安売りロマンス
「僕の意見を通して頂き、ありがとうございました。イシドさん」
仄暗い闇に包まれた玉座へ向かい、水衣は恭しく頭を垂れる。イシドは頬杖を立てたまま少年の礼に応じた。
お前のやりたいことに興味があってな。
そう口にすれば、水衣の表情は妖しいものに一変する。
先日の、ホーリーロード全国大会に向けた会議において、水衣はあろうことかサッカー経験のない実妹をフィフスセクターの特例選手に推薦した。勿論他の幹部からのバッシングはあったが、イシドの助言によりその案が通されたのだ。そして特例ライセンスはすでに推薦された本人、るちの元へ渡っている。
サッカー経験のない人間を革命軍の中に紛れ込ませることによってチームとして成り立たなくなると彼は踏んだ。内側からの崩壊、それが水衣が実妹を推薦した理由である。しかしそれは上辺の話であり、彼の真意はまた違う所にあるのをイシドは知っている。
「さて、教えてもらおうか。お前は何を考えている、水衣」
彼の言葉に水衣の目が硝子のような煌めきを帯びた。
*
翌日、円堂の元チームメイトである小暮率いる秋空チャレンジャーズとの試合は後半に差し掛かっていた。得点はまだ0対0。どちらが先に点を取得するか、激しい攻防が続いている。
よし、選手交代だ!
ホイッスルの後、円堂の指示で一乃がベンチに呼び戻される。
「さあ出番だぞ悦田!」
円堂の振り返った先には髪を一つに束ね、稲妻マークが胸元に光る黄色のユニフォームを纏ったるちの姿があった。
「ねえ〜これ変じゃない?どう?似合ってる?」
「大丈夫だって!似合ってるぞるち!」
「るちちゃん可愛い。いっぱい写真撮るね」
「ええ、やだ本当に?えへへ」
「悦田!!早くフィールドに入れ!」
いつにも増して苛立つ神童の怒号が河川敷に轟き、円堂は苦笑いした。
試合直前、重大な話があると円堂はチームに言い現した。ざわつく部員達の前に彼が呼んだのはるちである。るちは若干戸惑いの表情を浮かべつつ部員の前、円堂の傍らに立つと彼は口を開いた。
「昨日、フィフスセクターから正式に通知があった。全国大会での特例選手に悦田が選ばれたんだ」
「えっ、るち先輩が…!?」
「どうして悦田なんですか?」
「…恐らくチーム内に素人を紛れ込ませることで内部崩壊を目論んでいるんだろう。ライセンスを取得した者は試合に必ず出なければならないルールがある」
鬼道の付け加えに部員達の驚きは増してどよめきは更に大きくなる。彼らの反応にるちの表情を曇らせた。歓迎されたものではないことは彼女自身痛感していたが、改めて実感すると申し訳ないような気持ちが沸き起こる。
彼女の横顔を横目で捉えた円堂は沈んだ顔色を晴らす太陽のような笑みを浮かべた。
「だが、これを逆手に取ろうと思う!悦田をフィフスセクターに対抗出来る選手に育て上げるんだ。昨日悦田の実力を確かめたが、成長すれば即戦力になると俺は踏んでいる」
本日から悦田るちをマネージャーから選手に移行させる。皆、よろしくな!
円堂の声は増して溌剌としていた。
るちは一乃の守っていたポジションに入ると大きく深呼吸をしてゆっくりと息を吐いた。選手として初めて足を踏み入れたフィールド。今まで意識していなかった広さも足裏の土の感覚も全てが彼女に突き刺さるようだ。緊張で心臓がぎゅうぎゅうと苦しそうに鳴きたがっているのを堪えてるちは前を向く。
「そう緊張するな。大丈夫だから」
「蘭ちゃん、でも」
すると二人の間に横入る形で狩屋がやって来る。
「そうですよ悦田先輩!先輩の分まで頑張りますから!」
「狩屋くん、あ、ありがとう」
ホイッスルが再び響く。秋空チャレンジャーズが先取点を狙い、フォワード陣が果敢に攻めてきた。
10年前のフットボールフロンティアインターナショナルで優勝したメンバーを彷彿とさせる必殺技の数々に翻弄される雷門。ディフェンス陣に乗り込んできたところで霧野が走り込む。しかし、突然狩屋が走り寄り、あろうことか霧野と激しい接触を期したのだ。
「……っ!?」
短いホイッスルの音が試合を中断させ、ボールは白線から飛び出した。チャレンジャーズのボールから試合は再開される。
「…狩屋!」
「すみません。雷門の弱点は霧野さんだぅて、相手のチームが言ってたの聞こえちゃって」
「なんだと…」
「悦田先輩にもカッコ悪い所見せちゃいましたね。先輩」
アンティークゴールドの双眸が妖しい色を瞬かせて霧野を見据える。
霧野は声を荒げて狩屋を呼び止めるが、意思とは裏腹に試合はすぐに再開されてしまう。
一方、るちは目先で展開される攻防を追っていた。
ボールがあちこちに飛び散るような錯覚を覚える。ベンチで見ていたのと、実際にグラウンドで見るボールの動きは全く別物であった。
幼い頃兄と幼馴染と転がしたそれと、昨日円堂と一対一で攻め合ったそれ、どちらにも似つかない。複数人で行う激しい攻めは若干の恐ろしささえ感じる。
「悦田!行ったぞ!」
「えっ!?う、あ、はい!」
相手フォワードがもうすぐ近くにるちに向かって来ていた。わたわたと焦り出するちだったが、相手はチャンスとばかりに意気込んで待ってはくれない。
えっ、ちょっと、待って!ぎゃあっ!?
るちは自分の靴紐を踏んづけて盛大に転倒した。
「あいつ…大丈夫なのか、あれで」
倉間の怪訝そうな呟きに浜野が吹き出して笑っている。
*
結果、信助が「ぶっとびジャンプ」で決勝点を決め、雷門中が勝利を収めた。夕暮れが色濃く差し込むグラウンドで選手達が運動後のストレッチを行う最中、茜のデジタルカメラに映る信助の決勝ゴールの一場面に浜野達が和気藹々としている。
るちは1人ベンチに座って深く溜息をついた。頬に痛々しく目立つ絆創膏に触れ、意気消沈といったところだった。まさかずっこけて相手に抜かされるだけで、全く役に立たなかったのだ。自分の不甲斐なさを痛感する。
「悦田先輩、お疲れ様です」
「あ、狩屋くん…うん、お疲れ…」
「先輩…落ち込んでるんですか?」
「そりゃあ、だって、ねえ」
「大丈夫ですよ。俺が先輩の分まで頑張りますから」
狩屋はうっすらと目を細め、綺麗に微笑んでみせた。優しさ溢れる表情とこの言葉はきっと今まで何人もの少女を陥落させてきただろう。彼の整った顔に差す茜は今のるちにとって後光にしか見えない。
ありがとう。狩屋くんって優しいねぇ…。
しみじみと後輩の気遣いに浸る。試合が終わった直後、倉間を筆頭とした二年生にマヌケだ何だと笑われた傷が癒えていく気がした。
「…先輩鈍いですね。俺、誰にでも優しい訳じゃないですよ」
突然真面目な顔つきになった狩屋の声は芯が通っていて、低い色だ。
「好きです、悦田先輩」
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