……Nって、変わってる。
それは彼と初めて出会った時から薄々と感じていたことだったけれど、それを今、改めて実感することになった。
「N?何してるの?」
声を掛けると、草むらでしゃがみ込んでいたNが立ち上がる。すると私の声に反応したらしく、近くに居たヨーテリーが、びっくりしながら飛び上がった。
一声鳴くと、そのままどこかへ走り去っていこうとする。
「あっ、ヨーテリーが」
ヨーテリーの姿が小さくなっていくから、私は「待って!」と声を出して駆け出そうとするけれど、肝心のNがその場に佇んだまま、追い掛ける気配が無いから思わず足を止めた。
振り返って、Nを見る。
あのヨーテリーには、見覚えがある。前に、Nと戦った時に見たヨーテリーだ。
立ち尽くしたままのNに、声を掛けた。
「ねぇ、いいの?今の、Nのポケモンでしょう?」
そうしてNは、何事もなかったかのよう、ゆっくりと顔を上げて微笑みながら私の顔を見てこう告げる。
「今、彼とサヨナラしていた所だったんだよ」
「……サヨナラ?」
「そう」
「逃がしてたの?」
「ああ。もう、彼には協力をしてもらったからね」
「あっそう……」
一体、どうしてヨーテリーを逃がしていたのはわからないけれど。
そこで私は、あることに気が付く。
Nの回りに、ポケモンの姿が一匹も見えない。
よくよく見てみると彼は手ぶらの様子だ、モンスターボールを持って連れている気配もないし。
だとすると今のNってもしかして、
「手持ちのポケモン、ゼロ?」
「ああ、そうだよ」
「じゃあ、今のあなたと戦ったら私の圧勝って訳ね」
「君は、丸腰の相手と戦うのか」
Nが肩を竦める。私は不思議に思って、こう聞いてみた。
「何で、わざわざ逃がしちゃうの?もったいない」
「必要以上に彼らを戦わせたくないんだよ、僕は」
……それにしては、Nから戦いを挑んでくることが多いと思うんだけど。
と、いうことはあえて口に出さないでおく。
そういえば、と、ふと思った。Nがずっと連れていたポケモンって、あまり見掛けない、かもしれない。
「……これまでも、そうしてきたの?」
無言。それは肯定の意味に取れる。
「……ああ」
Nが、頷く。
「変わってるのね」
「ポケモンは別に捕まえなくても、戦わせなくても、話せばわかってくれるからね」
Nは再び、いつもの微笑みを浮かべながら告げる。どこか、皮肉めいた、笑み。
そうして、言葉に秘められたトレーナーに対する暗黙の否定。拒絶の意。
今度は私が、肩を竦める。
「今のヨーテリー、随分とNになついていたじゃない」
「……それは……、もう慣れてるし」
「答えになってないわよ、それ」
「彼には彼の生活があって、そして、また彼らの力が必要になったらまたその時に協力をしてもらえばいいんだ。ただ、それだけのことだろう?必要以上に、束縛をする必要は、ないんだ」
「えっと……」
何かを言い返そうとした時、Nが一歩、私に近付いた。
「トウコ。僕は、彼らを解放したいんだ。彼らを道具のように扱うのが、すごく、許せないんだよ」
だけど、とNが言葉を続ける。
「僕らがこうして頑張っているのを、君達ポケモントレーナーが、それを踏みにじるんだ」
その言葉に込められた感情は、静かな、怒り。
「それに、あんなものに縛られていては彼らは完全になれない。トウコ、君もポケモンと話が出来るようになればわかるようになるよ」
何が、彼をそこまで駆り立てているんだろう。
ただわかるのは、Nが、その押し寄せるような感情を私に伝えたがっているということぐらいで。
「私、は」
詰まってしまった言葉を、何とかして、口に出した。ただ、思ったことを、そのまま。
「……もしもポケモン達と話が出来るようになったら、余計に辛くてお別れなんて出来なくなっちゃうわ」
その時、Nの瞳の奥に、揺らぎが見えたのは気のせいじゃないと思う。
「だからって彼らを人間が縛り付けるのはおかしいんだ」
そう。そういう人達も居るかもしれない。Nは、そういう人達を見てきたのかもしれない。だけど、
「一緒に居たいから居る、じゃあ駄目なの?」
ただ、縛り付けるだけの関係だと思うだなんて、悲しい。一緒に居て、色んなことを通じて、成長し合える関係だって、私は思ってる。この旅を通して、私はそう信じてる。
そうして、Nの口から出た言葉は。
「……僕は、ずっとこうしてきたから」
……うそつき。Nって、頑固なんだと思う。
「こうしてきたから慣れてるって言うんなら、どうしてそんなに、辛そうな顔をするのよ」
縛られているのは、どっちなの?
Nの表情が、歪む。彼が私に近付き、次にふっと、その体温が間近にあって抱き締められていることに気が付くけれど、不思議と、抵抗をしようとは思わなかった。
Nは今、どんな顔をしているんだろう。
ねぇ、N。あなたが何を思っているのかはわからないけれど。例えば、涙なんか出なくても、魂が震えているのなら、それは泣いているみたいなものでしょ。
どこか宙に浮いたような、この行き場の無い感情は、どこへ行くんだろう。
Nの熱が、私の体温に伝わる。
ただ、私が思うのは。
そんなことに慣れるだなんて、
悲しすぎるわよ。
2010/01/03