君だけにくびったけ



それはあまりにも美しい土下座だった。

「黒江!俺とデートしてください!」
それはなんとも美しすぎる土下座だった。
ボーダー本部の廊下で13歳の愛らしい少女に土下座してデートを乞う20歳の男。
道行く人はその土下座の美しさとシチュレーションの異様さに誰もが二度見をした。
黒江がうなづくのがあと数秒でも遅かったなら、その場にいた誰もが警察に通報していただろう。のちにとある実力派エリートはそう語った……。

◇ ◇ ◇

そしてとある休日。晴れ渡る空。穏やかで平穏な町。格好のデート日和だった。
約束の時間の3時間前から待ち合わせ場所で待機していた苗字は、休日の女の子らしく可愛らしい普段着に身を包んだ黒江がやってきた瞬間に神に感謝した。「天使がいた……」とつぶやき、近くにいたOLに通報されかかったのはいうまでもない。普段とは違う黒江に苗字は何度も目を奪われ計8回電柱にぶつかったが、頑なに黒江から目を離そうとはしなかった。
そして苗字は黒江を連れてデートプランに入れていたお洒落で可愛らしい、女の子が好みそうなカフェにやってきていた。
黒江との2人だけのデートであるはずなのに、2人がけの席ではなく大きめのシート席に案内された苗字は、自分と反対側に座る黒江……の隣に当然のように鎮座する女性に耐えきれなくなったように叫んだ。

「ざっけんな、保護者付きじゃねーか!」
「当然でしょ、うちのかわいい双葉に何かあったら困るもの」

さらさらと流れるようなロングヘア、目の覚めるような金髪、チャーミングな笑顔と、反面色っぽさが醸し出された黒子のある口元。10人が10人、誰もが美人と評するような女性、加古望が当然のように黒江の隣に座っていた。
というか待ち合わせ場所に黒江とともに来た。苗字は五度見した。

「いや、今日は黒江とのデートなんで帰ってもらっていいっすか?」
「あら、見て双葉。このケーキ美味しそうね」
「おいこら聞けやババア」
「当然苗字くんが奢ってくれるのよね?」
「黒江の分はな」
女の子2人が楽しそうにあれやこれやと注文するのを苗字はなんとも言えない顔で見ていた。黒江のために金を使うのは全然いいというか、むしろ使わせてくださいとこちらから頭を下げてお願いしたいぐらいなのだが、この流れだと加古の分まで奢ることになりそうだった。サイドエフェクトがなくてもわかる。俺の経験がそう言ってる。この女にはいろんな意味で勝てない。

「ところで黒江、いつもかわいいけど今日は一段とかわいいな。洋服もそうだけど髪飾りとか」
普段は黒いゴムで結んでいるだけの黒江のツインテールだが、今日は赤いリボンがついたゴムで結んでいた。好きな子は積極的に褒めていくスタイルである。もう少し距離が近かったら髪ゴムを理由に頭を撫でているところだった。
褒められた黒江は少し俯いて自身の赤いリボンにそっと触れた。それから黒江の薄い唇が開きかけたそのとき。

「そうでしょう?私が双葉のために選んであげたものなのよ」
ニコニコと加古が答えた。
「……俺は黒江とおしゃべりしてるんだけどな?」
「双葉は何を着てもかわいいのにいつも暗い色のコーディネートだからたまにはこういうのもいいわよね」
「それはわかる」
ダークカラーも大人びた黒江にはよく似合うのだが、年相応の明るい色も絶対に似合うと思っていたのだ。いっそのこといわゆるパステルカラーのコーディネートとかどうだろう、絶対かわいいから問題ないと思うんだが。
思わず前のめりで語ると、深くうなづいた加古ががっしりと力強く名前の手を握った。なんだこれ、同盟か?
黒江はいつも通りの冷静な表情で「加古さんも苗字さんも、恥ずかしいからやめてください」と俺たちの繋がれた手を無理やり引き剥がした。

「実は通りの方に双葉に絶対似合うお洋服屋さんがあるのだけれど」
チラリと加古は試すような目で名前を見た。その目は確かに「ねぇ、まさかたかが土下座の1つ2つで、双葉の休日が買えるとでも思ってないでしょうね?」と語っていた。その意味がわからないほど、苗字は鈍感ではない。ふー、と深く息をついて彼は加古を見返す。

「……なあ、加古よ」
「なにかしら、苗字くん」
「俺は今日、財布を持ってきていない……この言葉の意味がわかるか?」
「?……どういう、こと?」
途端訝しげになる加古の瞳。しかし名前の言葉はそのままの意味であった。名前は今日は携帯と家の鍵程度しかポケットに入っていない。
なぜなら。

「なぜなら、クレカしか持ってきてねぇからだよ!札を入れる財布なんざ必要ねぇってことだ!次はその服屋行くからな!場所だけ教えててめーは帰ってください!」
「さすがだわ、苗字くん。やはり侮れないわね……!双葉のコーディネートは全部私がやるから服屋さんにも私はついて行くわよ当然よね」
苗字は黒江に貢ぐ気満々だった。むしろ貢ぐために今日は来たといっても過言ではない。
当の黒江はもうダメな大人たちのことは諦めて、ミントの入ったお冷やとレモンの入ったお冷やの飲み比べを楽しんでいた。

不意に加古が立ち上がる。
「ちょっとお化粧直してくるわね」
「おう、厚化粧は大変だな……いってぇ!」
加古のハイヒールの爪先が苗字の脛に突き刺さる。悶絶する男を尻目に、加古は「苗字くんになにかされたら躊躇わずにこれを鳴らしなさいね」と防犯ブザーを黒江に渡し、彼女の髪を優しく撫でて行った。
加古が完全に見えなくなったのを確認してから苦痛に顔を歪ませた苗字はこそこそと黒江に話しかけた。

「なあ、黒江。俺から最高の提案があるんだけど」
「なんですか?」
「あいつ置いてこの店出ねぇ?」
「まだケーキが届いてないのでダメです」
黒江はそわそわと厨房のほうを見て、ケーキが出来上がるのを今か今かと待っている。
その姿があんまり可愛いので苗字も自分で出した提案を即刻却下した。

「……あの、苗字さん」
「ん、どうした、黒江」
「…………さっき、その、ありがとうございました。……リボン、褒めてもらったから」
珍しく、本当に珍しく、少し顔を赤く染めて、黒江は目を逸らしながらそう言った。言ったあとにすぐにお冷やに口をつけて、そっぽをむく。
苗字はそれだけで今日勇気を出してデートに誘ってよかったと思ったし、生まれてきてよかったと思ったし、この世すべてに感謝した。思わず目頭を押さえる苗字に、黒江は少し困ったような呆れたような顔をして「ばかなひと」と呟いた。その声は決して冷たいものではなかった。

それからすぐに注文の品が届いて、色とりどりのケーキやドリンクがテーブルの上に並んだ。きらきらと輝くケーキたちを見た黒江の瞳もきらきらと輝く。
口数少なく、大人びていてもやはり可愛いものが好きな女の子。苗字は自分の前に置かれたブラックコーヒーを啜って、胸に広がる温かさと愛おしさを噛み締めた。
今すぐ食べたいだろうに、加古が戻ってくるまで待つつもりらしい黒江がいじらしくてたまらない。そんな目で見つめていると、見つめられていたことに気がついた黒江が苗字の方に目を向けた。
黒江はこてんと首をかしげるとその薄い唇をそっと開いて、抱えていた疑問を口にした。

「苗字さんはなんで私とデートしたかったんですか?」
「黒江が好きだから」
間髪入れずに返ってくる返答。黒江もまたなんとなくそう返ってくるだろうなとは思っていた。
それが本気なのか冗談なのか、その区別はつかないけれど。

「どうして私が好きなんですか?」
「……ん、どうして、か」
先ほどとは違う質問を投げかけてみれば、今度はすぐには返ってこなかった。苗字は少し考え、それから、「今まで出会った女の中で1番イイ女だと思ったから」と答えた。
「なんつーか、一目惚れ……ってわけでもないんだけど、気づいたら好きだった」
「ロリコンなんですか?」
「違うさ、黒江だから好きになったんだ」

思っていたよりもずっとストレートな言葉に、苗字の気持ちをほとんど冗談のように受け取っていた黒江は内心たじろぐ。
ちらりと苗字のほうを見るとその目は確かに優しくて穏やかで、それでいてどこか切なげな目をしていて、思えば黒江は苗字がこの瞳を黒江以外の人に向けるのを見たことがなかった。
大人が子供を可愛がるような気持ちで愛されているのだと思っていた。けれどもそれはどうやら違うらしい。恋の経験なんてほとんど無いに等しい黒江でも、苗字の言葉が本当だということはわかる。苗字が加古に向ける感情と、黒江に向ける感情は違うらしい。そのうえどうやら黒江への感情はなんだか特別製らしいようで……。

黒江はぎゅっと口を閉じた。これ以上なにか言葉を口にしたら、それこそ逃げ場を失ってしまうような気がしたからだ。冷たいお冷やをぐいっと煽って、顔に溜まりそうな熱を冷やそうとする。
苗字と2人の、この時間は楽しい。心があったかくなる。それは事実だけれども、どうか、どうかはやく加古に戻ってきてほしかった。この感情は一体なんなのだろう。この気持ちをどうしたらいいのだろう。きっと優しくて美しい私の隊長なら答えをくれるから。

「……黒江」
「……なんですか」
「黒江のこと、双葉って呼んでもいい?」
自分よりずっと年上の大人の男性が、そんな些細なことを顔を真っ赤にして言うなんて。その熱がこちらにまで伝染する前に黒江は口を開いた。

「ダメです」
「……ダメ、っすか」
「……でも、もう一回デートしてくれたらいいです」
小さな声でそう言えば、ガタガタッとわかりやすく苗字が動揺するのが見えた。コーヒーカップを持つ手が電車の中みたいに震えている。
「えっ、えっ、ちょっ、えっ、黒江、それって……」
どういうこと?と続けたかった口には、黒江によってフォークで勢い良くケーキが突っ込まれた。甘ったるい生クリームが口の中を襲いかかってくる。(あっ、これ『あーん』だ)そのことに気がついた苗字は失神しそうだった。(あっ、これ『あーん』だ)気がついた黒江も遂に顔を赤くした。

それから少しして戻ってきた加古は真っ赤になって硬直する2人を見て、面白いものを見逃してしまったようね、と微笑んだ。

(2016.11.17)
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -