二十三夜



※現代パロディ
※新宿のアサシンの真名ネタバレあり

人を殺した。
……夢の中の話だ。
「どうせお前には撃てないだろう」とそいつが笑うので、腹が立ってその眉間に銃弾を一発ぶち込んだ。
はあ、思ったより血は吹き出ないものだ。そいつはぱったりと倒れて黙り込んだ。
「本当に撃たれた気分はどう?」
硝煙の溢れる銃口を向けたまま尋ねれば、そいつは転がったままカラカラと笑って言った。

「……ああ、やっぱアンタのこと好きだなぁ」

撃ち殺したそいつは同棲相手と同じ顔をしていた。

無論、夢の話だ。

◇ ◇ ◇

家に着く頃にはもう22時を過ぎていた。
仕事は好きではないが、しなくては生きていけないからしている。
別に特別生きていたいわけではないが、死ぬ理由もないから生きている。
それだけだから、不平も不満もない。無論賛美もない。

暗い道を足早に進み、やがて自宅のある安いアパートの前に到着する。自分の家扉の前に立ち、鍵穴に鍵を差し込み、ぐるりと回す。……が、手応えがない。
今朝に鍵をかけ忘れた可能性より、中に誰かがいる可能性のほうが余程高い。この家に限っては。
そしてその誰かが一体誰なのかを、私は当てることができる、きっと。

職務を果たせなかった鍵を引き抜いて、ドアノブを回す。
扉を開ければ、電気がついていて部屋は明るく、暖房もついているのか暖かい……を通り越してむしろ暑い。
着ていたコートを脱いで、部屋へ進めば、リビングの真ん中でカーペットに転がりながらテレビのチャンネルを回す男がいた。普段は1つに纏められている長く艶やかな髪はほどかれ、カーペットの上に投げ出されている。

私が今朝、殺した男だ。

そいつは私の方へ顔を向けるとダラリと気の抜けたような笑みで「おかえりィ」と言った。
まっさらな眉間に、思うところはなく、「ただいま」とだけ返してコートをハンガーに掛けた。

「先に食べててよかったのに」
ローテーブルの向かい側に座る男にそう言えば、彼は行儀悪く箸で皿を引き寄せながら「んー」と返事なのかよくわからない声を出す。
いつものことであるから気にもせず、私も冷めてしまった雑な味付けの野菜炒めを口にする。
私が帰ってくる4時間ほど前に冷蔵庫の中にあったもので彼が適当に作ったものだそうだ。
レンジで温めればよかったなと思ったが、いまさら立ち上がるのも面倒で、油の固まった豚肉に口に放り込む。不味くはない。美味くもない。

「一緒に食べたかったんだよなぁ」
急にそんなことをそいつが言うので、思わずマジマジとその顔を見つめ返してしまった。なんのことだと思えば、先ほどの私の言葉に対する返答であったらしい。まるで恋人のような言い草に僅かな疑心。

同棲している、といえば聞こえはいいが、彼は私の部屋の鍵を持っていてたまにやってくる、と言うだけの関係だ。
恋人ではなく、友人でもなく。私は彼が何をしているのか知らないし、彼も私を詮索しない。彼の名乗る名前が本名かも知れない。そして彼は何故か私の名前を呼ぼうとはしない。

少なくとも人に言える関係ではなかった。

別に愛しているわけではないが、私には彼を追い出す理由はなく、拒絶する理由もない為に、彼は未だにここにいる。
たまにふらりとやってきては私のエプロンを纏って料理をしたり、何もせずにカーペットに転がっていたりする。別段何かを思うことない。

はずだった。
…………今朝の夢がなければ。

「私の前からいなくなる時は何も言わずにいなくなってね」
本心からの言葉が久し振りに生まれたような気がする。
彼がいなくなる夢を見た。この手で殺す夢を見た。私にはできる気がした。私の内心は苛烈だった。見て見ぬ振りをしていたかった。
保温機能のおかげで唯一温かい白米をかきこんで、彼は「なんで?」と尋ねた。首をかしげる動作につられて、茶碗も斜めに傾いた。

「殺すと思うから」
そう答えた私に彼は喉奥で笑った。
もう一度楽しそうに、なんでぇ?と尋ねる。
「私の前からいなくなるくらいなら、殺したほうがマシかと思って」
「んーー、あーーー、」
喉の奥を揺らして、彼は声のトーンを下げた。首の広いVネックからは彼の鮮やかな刺青が僅かに見えた。
「愛されてんねぇ、俺」
「……私重い女だったみたい」
「やー、いいんじゃねぇの?アンタのそれは冗談じゃなさそうで」
「……バカね、冗談よ」
「アンタほんと嘘しか言えねぇよなぁ」

◇ ◇ ◇

月明かりが差し込んだ。
満たされた腹に、さらに異物を詰め込まれる深い夜。
「明日、ひまぁ?」
間延びした声が降り注いだ。
そいつの額から零れ落ちた汗が米神や頬を伝って私の胸元に落下した。ただそれだけの刺激に僅かに身動いて、彼の首に腕を回して耳元で囁いた。
「休日出勤」
途端、深くねじ込まれる。
「ざ〜んねん、キメようと思ってたんだがなぁ」
「っ、どうぞご勝手に」
「おいおい、俺がキメたらアンタが失神しても続けるぜ?」
死姦みたいに、と言って、彼の口の端が歪んだ。
「……キメるの、いい加減やめたら?」
「だぁいじょうぶだって、アンタには絶対しねぇから」
「そういうことじゃなくてね……」
懐いた犬のように鼻先や頬、唇の端にリップキスを落とされる。目を細めてぐりぐりと寄ってくるそいつの頭を撫でればやけに嬉しそうに笑って言った。

「……ああ、やっぱアンタのこと好きだなぁ」

◇ ◇ ◇

ルーチン通りに設定していた目覚ましが朝を告げた。
重たい体を起き上がらせて、脱ぎっぱなしになっていた服を適当に拾い上げて、リビングを通りキッチンを横切り、洗濯機の中に投げ入れる。
それからワイシャツを着て、トーストを焼いて食べる。皿を洗い、顔を洗い、歯磨き化粧それから、それから。
スーツを羽織って、家を出る。
鍵を閉める。確認のためにドアノブを捻る。開かない。ドアに背を向けて歩き出す。
部屋は空っぽになった。

目覚めた時にはすでに彼はいなかった。
温もりも痕跡も残さずにいなくなっていた。

……昨日の夢を思い出す。
撃たれたのは私の方だったのかもしれない。

……そういえば今日は夢を見なかったな。

出社。仕事。退社。
次の日。休み。1日中ベッドの中で天井を見続ける。
次の日。出社。仕事。退社。
次の日。出社。仕事。退社。
次の日
次の日
次の日
次の日
次の日

カレンダーのページを一枚めくる。
彼がいなくなって3週間がたった。
それだけだ。

彼がいなくなってから何日経ったか、数えるのをやめた頃。
ある夜、面倒な飲み会があった。
大概が酔い始め、いい具合になった頃に、トイレに行く振りをして金だけ払って抜け出した。
居酒屋の扉をガラリと開いて一歩目で、
「帰るなら、送っていきますよ」
柔和に微笑む同僚に背後から声を掛けられた。

同僚の彼は気のいい男ではあった。
同時に私のことを憎からず思っていることも知っていた。
だから私はハイヒールが折れかかっていることを必死に知られないように歩くために懸命だった。
ここまでで結構です、という言葉が3回黙殺された。雨が降りそうですから、と男は笑って言った。

もうここまでで大丈夫ですよ、と私は言った。
この辺はまだ暗いですから、と彼は返した。
ああ、だから俺が迎えに来たんだよ、とそいつは言った。
私の肩に気安げに腕を回して。

「悪いなぁ、俺のをここまで送ってもらっちゃってぇ。帰る時には電話しろって言っといたのに、酔ってんのかすっかり忘れてたみたいでさぁ。ずいぶん遅いからここまで迎えに来たら、お優しい同僚の方がここまで送ってくれてたみたいでありがたいことだ。それじゃあどうも。そちらもお気をつけて、夜道は暗いからなぁ」
濡れた路上。点滅する街灯の下。
そいつが身に纏った薄手のワイシャツの下からは鮮やかな刺青が滲んで見えていた。

同僚が逃げるように足早に去っていったあと、役目を果たした右のヒールがついに根元から折れた。
無様にアンバランスに立ち尽くす私を見て、そいつは声を上げて笑った。

しなくていいと言う私の言葉に耳を貸さず、彼は私を無理やりおぶって家まで歩いた。
折れたヒールは彼が路地裏に投げ捨てた。乾いた音を数回立てて、暗闇に見えなくなった。
彼が歩くたびに体が上下に揺れる。振り落とされないよう首に手を回して、彼のうなじに顔をうずめる。

何か、聞くべきだろうか。
今まで何をしていたのか。何処に行っていたのか。
どうして、……会いに来なかったのか。
私は尋ねることはしなかった。

「尻、撫で回すのやめてくれる?」
「いやー、1ヶ月以上振りだから充電しねぇとさぁ」
「……別に、今しなくても」
「おお?嬉しいこと言ってくれんねぇ」
後でならいくらでもいいってことだろ?といつかのように笑った。

それからは無言が続いた。彼がわざとゆっくりと歩いたり、時に遠回りをしていることに気がついたが私は黙っていた。

いつだって受動的に、黙って受け入れていれば傷つかずに済む。期待しなければ裏切られない。望まなければ悲しまずに済む。
だから私は黙って、ずっと黙って。これまでもずっと。そしてこれからも口を噤んでいればそれでよかったはずだったのに。
「どうして」
言葉が滑り落ちた。
こぼれた言葉が濁流となって溢れてもう自分ではどうしようもなくなってしまった。
「どうして、何処に行って、っ、なんで……」
「あー、ああ、あー、泣くなよぉ」
「泣いてない……」
彼は赤児をあやす様に何度か小さく跳ねた。ブラブラと宙ぶらりんとなった足からハイヒールが脱げ落ちた。そんなものもうどうだってよかった。

「清算してきた」
立ち止まって、彼はそう言った。
もう家の目の前だった。背負われたままアパートの階段を上る。ポケットから鍵を取り出せば、彼が鍵を開けた。役目を果たした鍵が再び私の手に戻る。
足を器用に使って靴を脱いで、慣れた足取りでリビングへ進んでいく。私はおぶされたままだ。
彼はリビングのソファの上に私を座らせて、自分は私の前に膝をついて私の手を取った。
そうしてもう一度繰り返した。
「清算してきた」
私はうなづいて耳を傾ける。
「俺とアンタがちゃんと並んで生きてくには、アンタが堕ちるか俺が這い上がるかのどっちかだから」
だからこれまでのすべてを清算してきた、そう言った。そう言って真正面から私を抱きしめた。色々な匂いに混じって、僅かに外の匂いがした。私と揃いの匂いだった。
それから彼は耳元で「名前」と、私の名を呼んだ。囁く様な、ただそれだけの声がどうしてか酷く嬉しかった。

「俺も強情だったけどさぁ、もうそろそろちゃんと名前で呼んでくれたっていいだろ」
甘えるような声で彼は私の首筋に鼻を寄せた。微かな吐息が肌に当たる。懐かしい感覚だった。

「……貴方のアレ、本名だったの?」
「う、えぇぇっ!?信じてなかったわけぇ?」
「偽名だと思ってたから呼ばなかったのに」
「本名だっての」
……そ、れは、ひどいことをしてしまっていた。
首筋から顔を離して、子供みたいに不満な顔をした彼が私を見つめた。
口を開こうとして、今更になって気恥ずかしくなってしまった。ぱくぱくと口を開いたり閉じたりするのを見て、彼は小さく笑いながら、それでも待っていた。
そんなにも顔を見られるのは、恥ずかしい。初めてそんなことを思った。
顔を見られたくなくて、ついには倒れかかる様に彼に抱きついてその耳元に告げた。
「ぇ、え……、ぇ、……燕青」
その瞬間強く抱きしめられる。
そしてそのまま彼に、燕青に引っ張られる。彼の胸元に顔を押し付けたまま、されるがままになって、燕青がそのままカーペットに仰向けに寝っ転がるものだから、私は彼の体のうえに乗っかったまま強く抱きしめられた。
「あー!やっぱアンタのこと好きだなぁ!」

(2017.3.2)
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