「ご迷惑おかけしました。本日より復帰させていただきます」

5日間の休みの後キロは現場復帰した
本来ならば軽い物でも10日ほどかかるそれは、医者も驚くほどの速さで完治した
キロのサーナイトによる"ねがいごと"の効果である
ただそれを誰にも告げていない彼女は、密かにがんじょう持ちの噂を立てられることとなった

「本当に宜しいのですか?」
「診断書は此方に」
「良かった!キロ、はいバチュル!」
「いえ別にそれ「チュギィ!!」

べたぁっと顔面にバチュルが張り付く
キロは心中で溜息を吐いてから優しく摘まみ引き離した

『黒ボス!挑戦者やで!』

無線からクラウドの声が洩れる
ノボリが確認を取ると珍しくスーパーシングルでの挑戦者が来たらしい
現在6周目の5両目
上手く行けば7週目に入り最終車両までやってくる

「行ってまいります」
「いいなノボリ!いってらっしゃい」

どこかうきうきとした面持ちで出て行くノボリの背を、キロは眉一つ動かさず見つめる
バトルは要らないと言い張る彼女にとって眉を顰めないことは珍しいことだった

「トトメス、ぼくの方は?」
『残念ながら僕が倒してしまいました』
「えー!ばかー!ばかー!」

誰も居ない所に向かって1人怒るクダリ
それを横目で見ながらキロはバチュルの毛並みを確認していた
悪くはないが以前毛繕いした時よりは確実に落ちている

「毛繕いしてくれるならこっち!」

休憩時にでもしようと思っていたキロを引っ張っていく
平日とはいえ人はそれなりに集まり賑わっていた
ホームに備え付けられたモニターに、現在運行しているトレインの様子が映し出される
丁度、挑戦者が7週目の6両目を制覇した

盛り上がる周囲の廃人トレーナーや鉄道員とは裏腹に、キロは黙々とバチュルの毛繕いを始めた
しかしクダリに促され仕方なくモニターに目を向ける
黒いコートと黒い制帽、銀灰色の瞳が映った瞬間それぞれの想いが飛び交う
挑戦者を応援する者、ノボリに野次を送る者、黄色い声をあげる者

『ようこそ、お待ちしておりました!改めて自己紹介を…わたくし、サブウェイマスターのノボリと申します!勝って勝って勝ちまくり、その先になにが見えるのか?目的地はどこなのか、考えつづけてひとつわかりました。勝った先のことは勝たねばわからないということです。ですので今回も全力でお相手いたします』

モニター越しに聞こえる声は普段の数倍嬉しそうだった
バチュルを撫でる手を止めて画面に魅入る

『では出発進行ーッ!!』

幼子の輝く瞳にフラッシュバックする
2人について尋ねた老齢の男性を、初めて出会った時の興奮冷めやらぬクダリを、そして



――― バトルが たのしいと おもっていた あのころ を



「………ッ!」
「キロ!?」

サブウェイマスターの本気の戦いを一目見ようと集まった人を掻き分け走る
キロの瞳からは止まることなく涙が溢れ続け、床に、作業服に、腕の中のバチュルに容赦なく降り注ぐ
どれだけ走っても数あるモニターからバトル中継は流れ響く
ドリュウズが攻撃を加える音、対して水を纏い発するダイケンキの音
見ずとも分かるぐらいに高揚した楽しそうな表情

「っあ」

誰かがポイ捨てした空き缶に足を取られホームで転ぶ
咄嗟にバチュルを庇い、左半身から落ちた
そのままキロは立ち上がることなく蹲る

「ごめんなさい…」

一体誰に向けられた謝罪だったのか
その言葉を最後にもう瞳から滴が落ちることは無かった
作業服の裾で涙を拭いゆっくりと起き上がる
更に汚れた服を適当に払い、追ってきたクダリにバチュルを渡した

「持ち場に戻ります」

淡々と、深々と

光を覗かせ始めていた瞳がまた闇に堕ちる
クダリの脇をすり抜け点検場へと走る
数少ない女性用の手洗いに駆け込み、個室の内側から鍵をかけしゃがみ込んだ
便座を抱えまるで言葉や想いの代わりかのように胃の中全てを吐き出す

ごめんなさい。を心の中で繰り返し繰り返し
想いが見える機械があれば、呪いの如く何百回も





「お疲れ様ですボス!」
「良い挑戦者様でした。是非また来ていただきたいですね」
「来ますやろー。あそこで負けたら悔しいですわ」

手持ちは互いに残り1体
接戦の末勝ちを制したのはノボリと最後のポケモン、シャンデラだった
それもあと一撃、向こうが速ければ負けていたぐらいだ

「ノボリ…」

扉から自分を呼ぶ弟に顔を向ける
本来ならば喜び興奮しているはずの表情はただでさえ不健康な肌に拍車をかけて青白くなっていた
予想外の事態にノボリだけでなく鉄道員も慌てふためく
彼らを宥めさせ、即座にクダリを専用の執務室に誘う

「バチュル濡れてた」
「おや、感電するかもしれませんね。拭いておかないと、」
「ちがう。キロ、泣いて、濡れた」

バチュルを拭こうとした手が止まる
ノボリの白い手袋の上に、ぽたりと水滴が落ちた
自分と同じ顔が年甲斐もなくぼろぼろと泣き出す

「ぼくわからない。キロ絶対強い、のに、逃げてる。本当はバトル…できるのに」
「クダリあなた何を見たのですか?」
「……ゲンガーと、サーナイト」

それだけ言うとクダリは自分の机を漁る
書類の山に隠された1本のテープをノボリに差し出した
読み込み画面に映ったのは、あの日のパーティー会場

「会長がくれた」

防犯カメラが捉えた一連の出来事
砂埃で見え辛いが、目立つ薄紫の髪がバトルの最中姿を現す
傍らに控えているポケモンは恐ろしいまでに厳選された高個体値
ゲンガーがくろいまなざしを使った時、ノボリは目を見開いた

「やはり彼女でしたか…」
「ポケモン達嬉しそう。でもキロは、辛そう」

巻き戻してもう一度再生する
ぞっとするほどに無表情な彼女は、四肢に枷や鎖でも付けている囚人に見えた
それでも的確な指示を与えられたポケモン達は、こんな状況だというのに楽しそうにわざを繰り広げる

録画された内容をノボリは真剣に見つめる
どちらもこのイッシュ地方では生息しないポケモンだ
加えて最終段階まで進化させるには、かなりの手間と愛情が要る
綺麗だからという理由でポケモンを進化させ傍に置く人間も少なからず存在するが、ならば高個体値に拘る必要はなく、またこのように上手くポケモンと息を合わせることは難しい

ようやく泣き止んだクダリにノボリはメモを渡した
ギアステーションから少し離れた場所にある、エリート専用のトレーナーズスクール

「此処に行ってきてくださいまし」
「ぼくが?」
「その間の業務はわたくしが行いますから」

メモに視線を落としクダリは頷いた
制帽の上にバチュルを乗せ、数体モンスターボールを掴み腰に引っ提げ走っていく
1人になったノボリはライブキャスターの番号発信に手をかけた





ロッカーを開き荷物を取る
疲れた身体に鞭を打ち、1歩1歩自宅へと進んでいく
ふとバチュルの毛繕いが中途半端だったことを思い出す
すぐに頭を降って、荷物を持ち直した

「あれキロさんじゃない」

縫い付けられたかのように足が硬直する
逸る心臓を押さえながら、キロはそうであってほしくないと願い声の方へ顔を向けた
モンスターボールをこれ見よがしに腰に下げ佇む女性
黒いスラックスを履くすらっと伸びた足、皺一つ無いシャツ

「…こんばんは」

最悪だ、と心の中で舌打ちをする
僅かに表に出た内心を見て、相手は気を良くしたのか饒舌になる

「辞めてから何してるのかと思ったら、整備士なんかしてるの?」
「ええ、まあ」

砂埃やオイルで汚れたキロを見て笑う
身長は変わらないが見下している雰囲気は纏わりついた
何をしているか尋ねてもいないのに、彼女は自分の今を語りだす

「首席で卒業して私講師をしているの。今日はお休みだったから少しショッピングに」

勝ち誇った笑みと言葉
それを見た途端、彼女がやけに小さく感じた
キロは閉ざしていた口を開く

「そう、四天王になる夢は諦めたの」

彼女の顔から笑みが消える
一拍置いて今度は朱に染まった
決して照れているわけではなく、キロの発言を侮蔑と受け取り怒った
帰宅途中の人々が忙しなく進む中パン!と良い音が鳴る
自分の左頬が熱くなるのを冷めた心で感じた

「途中で逃げた貴女が言えた台詞!?そうよね、情けない無様なバトルだったわ!あんなジョウトのつまらないポケモンなんて――」
「蔑むなら私だけになさい、ポケモントレーナーなら」

おどろおどろしい怒りの瞳
一瞬たじろいだ相手がそれでも尚言葉を続けようとした時、彼女の後ろから白い手袋が現れその口を塞いだ
驚き見上げた先にいたのは笑顔を貼り付けたクダリ

「女性が街中で喧嘩、ダメ。君強いなら、ダブル乗って?待ってる」
「へっ…え、ええ」

天使の微笑みと称されるそれに簡単に絆される
さり気なく誘導し、怒りを緩和された彼女は笑顔で手を振り去っていく
キロへの憎悪など初めから持ち合わせていなかったのよう
呆れるキロの頬に冷たい缶が押し付けられた

「ひゃっ」
「キロ、悪いけどぼくと戻って」

身も心も疲れ果てているキロの手を遠慮がちに繋ぐ
抵抗する気は無いのか、大人しく彼女はギアステーションへ踵を返した
執務室に通され頬の腫れが幾分か治まった時、ノボリが重々しく唇を動かす

「キロ。21歳、女性、出身地はホウエン地方のトクサネシティ。主な使用ポケモンはサーナイト、ゲンガー、ミロカロス。10歳の時にホウエン地方のスクールに通い始め、12歳で実力を認められイッシュへ単身留学に。首席でありながらも16歳で諸事情により退学、その後整備士学校へ入学、ですか」

キロの瞳が大きく揺れる
手の内にあるメモからノボリは顔をあげた

「ごめん。調べた」
「不明だらけでは雇う側としても困ります故、失礼とは存じ上げつつもスクールの先生にお話を伺いました」
「…そうですか」

2人が思っていたよりキロは怒ってはいなかった
正確には怒ることも呆れることも一切放棄した、絶望の表情が向けられていた
バトルを要らないと言い張る彼女が元・エリートトレーナー
首席でありながらも退学した理由までは聞きだせなかった
何がキロの運命を大きく捻じ曲げたのか

「わたくし達は貴女から直接聞きとうございます」
「バトル要らないなら、要らない理由教えてほしい。なんで?」

銀灰色の瞳がキロを真っ直ぐに射抜く
金縛りにあったかのように身体を動かすことも目を逸らすこともできない
微かな呻き声をあげていた唇が、きゅっと結ばれた

「今後の雇用に一切関係ないと約束願えますか」
「誓いましょう。個人的感情と仕事はまた別物です」

キロは汗ばむ掌を握り締めた
見えない鎖が纏う。永遠の責め苦への第一歩を踏み出す
ライブキャスターの日付が目に入るとキロは自嘲気味に笑った

「1週間後の午後8時、タワーオブへブンで」



―― すべての つみを おはなし します







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