約束の果て



教官に任命され、BBに食事を運ぶ係となった名前は身の毛もよだつような恐ろしい噂として聞いていたBBの存在に足を震わせていた。しかしそれも初めのうちだけだった。獣の如く唸り声こそ上げるが、決して害を与えるわけではない彼の存在に名前は少しずつ警戒を解いていった。
やがて檻の前で彼と食事を共にしたり、時間が空けば彼のところへ訪れるようになった。

BBは獣であるから理解できない。
彼女が何故いつも傷だらけなのか。何故制服がボロボロなのか。何故いつも泣き腫らしたような目をしているのか。何故無理やり乱雑に切られたような髪をしているのか。
そんなこと、獣であるBBには何1つ理解できない。

けれども檻の側に座り、BBに穏やかに声をかける名前のことは決して嫌いではなかった。
BBの前に立つ者は敵か、従うべき者のみであった。けれども名前はそのどちらでもない。
BBはそれを理解できなかったし、名前もお互いの関係に名前をつけることはしなかったけれども、もしも2人の間柄に名前をつけるのならばきっと『友達』と言葉がよく似合った。
このアカデミアにおいて存在しうるはずのないその関係が、アカデミアの落ちこぼれと獣の間には確かに存在していたのだ。たとえ当の本人たちですらそれを認識していなかったとしても。

檻を挟んで内側にBBはいた。そしてその外側に名前はいた。
訓練の傷か、或いはそれ以外の傷なのか、名前は額に大きな切り傷を作ってBBの元へ訪れた。彼がその傷を認識したのを理解した名前はいつものようにヘラヘラと笑った。
「え、えへへ、ちょっと怪我しちゃったけど、大したことないんだ」
BBの目に映る名前はいつも笑っていた。
けれども時折見せるこんな笑顔は好きではなかった。無理やり繕ったようなこの顔は嫌いだった。
檻の前で座り込む名前に、檻の中から手を伸ばす。BBはいつだって本能のまま生きている。今だって彼女の額の傷が気になったから触った。それだけだ。名前ももはや彼の手から逃げることもなく、黙って近づいてくる手を受け入れた。その手が力加減を知らず、名前の傷跡に痛みを与えたとしても。
BBのささくれだった太い指が名前の額の傷をなぞる。いたわるようなその指に痛みを与えられたとしても名前は辛くなかった。
他人からの悪意に耐えられたのは、BBがいたからだ。100人から否定されても、大切なたった1人に受け入れられたら、それだけで生きていけるのだと彼女は知っていた。
「……うん、ありがとう、痛くない。痛くないよ」
「ううううう、あああああ」
名前が笑った。その笑顔は好きだった。その理由は理解できなくとも、その価値は理解できたから。

「あ、あの、あのさ、BBくん」
名前はBBの大きな手を握った。
「わ、私は弱いから実際に行ったことはないんだけど」
そう前置きして名前は続けた。
「もっと強いアカデミアの戦士になったらね、この世界とは違う異世界……別次元に行くことができるんだって」
BBは黙って名前の言葉に耳を傾けた。繋がれた手からは名前の体温が伝わる。マメだらけの掌、穏やかな声音。その時だけはBBも獣ではなく人でいられるような気がした。きっと名前にとってBBは、1人の人間で、1人の男の子にすぎなかった。
「きっと別の次元にはさ、私たちの知らないこととか、見たことがない綺麗なものとか素敵なものがいっぱいあると思うの」
アカデミアの戦士としてではなく、たった1人の少女として、たった1人の友達に名前は言った。
「だから、その、BBくんさえよかったらさ、えーと、あの、」
目を泳がせて、頬を赤く染める名前にBBは首をかしげる。どんな言葉が来たって、名前の言葉であるなら大丈夫だと知っているから。
意を決したように咳払いをして彼女はぎゅっとBBの手を強く強く握って言った。
「い、いつかここを出て、もっと広い世界を見に行けたらいいなって、思うの。そ、その、2人で、さ」
名前の白い肌が真っ赤に染まって、BBは握られていない、先ほどまで額に触れていた方の手で彼女の頬に触れた。掌の体温よりずっと熱い温度。けれども不思議と心地よかった。
「ううううああ……ぁ名前」
BBには異世界のことも別次元のこともわからないけれど、側に名前がいて、これまでどおり笑っていてくれるなら何処だってよかった。彼女が望むならこの檻の外だろうと、アカデミアの外だろうと、世界の外だろうと構いはしない。
名前がいてくれるなら。
BBはもう一度、名前の名を呼んだ。
名前はその声にうなづいた。
「約束、しよう」
そう言って彼女はBBの好きな笑顔で微笑んだ。彼女の白い小指と、彼の色の黒い小指が結び合って、BBは初めて約束を交わすということを知った。


◇ ◇ ◇


その約束さえあれば、もうなにも恐れることなどない気がしていたのに。

BBの前に大きな暗い影が立つ。それがBBにとって従うべき者であるということは理解できた。
彼はふと思った。何故今日は名前が来ないのだろう。どうして名前がここにいないのだろう。
暗い影は言う。下らないことを吹き込みおって、と。要らない知恵を植え込みおって、と。
BBはその言葉の意味を理解出来なかった。ただ本能的に嫌な予感を感じ取った。まるで危険が迫っているような。或いは、すでに危険に侵されているかのような。
暗い影は言う。無意味な存在だった、と。無価値な存在だった、と。
BBはその言葉の意味を理解出来なかった。ただもう何もかもが手遅れなことを感じ取っていた。もう自分の手ではどうしようもないほどにすべては終わりきっていた。
暗い影がその掌から何かを落とした。星の瞬きのように、ひらりとほんの一瞬だけ宙を舞って、堕ちていく。その手に収まるような小さなカードをBBはよく知っていた。己の武器であり、戦果であるそのカード。
やがて暗い影は去っていく。すべき事は終えたとばかりに。何もかもは自分の掌の上であるかのように。
少年は地に堕ちたカードを拾う。見慣れた茶色い裏面。それをくるりと返す。

「ああ」
そこにいたのか。

(2016.09.11)
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