大丈夫だよ、きっと大丈夫。
自分達が本物の兵士となって命のやり取りをする。まごうことなき本当の死を目前にしてもなお、名前は笑っていた。彼女の言葉は無理矢理作り上げた危うい形を成していて何処にも安らげるものなど備えていなかったけれど、彼女は笑うことをやめなかった。それは多分、周囲を励ます行為よりも、逃避に近かったのだと思う。



ウォータイムが本当の戦場となって、はじめて夜が明けた。
ロストすればポッド内に毒ガスが噴射される恐ろしい仕組みに生徒達は慄き、死にたくはないと懇願するがテロリストたちに慈悲はなかった。
次々と薙ぎ倒され、通信の途絶えていく彼らは皆、恐怖に心を歪めながら散って逝く。
今日は生き残ったけれど、明日はどうなるか分からない。昨日まで安全な柵の中にあったはずの僕達の命はこんな簡単にあやふやな位置に立たされることになった。

ジェノック間の空気も暗く沈んでいた。泣き出したり、身体の震えが止まらない仲間が殆どで、冷静を保って席に着いている人間だって内心心穏やかではない。皆が憤怒と恐怖が渦巻く心を抱く最中、名前だけは何故か笑っていた。

「大丈夫だよ、きっと大丈夫。明日には本土から助けが来てセレディ達を逮捕してくれるわよ。大丈夫よ、だから…」
「…そんな保障ないだろ!馬鹿な事言うのはやめてくれ」
「じゃあどうしろって言うの、ここでおとなしく殺されるの待ってろって?」
「それは……っ」
「信じて待ってるのは悪い事じゃないわ。…きっと縋っていたいだけなんだと思うけれど」

今ならそれも、許されるよね。
そう言って微笑む彼女の言葉の輪郭は、小さく震えている。



茜色に支配された空の向こうに闇が浮かぶ。夜が近付くその頃、寮までの帰路で傍らを歩く名前に呼び止められた。少し恥ずかしそうに揺れるあざやかな瞳が覗く。
あのね…手、繋いでも良い?
名前の顔は茜が差し込んでますます赤かった。

申し出を、僕は断らなかった。本来なら馬鹿げていると一蹴してしまう筈なのに不思議と彼女の手を取ることに躊躇はなかった。ただ手を重ね合わせるスタンダードな繋ぎ方だったけれど、彼女は満足そうにみえる。
昔、よくお兄ちゃんに手を繋いでもらってたの。
幼少時代を懐かしむ様子で名前は語り出す。

「私、小さい頃身体が弱くてね、入院とかしょっちゅうで。手術前とか怖くて泣いてる時、よくお兄ちゃんが手を繋いでくれたの。すごく安心して、怖くなくなったわ。だからね、今もね…」
「…名前」
「…ごめんね、やっぱり……教室ではあんな事言ってたけど、し、しぬのは、いや、やだよ、こわいよ…」

瞳に頑なに張られた水膜が決壊していく。留まることを知らない雫は大きく膨らんで彼女の陶器の頬を滑り落ちた。
死ぬのがこわい。当たり前の感情を隠そうと必死で笑顔を取り繕って、弱さを見せまいとする名前は出来損ないの道化みたいだ。戦場では果敢に戦って、敵を粉砕する力量がある癖に、ここではたった一人の弱い少女で。
いつの間にか手は、名前の震える肩を抱き寄せていた。彼女の身体は細枝のように頼りなかった。

「これから、やりたいこと、いっぱいあるのに。こんな…簡単に、しんじゃうなんて……もう、これでっ、ヒカルくんに会うのも最期かもしれないの、そんなの、やだ……!」

僕だって嫌だ。君がいなくなるなんて、考えたくない。
嗚咽する名前をきつく抱き締める。言葉は喉まで沸いてきたのに羞恥を感じて中々顔を出そうとしないから、せめて、行動で示した。名前を失うのは何よりも耐え難いことだと僕は思う。何故、名前なのかは分からない。気まぐれで煩くて、突発的に事を仕出かして周りに迷惑をかける癖に内面は少し脆くて丈夫じゃない。きっと誰かが見守っていないと彼女は駄目になってしまう。他の誰でもなく名前ではなければならない理由をまだ見出せないけれど、彼女にはどうか笑っていて欲しいと、心から願う自分がいる。その心に素直に従いたいとする自分も、いる。

「…馬鹿だな君は。僕が君を、死なせる訳ないだろう」

棘のついた言葉しか授けられない自分が腹立たしい。こんな陳腐で脆弱な口約束でも、君はいつも通り笑ってくれるだろうか。
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