『本日の運行は全て終了致しました。どなた様もお忘れ物の無いようお気をつけてお帰り下さいまし。バトルサブウェイのご利用まことに有難う御座います。またのご来訪心よりお待ちしております』

ぶつん、と放送マイクが切られる
振り返ったノボリは連なる屍に賛辞の言葉を送った

「皆様お疲れ様です。無事本日の運行業務を終了致しました」
「いやったああああああ!!!」
「帰れるんですか!帰れるんですか!よかった布団万歳!」

大の男が涙しつつ万歳三唱している
実に愉快な光景の中をノボリはそっと抜け出した
トレインの運行は確かに終わったが、まだバトル記録や集客率の報告書が待っている
まだまだ帰れそうにないと思った矢先闇夜に浮かぶ白を見つけた

「何をしているのですか、クダリ」

あからさまに逃げ出そうと試みていた弟を一喝する
兄を出し抜くのは無理と判断したのか、渋々クダリは執務室に戻っていった
山のように積み上げられた書類に2人して遠くなる

「5分でいいから抜け「ダメです」

今逃せば5分どころか5日は帰ってこないだろう
そう判断したノボリがばっさり切ると、急にそわそわし始める
時計を気にしながらも一応手は動かしていた
12時を越えて10分程経った時、我慢できなくなったのかクダリが急に立ち上がる

「無理!ぼく行ってくる!」
「いけませんクダリ!明日が辛いだ、け…」
「いたい!!」

勢いよく扉に向かって走り出したクダリの顔面に、それまで静かだった扉がぶち当たる
嫌な音を部屋に響かせてその場に彼は倒れこんだ
慌ててノボリが駆け寄ると、もう1つ陰が落ちてきた

「おや、」

珍しいこともあるものだと心中ノボリは思った
床に突っ伏すクダリに作業着のまま寄ったのは、バチュルを頭に乗せたキロだった
直属ではないとはいえ上司だからかキロは軽くノボリに頭を下げる

「すみません、正面に居るとは思わず…」
「彼が悪いのですよ。ほらクダリ起きてくださいまし」
「うー…あ、キロ!」

彼女の姿を確認するなり反動をつけて起き上がった
少なからずキロに興味を示していたとはいえ、ここまで反応すると思っていなかったノボリは目を丸くした
一方の彼女は無表情の中に僅かに呆れを交えバチュルを差し出す

「お返しします。取りに来ないので直接来ました」
「あれ?つやつや」
「…不要かと思いましたが、毛繕いを少し」

クダリに渡されたバチュルの毛並みが今朝よりも格段に良くなっている
じっと見つめる兄の視線に気付いたクダリは、帰ろうとするキロの腕を掴んだ
その頬にちゅっと自分の唇を寄せる

「な…っ!」
「お礼。ほらバチュルも」
「ちゅぎぃー」

持ち主に倣ってかバチュルも手の上から頬に擦り寄った
満足気に笑うクダリをキロが睨む
決して無表情ではないのだと、2人とも頭の片隅で考えていた

「最低です。帰ります」

絶対零度。後ろに吹雪すら見える冷たい視線で2人を射凍らせた
ヒールを履いていないはずなのにカッカッと音を立てて闇夜にキロの姿が消えていく

「えへ。怒らせちゃった」
「…女性にあんなことをしては当然です。それよりそのバチュル…」
「キロに預けてた!バチュルも懐いたみたい」

今度はクダリの頭、制帽の上に乗ったバチュルが嬉しそうに鳴く
ご機嫌な1人と1匹を眺めつつノボリはふと疑問を口にした

「バチュル"も"ですか」

言わなくても分かるくせに
クダリの笑みがノボリにも少し感染した







「素敵…」

うっとりとしたキロの声が点検場に響く
周囲に居た整備士数人が、えっ、と息を飲んで出所を見る
トレインを見て恍惚とする女性
これ自体はさほど珍しい光景ではない

鉄道が好きで好きで鉄道員になった者もいる
拗らせまわった結果、廃人となってしまった者もいる
この度新しくやってきたWi-Fiトレインは、バトルサブウェイ最速車両であり超最新型である

まだ一般向けに走行はしていないため常にこの点検場にあるWi-Fiトレインを一目見ようと、到着した日には多くの鉄道員が休憩時に押しかけ、終業してもなお見つめていた
しかし彼女が見つめているのは持て囃されている最新型ではない
むしろその逆、サブウェイで一番歴史ある型。ローカルトレインである

「キロちゃんそれシングルと同じ型だよ?」
「はい知っています。でも…」

車体に近寄って頬をつける
まるで恋人に寄り添う可憐な乙女だ

「この子はバトルしていません。ただただ普通に走行してシリンダーブリッジを抜けたりカナワタウンに向かったり…整備の手間すら愛しいんです」

この子、重症だ!!
その場に居た者全員が心を一つにして叫んだ
確かに好きでなければ女性が整備士を選ぶことは少ないだろう
しかしトレインに向かって"この子"と呼ぶほどにまで酷いとは誰一人として知らなかった

「あなたをまた動かしてあげる」

頬を離して優しく掌で撫でる
慈しみの瞳が切り替わり、車内に入るなりきびきびと点検整備に当たった
その変貌っぷりに感嘆の声すら零れるほど

「成程。確かに見れば見るほど美しい丸いフォルムですね」

一通り整備を終えたキロがトレインから降りると黒いコートがそれを眺めていた
微かに片眉を寄せるも、持っている書類を思い出し近寄る

「…お疲れ様です。この子、…ローカルトレインの報告書です」
「有難う御座います。時に電車はお好きですか?」
「はっ?」

突如として投げかけられた問いに目を丸くする
そんな彼女を気にも留めず、ノボリは貰った報告書をぱらぱらと確認していた
細かく書かれた内容に僅かに頬を綻ばせる

「上からお話がありまして、イッシュではもう使用されていないトレインを再度走行させてみようと、その乗車会に「本当ですか!」

翳っていた瞳に光が宿る
キロの脳内ではカナワで見かけた小豆色の古い車体が蘇っていた
先輩から聞いたもう走ることのない旧式車両
パーツは多く故に整備は大変で、それでも愛され続けてきたトレイン

イッシュから遠く離れた地方では現役と聞いていた
1度でいいから乗ってみたい。羨ましい
そう先輩達と一緒に想ったのを今でも彼女は覚えている

「では、休暇届を此方の日程に合わせておいてくださいまし」

トレインに想いを馳せるキロに乗車会の書類が差し出される
大きく頷いた彼女を確認してから、ノボリは別の車両へと行ってしまった
真剣に必要事項を読むキロの後ろから羨望の視線が放たれる

「あ…あの、すみません。先輩方のほうが、」
「ノボリさん直々に誘われた後輩を押し退けて行けるかってーの」
「それにキロちゃん休んでないだろ?ご褒美ご褒美」

感想は教えてくれと笑う先輩達にキロもつられて微笑んだ
チームリーダーにも話は伝わっていたらしく、希望通り乗車会の日は休日となった
そして当日。朝からキロのマンションでは走り回る音が響いた

「仕事?休日?…仕事、いや、休日…」

クローゼットから引きずり出された服達
姿見の前でキロは困惑していた
休暇届を出しているならば休日扱いだが、ノボリという部署は違うとはいえ上司が同行するものに、あまりにもカジュアルなものを着ていくのは憚られた

「スーツ…はちょっとね」

そっと細い緑色の手が1枚のワンピースを差し出した
キロはそれに気付くと笑って受け取る
自分の身体に当てて、ハンガーに引っ掛けていた長袖のカーディガンも合わせる
生成りがかったワンピースとゼラニウムレッドの羽織を着て時計に目を向けた

「…やばい」

明るい茶色のポシェットを引っさげ、慌てて同系色のパンプスを履く
振り返ると衣服が宙に浮いて元の位置に戻されていた

「ありがとう。ごめんね、行ってきます」

手を振ったキロに振り返す者、走り去る後姿を眺める者
その中で緑の手の彼女だけが酷く心配そうな顔をしていた
しかしそれを知る由もなくキロはギアステーションへと辿り着く
職員専用室へ向かわず、他の乗客と同じように券売機で切符を買う
カナワタウン行きのホームに行くと、私服でも人目を惹くノボリの姿があった

「すみません、遅くなりました」
「いえ、まだ出発5分前ですからお気にせず」

ノボリの隣に並んで電車を待つ
自分より頭1つ分近く違う身長の彼をキロは盗み見る
モノクロだというのに派手なコートは着ておらず、同色の制帽も存在しない
代わりに黒のワークキャップに薄紫のワイシャツ黒のスラックスという、至ってシンプルな装いだった

定刻通りやってきた電車に乗り込む
発車間際に白いコートが走りこんでくるのをキロは見つけた
全力で来たのか息も絶え絶えなクダリは、強引に扉付近にいたキロにバチュルを押し付けた

「ぼく行けないから、この子に見せて!」
「あのっ」

鉄道員の出発の声と共に扉が閉まる
それ以上は届かず、またバチュルを押し返す暇もなくトレインは動き出した
ホームで懸命に手を降っているクダリの姿が遠くなっていく
困り果てるキロとは逆に、バチュルは嬉しそうに擦り寄り鳴いた

「申し訳ありません。わたくしが預かりましょうか」
「…大丈夫です。君もトレインが見たかったの?」
「ちゅぎぃー?」
「ふふっ」

小首を傾げるバチュルに思わず笑みが零れる
トレインがゆっくりと車体を揺らしながら進んでいく
シートに腰掛けながらキロはつり革を眺めていた
平日の為カナワ行きに乗る人は多くない
各駅停車独特の雰囲気が車内には充満していた

キロの膝上に乗っていたバチュルはいつの間にか眠っていた
隣に座るノボリも瞳を閉じている
時折乗車してくる子供や老人達も、静かに笑い合っている

電車のこの空間が好きだとキロは改めて思う
目的地に辿り着くまでに、小さな出会いと別れを繰り返す
老若男女や肌の色、生き方など全て違う人が不思議と集まる
それぞれの想いや考えを乗せてトレインは進む

『次は………』

手動運転だろうと全自動だろうと変わらない人の声
懐かしさにキロは窓の外に目をやる
途端ハッと見開き、すぐさま顔を背けた
ぎゅっと握り締めた手がワンピースの裾をぐしゃりと寄せた







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