平日の夜はトレインが多く走行する
学校や仕事帰りの学生、OL、サラリーマンが日頃の鬱憤を晴らすべく挑戦するからだ
昼間よりも慌てふためく職員を横目に、キロは帰ってきたばかりのトレインを見つめた

「此処も破損してる…」

微かな塗装の剥げ
動き回るトレインでは客の目に止まることは無いだろう
それでもキロは手元の用紙にチェックとメモを書いていく

「大丈夫。あなたをまたかっこよく走らせてあげる」

車体を優しく撫でる
その傍をドテッコツが通り過ぎた
重たい素材を持って働く彼らにキロは哀れみの目を向けた
踵を返し、チームリーダーに報告しようとした時、手招きをされた

「何でしょうか」
「悪いな。今すぐホームに行ってシングルトレインを確認してきてくれ」
「はい」

緊急停止でもしたのだろうか
とにかく頼まれた仕事に向かってキロは全力疾走する
広いギアステーション内を駆けずり回り、息を切らしながらホームに辿り着く
そこで待っていた職員に案内され何故か乗車させられた

「あの、どういった、」

内容ですか。という言葉が続くことは無かった
扉は無情にも閉められ、ガタン、と車体が大きく揺れたと思うと速度を徐々に上げて走り出す
慌てるキロに向けて職員は手を振っていた
その顔はどこか悪戯が成功したような、清々したというような晴れ晴れとしたものだった

「なんで…!」

走り出してしまった物は仕方がない
先頭車両まで行き操縦席から通信で助けを求めよう
キロはすぐさま思考を切り替え、逸る気持ちを抑えつつ車両と車両を繋ぐ扉へ手をかける

1両目も2両目も誰もいない。3、4、5…まるで永遠に続くかのような錯覚
動いている電車の中で走るとぐらぐらと揺れている気がした
7両目への扉を開いた先に、今までとは違うモノがあった
風もないのに軽やかに浮かぶ黒いコート

「お待ちしておりました」

ひとつ間違えれば慇懃無礼ともとれる敬語
その言葉遣いとは違って、無表情に拍車をかけた鋭い瞳
無意識に体が強張ったのが分かった

「一体これはどういうことですか」
「バトルの得手不得手、これはどうしようもありません。また好き嫌いに関しましても個人の好みでございます。しかし、バトルを好み集う者が数多いる中で貴女様の発言は輪を乱しかねます。そこでおひとつ、」

パチン、と手袋をした指が鳴る
ノボリの後ろにある操縦席から現れた職員が、ボールがいくつか並べられた箱を手にキロの元へ近寄った

「わたくしとバトルしてくださいまし。貴女様が勝てば職員一同そちらの態度に関して一切不問に致します。但しわたくしが勝ちました時には少し態度を改めていただきます」

コートの下からモンスターボールが投げられ、シャンデラとオノノクス、そしてドリュウズが現れる
手持ち全てを見せたうえで尚も続けられる余裕の表情に、キロは不快感を隠さず大きく舌打ちした

「くだらない。バトルはしません。降ろして下さい」
「おやお逃げになるのですか?」
「そう取っていただいて結構です。私は戦いません。バトルなんて必要ありませんから」
「お前黙ってたらさっきから…!」

キロの言葉に逆上したのは傍にいた職員だった
勢いよく振りかざされる拳がスローモーションでノボリの瞳に映る
何があろうとも、暴力だけは決して行ってはいけない
止めに入ろうと駆け出した時、抵抗も驚きもしないキロの顔があった

一瞬の躊躇いの間に鈍い音が響く
それもすぐにトレインの走行音に掻き消された
床にぐったりと倒れこむキロ
殴ってしまった職員の顔がさっと青褪めた

我に返ったノボリも駆け寄りそっと抱き起こす
気絶はしておらず、腕の中で少し呻いた後、殴られる前と何ら変わりのない褪めた表情で2人を見上げた

「…気は済みましたか」

怒りも呆れもない声にぞっとする
自分が無表情だと理解しているノボリですら、その淡々とした物言いに目を見開いた
殴られた頬が見る見るうちに赤くなる

モニターでこの光景を見ていた職員が緊急停止したのだろう
トレインは近くのホームで停車した
窓の外が止まったのを見て、キロは自力で立ち上がり扉をボタンで開いて降りていく
その背中からノボリは目が離せず、職員に声をかけられるまでずっと見つめていた





「作戦、…失敗?」
「失敗なんて可愛いモノではありません。失態です」
「彼は?」

専用の執務室にあるソファーからクダリが顔を出す
机と向き合い始末書を書いていたノボリが本日何度目かの溜息を吐いた

「わたくしの責任もありますから、3日間の謹慎です」
「ふーん」

如何なる理由があろうとも女性に手を上げたことは事実
納得がいかないと抗議を申し立てる職員もいたが、本人はいたく反省しており、処分をきちんと受け止めた

「ねえノボリ」

再びソファーに寝転がったクダリがボールを手に呟く
書類から顔を上げたのを見計らったかのように、先程のバトルメンバーが繰り出された
どのポケモンも厳選に厳選を重ねきちんと育てられたスーパーシングル用のポケモン

「なんでこの子達?」

シャンデラを掴まえて笑う弟にまた溜息を吐いた
言わずとも分かりきっていることを、学校の先生のように噛み砕いて告げていく

「確かに勝つだけならばイワパレス達でも問題ありません」
「うん!みんな強い!」
「ですが、彼女には何か不思議なものを感じます」

サブウェイマスターの勘とでもいうべきか
バトルは必要ないと言い切る彼女が弱いとは思えなかった
だが、もし強いのであれば何故そこまでバトルを頑なに拒むのか
何が彼女をそうさせているのかまでは分からない

「それはボクも思う。キロ、バトルしたら絶対おもしろい!」

きらきらとクダリの目が輝く
無意識に何かを感じ取る能力でも備わっているのだろうか
脳内でバトルを想像しているであろう弟を横目に、ノボリはじっと手元の書類を見つめた

キロ。21歳。女性
誕生日、血液型、身長、体重
それまでの勤務態度

「どうにも引っ掛かりますね…」

出身地、不明
使用ポケモン、不明
整備学校以前の経歴、不明

ばさりと落とされた書類に踊るUnknownに眉を顰める
騒がしい世界の幕開けだった







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