心に垣をせよ #10 『…ごっ、ごめん!今とめるから!ちょっと待って!』 入ってきたのが笠松先輩ではなく俺だとわかった途端、一生懸命泣くのをやめようとするなまえ先輩。さっきまであんな風に振る舞っていたけど、やっぱり… 「…なまえ先輩、」 『…………笠松、は、』 まだ涙をとめることができないのか、先輩はまたうずくまってしまった。 「……笠松先輩は来ないッス」 『……………え、』 先輩が驚いてまた顔を上げる。その不安そうな表情に、思わずなまえ先輩を強く抱きしめた。 「…なまえ先輩ごめん、」 『…………』 「俺のせいで、こんなことになっちゃって…」 『…き、せ、』 「…先輩、俺じゃ駄目スか、」 『…………』 一度力を緩めて、先輩の顔を、目を、見る。 「笠松先輩じゃなくて、俺を頼って、」 泣き止みかけてた先輩の目からは、再び大粒の涙が流れた。 『…き、せ、』 「…はい」 『…きせ、』 「…なまえ先輩、」 もう一度なまえ先輩を抱きしめる。今度は、先輩も俺に手を回してきた。濡れた制服のことなんか気にもせず、ただただ、先輩の体温を感じていた。先輩はしばらく俺の名前を呼びながら泣いた。 −−− 「…落ち着いたスか、」 『……うん、』 「…上がってもいいスか、」 『……うん、』 「先輩、立てますか、」 『……黄瀬、』 「…はい、」 『…ありがとう』 「…え、」 『…ありがとう、』 「……………」 先輩は、泣きはらした顔で笑った。 ごめんね、ずっと玄関で。上がって上がって』 「……………」 『このままじゃ風邪引いちゃうからシャワー浴びてって。服はカゴの中入れといてくれればいいから。』 「…じゃあありがたく使わせてもらうッス。でも、」 『…?』 「なまえ先輩が先に入って、」 『え、いいよ黄瀬の方が濡れてた時間長いんだから』 「俺なまえ先輩に風邪引いてほしくないッス」 『…私だって黄瀬に風邪引いてほしくない』 「…………」 『…………』 先輩も、譲られる気は微塵も無いらしい。 「…じゃあ、俺先着替えさして貰うんで、シャワーはなまえ先輩が先で」 『…わかった、…あっ、着替え持ってる?』 「大丈夫ッス、ちゃんとあるッスよ」 『…そう、』 「すぐ着替えるんで!」 『うん、』 −−− とりあえず、脱ぐ。うわ、これ絞れるんじゃないか。廊下とか濡れちゃったし、玄関なんてもしかしたら水たまり出来てるかも。先輩がシャワー浴びてる間に拭いておこう。これをそのままカゴに入れるのは流石にまずいので、洗面台で絞ってから入れる。笠松先輩が貸してくれたタオルで軽く体や髪を拭いてから、鞄に入っている予備の着替えを取り出して着る。 「…ふぅ、」 「先輩いいッスよー」 『……………』 「…なまえ先輩?」 『…えっ、あぁ早いね!』 「…先輩、」 『…大丈夫だから。』 嘘つけ。なんだ今の表情は。 『…先シャワー浴びさせて貰うね、すぐ出るから!』 「…はい、…あ、そこら中の水拭いた方がいいッスよね、なんか拭くものとかあるッスか?」 『え…、あぁ、ごめんありがとう。じゃあこれでお願いします』 「はい!先輩ちゃんとあったまって来て下さいね!」 『うん、ありがとう』 今の先輩を見てると、あの直後の態度とか対応とか、よくいつもの感じでやってたなと思う。 悲しいなら泣いてほしい。辛いなら辛いと言ってほしい。 きっとあの時、俺の前で泣いちゃいけないと思ったのだろう。それで無理をしてあんな風に振る舞ったんだ。でも、やっぱり泣きたくて、それで笠松先輩を呼んだ。あとはもう、俺は来ないものだと思って、笠松先輩しか入って来ないものだと思って、緊張の糸を切らして泣いた。そこに俺が入ってきて。 俺の前だから、何とかいつも通りにしなければならない。でも一度泣いてしまっているから、なかなか先ほどのようにはいかない。 先輩を見ていると、そんな感じがする。 『黄瀬、上がったから次どうぞー』 「ありがとうございます。…先輩ちゃんとあったまったスか?」 『うん。ほかほか』 「…そっスか。あ、じゃあすいませんシャワー借りるッス!」 『うん、どうぞ』 −−− あ、お湯だ。あったかい。 散々冷たい雨に降られて。あんなことがあって。なまえ先輩を傷つけてしまって。 心も体もすっかり冷たくなっていたから、お湯があったかいなんて、そんな当たり前のことに少し驚いた。 今更あっためてももう手遅れかな。風邪、引くかも。 シャワーから上がったら、なまえ先輩に、何があったか話してもらおう。なまえ先輩は思い出したくないかもしれないけど、もしここにいるのが俺じゃなくて笠松先輩だったら、きっとそうする。話を聞いて、それから胸をかすのだろう。 笠松先輩は頼もしいから。まっすぐで、ちょっと口は悪いけど、本当に優しいから。今までなまえ先輩に何かある度に、ずっと側にいたのだろう。だから、なまえ先輩は次の日にはきっと笑ってた。 俺は、笠松先輩みたいに周りを見れる人間じゃない。さっきだってなまえ先輩が止めてくれなかったら、あのまま殴ってた。助けにいったはずなのに、なまえ先輩や笠松先輩、チームのみんな、仕事関係の人たち、いろんな人に迷惑をかけるところだった。 だけど。 俺はこんなだけど。 俺もなまえ先輩を笑顔にしたい。悲しい時には泣いてほしいと思うけど、その悲しみを取り除いてから、最後にはやっぱり笑ってほしいと思う。 好きだから。 * * * 2012.9.23 |