※死なない死ネタもどき





ふわふわと彼女が目の前に僅かに浮いて存在しているのです
表情に特別変わりはなく、わたくしを見つけて寄ってきた彼女の体は少し透けておりました
本当は聞きたくもありませんが聞かねばならない気がして唇は勝手に動き出します

「一体どうなされたのですか」
「ノボリさん、」

深い蒼の瞳に光はありません
まるで生きていないようだと感じました
いえ、そんなはずないのです。彼女はつい先刻までわたくしと一緒に執務室にいて、丁寧な報告書を差し出し1杯のコーヒーを淹れて、そう本当に僅か数秒前に扉を閉めて出て行ったのですから
死ぬはずもありませんし此処に居るはずもないのです
ですからこれは夢なんだと理解しました

「私死んでしまいました」
「―――ッ」

理解したはずなのに胸が詰まります
何て胸糞悪い夢でしょうか。こんなものを見るなんて起きたら自分を100回ほど殴りたいです
よくよく見れば彼女の周囲を淡い光が囲んでいました
妖しく揺らめいて、わたくしを嘲笑っているようです

「そんなはずはございません。貴女様はきちんと生きております。これはただの夢ですので」
「いいえ私は死にました。貴方と別れた後、客に通過するトレインの前へ押し出され死んだんです」
「っ、馬鹿を仰らないでくださいまし!そうであったとするならば、今頃わたくしは連絡を受けホームにいるはずです!こんな執務室に、」

そこでわたくしは言葉を区切りました
此処は執務室ではなかったからです
目の前にあった大量の書類も革張りのソファーも彼女が淹れたコーヒーのカップも
何もかもが消え去り黒い空間に放り出されわたくしと彼女だけが居たのです

「お別れを言いにきたんです。どちらかにしか言えないそうですから、クダリさんはきっと伝えても泣いてしまって、貴方に届かないと思って」

夢です。これは夢ですからまやかしの言葉に騙されてはいけません
ですがそう、もし本当に彼女が死んでいてもし本当に最期だとして伝えにきたのなら、いつもの彼女ならばこうやって普段通り何一つ変わらないまま淡々と述べるのでしょう
社会の歯車が1つ欠けた所で未来へ続くトレインは問題なく運行すると
そう言いたそうに声に含みを持たせるものですから、わたくしは少しずつ混乱してきました


もし、もしも本当にいなくなってしまったら


これが彼女との最期のやりとりだとしたら


わたくしは伝え損ねたことも聞き損ねたことも、沢山ございます


ですから必死に手を伸ばして掴もうとしました
まだ逝ってはいけないと
この時既にわたくしは夢や現実といったことを考えなくなりました
馬鹿げていると思いますが本当だった時後悔するのは嫌だったのです
身勝手な願いだと思いました

「今までありがとうございました。お2人には本当に助けてもらい感謝しています」
「お待ち、くださいまし」
「時間がありません。ノボリさんならきちんとクダリさんにもお伝えできますよね」
「いえ、わたくしは、」
「ノボリさんなら泣きませんから大丈夫です」

ぽたぽたと、頬を伝って流れ落ちる涙を彼女は見えていないのでしょうか
わたくしは泣かないなど誰が申し上げたのですか
愛しい人が死ぬと言われて泣かない人間に見えているとするならば心外です
それでもわたくしの涙を無視して彼女は何度も念押しします

「絶対に告げてください。一言一句違わず、泣かず、今の私をそのまま表現してクダリさんに。貴方は強い人だから」
「そんなはず、ありません。いえ、貴女様は」
「涙なんて弱い物ノボリさんには似合わないから出ませんよ」
「っ、キロは!そんなこと絶対に申しません!」

ありったけの声で叫びました
ええ、彼女はこんな人の表面しか見ない物言いを絶対にいたしません
深い蒼の瞳で心の奥底まで覗き、そして本当に大切な部分だけを抜き出しオブラートに幾重にも包み込んで返してくれるのです
本物の彼女であればわたくしが泣かないなど、泣いていないなど言うはずありません
間を詰めて肩を掴めば簡単に触れることができました

「貴女様はキロではありません。わたくしの夢から出ていきなさい、実に不愉快です」
「…夢だと言うのですか」
「例え夢でなくとも本物でない彼女など必要ありません!」
「必要ない…そう、ですか。わかりました、それじゃあ」



『サヨナラ。愛してます』



一瞬にして彼女の体は消えてしまいました
そう夢若しくは偽者ですから大丈夫です。何も哀しくなどありません
なのにわたくしの手はまだ未練がましく宙を漂い何かを掴もうと必死になっています
誰も居ないのです。此処にはわたくししかもう存在しないのです
真っ黒な空間が迫ってくるようでした

「…キロ、」

名前を呼んでみましたが返事はありません
途端虚無感が全身を覆いつくし膝から崩れこみました
消える間際に見せた彼女の顔は今にも泣き出しそうで、ああ、もしかしたら本当は

目覚めてしまったら彼女はいないのかもしれません
そんな世界、わたくしはもう

「わかっております、まだいらっしゃるのでしょう?此処に、貴女様はずっといるのです。ならばわたくしも此処にいます。ずっと、ずっと傍で、一緒に」

この黒いモノは全てキロでありこのまま包まれて死ねるなら本望だと思い瞳を閉じました










執務室に忘れ物をした
お気に入りのボールペンがない
点検場まであと少しの所で気付き、踵を返してまた扉をノックした
返事はなかったけれど鍵は開いていたのでそっと開く
私が中を確認するより早くボールが勝手に開きゲンガーが飛び出た

「ゲンガー、あなたは登録していないから出ちゃ「グオオオオォォゥッ!!」

あまりにも彼が威嚇して鳴くものだから
諌めるのを止めて視線を動かした
そこには机にうつ伏せて眠るノボリさんがいた
よほど疲れているのだろうと思い、ゲンガーに静かにするよう告げて毛布を探す
かけようとして私の動きは止まった

顔が生きているとは思えないほど蒼白い
元々血色が良いとは言えなかったけれど、それを遥かに凌駕している
毛布を置いておそるおそる頬に触れた

「つめ、たい…」

声が震えたのがわかった
寒さにやられた身体がぎこちなく動きもう1度触れる
どれだけ触ってもノボリさんは身動ぎひとつしなかった

「そんな」

呼吸が絶え絶えになっていく
後ずさる私の背をゲンガーが叩いた
痛みで幾分か気は紛れたけど、彼が驚くほどには私は動揺していた
ゲンガーは別のボールを取り出しボタンを押した
中から出てきたサーナイトは私を抱き締め綺麗に鳴く

「ポォォォゥ」

必死に彼女が首を横に振る
抱き締められたまま私はノボリさんを見た
黒いコートが微かに揺れた気がする
瞳を凝らしてずっと見つめていればそれはまるで炎のように揺らめいた

「――! 堕ちなさいシャドーボール!」
「グオオゥ!」

コート目掛けてシャドーボールを放てば、背中を掠る寸前に何かが飛び出て扉を突き破り出て行く
姿を上手く消していたけれどあの特徴的な一つ目は間違いなくサマヨールだ
イッシュには生息していないから客の手持ちが悪さをしたのだろうか
無線でクラウドさんにサマヨールが逃げたことを伝えておいた

まだ眠り続けるノボリさんを軽く揺する
瞳は固く閉ざされたまま、全く起きる気配がない

「…サーナイト私にさいみんじゅつをかけて。ゲンガーはその後あくむを」
「ポオオォゥ!?」
「平気。彼のあくむには慣れてるし、早く取り戻さないとノボリさんが危ないから」

転寝しているところをやられてしまったのか
詳しい経緯は分からないけれど、救出することが先
サーナイトも最後には折れて妖しい声で鼓膜を擽る
次に意識が浮上した時、真っ暗闇の中私は浮いていた

上下左右の感覚が狂いそうになりながら足を進ませる
黒い世界で蹲る黒い彼を見つけた
私が名前を呼んでも、私の名前を呼ぶばかりで気付かない
そんな彼の後ろから白い腕が見えた

『そんなに私と一緒がいいですか』

彼を抱きしめ耳元で囁くのは私だった
自分でもそっくりだと思うほど姿も声も喋り方も同じ
ノボリさんは私によく似た方に反応して顔をあげた

「これは、夢でしょうか」

そう。サマヨールが魅せる夢
悪夢であるはずなのにノボリさんは心底嬉しそうな顔をした
待ち侘びていたように少し透けている私へ手を伸ばす
これ以上持っていかせては戻ってこれない
触れる前に私はその手を掴んで此方へ向けた

「ノボリさ」
「どちら様ですか。何故邪魔をされるのです。わたくしと彼女の世界に何故見知らぬ貴女様が?」

彼には私が私として映っていないよう
私を見る瞳はとても冷たくて、銀灰色のそれは暗く澱んでいた
手を振り払おうと暴れるから私も乱暴に押さえつける
それでも男女の力の差は大きく、頬を叩かれたり手袋越しだというのに腕に爪を立てられたり太股を蹴られたりした

「離してくださいまし!」
「い、っ…やっ」
『ノボリさん、それが良いと言うなら私は去ります。死んでしまった私より、生きているそれの方が生きている貴方にとてもよく似合います』
「そんなっ、わたくしは彼女なんて要りません!でしたらいっそわたくしも死んで、」


要らない


必死に掴んでいた腕の力が急速に消えてしまった
突然離れたことにノボリさんは驚いて、ようやくちゃんと此方を見た
背後にいる私はとても厭らしく笑っている


要らない


「…貴方が要らないというなら、仕方ありません」

此処はサマヨールが作り上げた彼の世界
ノボリさんが出たくないというなら、永遠に出ることは叶わない
徐々に蝕まれてあの身体に魂を吸いとられるだけ
そして私が此処に入り込めたのはゲンガーのあくむのおかげ

じわじわとあくむが手招いているのがわかる
目に見えるほどに沢山の黒い手が私に触れ覆っていく
これから私は目覚めるまで嫌な夢を山ほど見る
夢とわかっていても、泣いてしまう叫んでしまう縋ってしまう、そんな夢を

「ノボリさん。…さよなら」

流れ落ちた涙が傷に沁みて痛んだ
もしかしたら彼は現実にいるよりこの世界の方が良いのかもしれない
仕事に追われ疲れる場所よりも、彼が好きな私とずっと暮らせる黒い此処の方が
連れ出すのは私のエゴではないだろうか
ひたひた忍び寄る悪夢が心を暗くしていく

ああ、ノボリさんなんて目をするんだろう
邪魔者は消えるから後ろの私と幸せにいればいい
哀しいけれど、痛むけれど、辛いけれど
私が涙を流す分だけ貴方が泣いてしまうのは、なんだかとっても、

「一緒に泣くなんて、初めて、ですね」
「―――キロ!!」

飲み込まれていく私の手を彼が掴んだ
引き上げられる感覚と共に明るい世界が飛び込んでくる
瞬きを数度すれば自分が仮眠室のベッドに横たわっていることに気付いた
隣のベッドではノボリさんが寝ていて、起き上がってそっと近寄ればぐるりと視界が反転した

「…苦しいです」
「……」

何も言わないノボリさんにきつく抱き締められる
嗚咽が静寂の中響いて耳に届く

「1つだけ聞いても良いですか」

ノボリさんが小さく頷いた
私は自分を抱き締める腕を解かせ彼の顔を見つめる
涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は視線に耐え切れず枕へと埋まろうとした
それより早く、少し動いて頬にキスをした

「私のこと「必要でございます!」

またぎゅうっと抱き締められる
少し裏返った声で答えたノボリさんはまた肩を震わせた
背中を擦ってあげながら瞳を閉じる
ほんわりとした光が胸中に広がるのを感じながら私は意識を手放した










「サマヨールのトレーナーさんがえらい謝り倒しはって、また後日改めて謝罪に来る言うてたで」
「はあ、そうですか」
「ほんまに魂取るっちゅーわけやけないけど怖いわなぁ」
「そうですね。ところで私整備士なんですが」
「…わしに片時も手放したくないオーラ出してる黒ボスから引き離せなんて冷たいこと言わんやんな。キロちゃん優しい子やから汲み取ってくれるって信じてるで」
「仕事に戻りたいんです」
「黒ボス書類此処置いてますんで!」

笑顔でクラウドが書類を机に置き逃げる
ノボリの膝上に乗せられ背中から抱き締められているキロは溜息を吐いた
腹にまわされた腕の力が強まる

「まだ就業時間です」
「…わたくし、貴女様に酷いことを」
「構いません。すべて夢の話です」
「ですが、っ」

振り返ったキロがノボリの口許を人差し指で押さえた
本当はボールペンで押さえたかったのだが生憎とまだ見つかっていない

「クダリさんへの説明全部引き受けてくれるなら、もうどうでもいいことですよ」

ノボリとキロの2人が死んだように眠るのを見つけたのはクダリだった
パニックを起こしながらも必死にベッドへ運び、目覚めるほんの少し前までずっと付き添っていた
今はダブルトレインに乗っていてそろそろ帰ってくる時間

「善処いたします」

彼がどう上手く説明しようとも、どうせキロにも泣きついてくるのは目に見えている
ただ先に説明させておけば怒りと嘆きの言葉は7割ほどノボリへ向かう
巧妙にクダリを誘導しようとするキロの肩口に顔が埋められた

「生きていて良かった、」

そこで言葉は区切られて続かない
また泣き出しそうな彼の制帽をキロは取り上げ深く被った

「次に死ぬなんて軽々しく言ったら殴りますね」
「…ええ、お願い致します」





貴女に抱かれて死ねるなら
そんな我儘は小さく震える肩に吹き飛ばされてしまいました

願わくば

強く脆いその心を守り抗ってみせましょう









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