※サブマスがちょっと変



いつも通り彼女が職場のロッカーを開く
既に作業服は自宅から身に纏っているが、置いている工具をいくつか取り出そうとして固まった
紺の布地に奥ゆかしい花とバタフリーのシルエットが散らされた浴衣が異常なまでに存在感をアピールしている
見間違いかと眉を顰めるキロの耳に明るい声が届いた

「キロおはよー!」
「チュギィ!」

しじら織りの白い浴衣を着たクダリが勢いよく入ってくる
その肩にはバチュルが乗っており、此方も嬉しそうに鳴いた
必要な工具だけを取り出しロッカーの扉を閉めたキロは淡々と挨拶だけ述べ脇をすり抜ける

「待って、ダメ!」
「…はあ」

どうでもよさそうな瞳がクダリを貫く
右から左に抜けるの覚悟で必死に説明をした
暑いギアステーション内を少しでも涼しくしようと、納涼祭と称して職員が浴衣を着て対応しているらしい
炎天下の中わざわざ訪れてくれるお客様の見目を涼ませようとノボリやクダリの上司が考えたとか
聞き終えたキロは相変わらず冷めた目で疑問を口にする

「整備士が浴衣着て整備できると思っているんですか」
「…それがキロ、今日整備士じゃない」

合わせ目からすっと1枚の紙を取り出す
突きつけられたそれには『ギアステーション内の全女性職員へ』と書かれていた
嫌な予感がしつつもキロは内容に目を通す

『ギアステーション内の全女性職員へ
 残暑厳しい中、ご来訪下さるお客様に日頃の感謝を込めて職員一同浴衣を着て納涼祭を行います。
 しかし男性職員が多いこの現場、むさ苦しさを出してしまっては本末転倒です。
 つきましては受付担当及び売店担当以外の女性職員の方々も、浴衣を着衣しての仕事を義務付けさせていただきます。
 業務に差支えがある方は本日に限り納涼祭専用職員として勤務していただきます。
 何卒ご理解ご協力のほど宜しくお願い致します。』

「…またご参加されない女性職員は、給料カット……労働組合に提出してきます」
「やめて!ともかくキロ、今日は違う。浴衣着て!ねっ!」
「遠慮します。素直に給料カットを受け入れます」
「せっかくカントーから浴衣取り寄せたのに!」

勝手にロッカーを開いてクダリが浴衣を見せびらかす
派手すぎず地味すぎず、それは彼女の好みと一致していたがそれとこれとは話が別だ
トレインが好きで整備士になったというのに仕事が出来ない職場に興味はない
無視を決め込み点検場へ行こうと更衣室から出た彼女を、清掃を勤める年配の女性職員達が出迎えた

「え…」
「ダメよキロちゃん」
「着方分からないならおばさんしてあげる」
「いえ、あの、」
「みんなヨロシク」

クダリが天使の笑顔を振りまけば皆が喜んで応えた
普通の女性より腕力や諸々があるとはいえ、多勢に無勢
キロの悲鳴は掻き消えあっという間に着せ替えられた
工具も全て没収され代わりに扇子が手渡される
薄紫の髪も丁寧に纏め上げられ、チリーンの簪がそれを引き立てた

「こっち来て」

待っていたクダリに手をひかれギアステーションの中心まで向かう
納涼祭担当とは何てことのない、ポケモンのイラストで構成された団扇を配っていくだけだった
ノルマの分を渡されキロは溜息を吐く

「整備したいです…」

ぽつりと呟かれた
キロの表情は少し落ち込んで見える
弱々しげな彼女に浴衣効果も相俟って、クダリはぎゅっと両手を取り握った

「ぼくも手伝う!」
「クダリさんは仕事してください」
「平気。早く配ったら、きっと戻れる」

復帰できると聞いてキロの瞳に光が宿る
団扇の枚数は凡そ100枚
納涼祭と銘打っているはずが職員は皆やる気の炎に包まれていた
午後2時頃までには仕事に戻りたいと考えつつキロは30枚ほどをクダリに手渡した

「出勤ピークは過ぎましたよね」

現在時刻は午前9時を少し回ったところ
会社やスクールに向かう人はもう殆ど見当たらない
混雑する時間帯は団扇配りどころではないため、実質今からがスタートとなる
クダリと一緒にホームをふらつきながら降車してくる人に渡していく

「街頭ティッシュ配りの気分です」
「ぼく楽しいよ」
「そうですか」

笑顔で渡していくクダリとは反対に終始淡々とキロは差し出す
浴衣と女性のコラボに惹かれた男性に対しても団扇をさっと渡すだけで愛想のひとつも与えない
凛とした立ち振る舞いも悪くはないが、一応接客業にあたるためクダリは軽く注意した
暫し考え込み次に降車してきたトレーナーにはにかみながら対応する

「あ、やっぱダメ。笑わないで」
「めちゃくちゃですね」

渡されたトレーナーの男の子が照れたのを見て危機感を覚えたらしい
笑おうが笑わなかろうが、配り終えてしまえばどうということはない。そう考えるキロにとってクダリの言葉は夏に大量発生するテッカニンの羽音ぐらいにしか思っていなかったが、さすがに理不尽すぎてツッコミをいれた
そうこうしている間に残り70枚程となる

「もう11時近く…」
「キロ、場所変えよう?」
「はい」

団扇の入った段ボールを抱えたクダリが下駄を鳴らしてホームを歩く
半歩下がってキロはその背中を眺めついていく
コートで隠されていた体型が少し浮き出て見える
決してがっしりしてはいないが、かなり細いとも言い辛い
あくまでも身長に対して細く見えるが頼りないという印象は見受けられなかった

「じゃあココ!」
「…トレイン乗り場です、か」
「そうダブル!仕事入ってもぼくすぐ乗れる。キロも配れる。一石二鳥」
「お客さん少ないのでは…」

キロがぽつりと呟いた瞬間1人の女性トレーナーが現れた
彼女はバトルサブウェイの常連であり、クダリやノボリは勿論、キロとも数回顔は合わせている
2人を見かけるなり感歎の声をあげて近付いてきた
そしておもむろにバトルレコーダーを取り出す

「あ!ココで録画ダメ!」
「チッ、バレたか」

黙っていれば綺麗な女性が舌打ちする
その豹変ぶりにキロは感情のない視線を送った
彼女がぼーっとしているとクダリが何か思いついたのか、女性に耳打ちしてライブキャスターで写真を自分の撮らせている
画像に文字を入れさせメールに添付し送られていった

「反転したらノボリさんにならない?」
「髪も黒になる。ノボリも着てるって追加して!」
「了解。これでお客さんたっぷりね!」

何をしたのか理解したキロが溜息を吐いた
一般市民の女性にすら多大なる人気を誇るサブウェイマスターが、コートを脱ぎ捨て薄い浴衣1枚で特別奉仕バージョンなどと知れ渡ればすぐお客はやって来る
要は自分を客寄せパンダにしたわけだ
キロの方を見てクダリが屈託のない笑顔を向ける

「整備すぐ戻れる!」
「あ…ありがとうございます」

客が集まれば団扇も減らせる
思いの外自分のことを考えてくれていたクダリに、キロは礼と一緒に小さく微笑んだ
柔らかい瞳を向けられることが少ない彼は思わず胸を高鳴らせる
漫画のような空気と光景に、傍にいた女性はにやりと口角をつり上がらせた

「サブウェイマスタークダリに春の到来k「やめて!」

一頻り揉めたあと女性はやってきたトレインに乗り込んでいった
さも当然のようにスーパーダブルに乗っていった彼女をキロは複雑な気持ちで見送る
発車してから5分後、数人の客がホームに訪れた
トレーナーから昼休みに入ったOLやナース、主婦にウェイトレスと幅広い
バトル目的もちらほら居たが殆どはクダリ目当てだった
会話の邪魔をしないようタイミングを見計らいつつキロは団扇を渡していく

「あのー…」
「はい」
「団扇貰えますか?」

女性に紛れて男性トレーナーがキロに話しかける
貰ってくれるなら、とフワライド柄の団扇をあげた
トレインが来るまで彼とぽつぽつ会話を続ける

「暑いですねー」
「地下、風通し悪いですから」
「今度遊園地で夏祭りがあるそうですよ!」
「いいですね」

夏祭りと聞いてキロは出身のホウエンを思い出す
栄えていてもどこか優しくのどかな街並みを浮かべて口許を緩める
途端、何を勘違いしたのか男性の声が上擦った

「良ければ、」
「あ、」

彼の言葉に被せてキロが声をあげる
視線の先に男性が目を向けたと同時に、カラン!と良い下駄の音が構内に響いた
黒いしじら織りの浴衣を着たノボリが堂々と背後に立っている

「いかがなさいましたか、お客様」

敬語であるにも関わらず威圧感を放っている
焦る男性の横からもう1つ声が落ちてきた
遠目で2人の様子を見ていたクダリがこっちに来たのだ
しかしノボリと違って怒っている様子はない

「大丈夫、ほら続き」
「えっ。あーいや、あの、…良ければ夏祭りご一緒しませんか」
「嬉しいお誘いですがお客様との個人的な付き合いは推奨されていませんので、申し訳ありません」

軽く頭を下げながらマニュアル通りの断り方をキロは述べる
彼女の中では祭に行きたい気持ちが少なからず存在していたが、整備士という仕事は夜勤も急な呼び出しも存在し必ず約束した日に行けるとは限らない
それ故相手に申し訳ないからと断ったわけだが如何せんキロの淡々とした物言いではそこまで伝わりにくい
案の定男性は肩を落としてトレインに乗り行ってしまった

「ねっ」
「なるほど」
「ノボリさん何か御用ですか」

フラグ建築クラッシャー、スルースキル段持ちと揶揄されるキロが首を傾げた
マルチか執務室ぐらいにしか仕事中2人が揃うことはない
珍しくやってきたノボリにキロが問えば、じっと上から下まで見つめられた

「団扇50枚くださいまし」
「私が怒られますので結構です。持ち場にお戻り下さい」
「ノボリも配る?」
「ではお手伝いいたしましょう」

右側にノボリ、左側にクダリを携え団扇配布が再開する
1,2分程会話をしてキロが渡して…といった、最早サブウェイマスターの握手会か何かのイベントのようだ
双子それぞれと話すためわざわざ2枚貰っていく人もいた
お昼休憩を忘れ続けた結果、午後1時にノルマ100枚は綺麗に無くなった
トレインに乗らないお客様に別れを告げてホームはいつも通りになる

「ありがとうございます。点検場戻ります」
「おなか空いた」
「折角ですし、外で何かいただきましょうか。貴女様も是非ご一緒に」
「結構で、きゃっ」

慣れない下駄を履いていた所為か躓く
咄嗟に2人が手を伸ばし引き寄せた
こけはしなかったものの、ノボリが掴んだ背布から浴衣が緩み着崩れる
肌蹴た隙間から鎖骨が顔を覗かせた

「ブラボ―――!」
「ノボリダメ!まだ仕事中、戻って!でもソレいい!」
「…すみません」

即座に離れて簡易だがキロは自分で着直した
喜ぶノボリを見て彼女は呆れの視線を送ることなく腕を伸ばした
首筋にそっと両手が添えられる

「少し直しますね」

そのまま首に襟が沿わされ上前が捲られる
屈みこんだキロが下前端を後ろ側にくっと引っ張り上前を戻すと、屈んだ状態で手をあげ帯の上下で襟端を前に合わせ直した
自分の着崩れより他人の物が気になるようだ
きちんと直せたのを確認して、キロは満足気に頷き立ち上がる

「ヤマトナデシコってやつだ!」
「男性用は簡単ですから。…ノボリさん?」
「わたくしもうどうしたら…!」
「ノボリ純情だから。キロ責任とって」
「クダリさんの帯崩れは自分でしてください」

普段と同じ呆れた視線が送られる
空になった段ボール箱をキロは抱えて1人さっさとギアステーション中心部へ向かった
ノルマを終えたことを告げ帰ろうとした彼女の両脇から、ばっと手が現れ胸を鷲掴む

「きゃあああっ!!」
「あーん、負けちゃった。41両目の人強すぎー!」
「や、っん、ぃゃ、」

先程の女性がトレインに文句をつけながら堪能している
必死に身を捩って抵抗するも、相手がお客様という認識が邪魔をして強く出れない
周囲に居た人達も頬を染めたり顔を背けたりして助ける気配は全く無い
顔見知りとはいえ友達でも何でもない人に痴漢行為を働かれて、キロの脳内はパニックを起こしていた

「はな、して…っ」
「ふー…構成考え直そう。またね!」

するっと手が抜かれて離れる
元気良く去っていく相手を見ることも出来ず、キロはその場にへたりこんだ
顔を紅潮させて短い息を吐き整える姿を見てようやく1人の女性職員が我に返り慌てて手を貸した

スキップで女性は扉を叩く
サブウェイマスター専用の執務室にあっさり入り込み何の躊躇いもなくソファーに座る
既に帰っていた2人に向けてライブキャスターが突き出された
画面に映るのはついさっきの動画

「いくらで買う?」
「ぼく5万」
「静止画込みでしたらわたくし8万は出します」
「ふふふ、感謝してよね。お客様の声を無視しないギアステーションの方針に則り、納涼祭開け野郎暑苦しいんだよゴルァした、この私を!!」
「ナイスクレーマーでございます!」
「むしろ天の声!」

きゃっきゃっと扉の向こうから響く歓喜の声に、クラウドは盛大に溜息を吐いた
そして被害に遭ったキロに心の奥底から同情する

「ごめんなぁキロちゃん…わしらも所詮歯車やねん…」
「電車ノ歯車ニナリタイ」
「巻き込まれてこいやアホシンゲンが」
「煩"悩""陵"辱"災"害で悩陵災だな」
「やめろトトメス、泣くわ!」








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