押し返す脈動。彼女が生きている証。それが、酷く愛おしい。
初めこそ恐ろしかった死臭も機械音も、今となってはすべてすべて彼女を構成する命の一部。山姥切国広はうっとりと彼女の掌に頬を寄せる。
彼女は何も言わない。自分を比較しない。何もできない。
自分がいなければ、生きることすらままならないヒト。

彼女を生かすのは、驚くほど簡単だった。
俺が敵を殺せばいい。
彼女を生かすのは政府で、政府は彼女に審神者としての力を求めている。審神者として力とは、ただ単純に刀剣男士を操り敵を殺す力。つまり、刀剣男士である自分が敵を殺せばいい。そうすれば彼女の有用性を証明できる。彼女は生かされ続ける。

俺が殺す。俺が生かす。

ああ、だから、
「あんたは、いてくれさえすればいい」

そう言って彼は恍惚に、誰よりも美しく微笑んだ。

(2017.0704)
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