浮き彫りの臨界点


制服からマネージャー業を行う時に纏う薄村木のジャージに着替え、るちは強張った様子で西日の差し込むグラウンドに立っていた。ベンチでは霧野と鬼道が、彼女と彼女の目の前でサッカーボールを携える円堂の姿を真摯な面持ちで見守っている。
円堂はこれから、るちのサッカーの能力を見ると言った。
それがどのような方法を持ってして計られるのかるちの頭では想像がつかない。ごくり、と喉を鳴らして未だアクションを起こさない目前の男の、その一挙一動に目を凝らした。円堂はボールを爪先で蹴り上げ、ぽんと弾ませて器用に自分の手に持ってくる。

「そう身構えるな。これからやってもらうのはいつも部活でやっているものと同じだ」
「は、はあ…」
「まず、俺が攻めるから、悦田は俺からボールを奪ってみせろ」

にかり、と円堂は笑みを零す。彼の言葉は渓流の如く軽やかにるちの横を流れていくが、彼女にとって重石のようにずっしりとした困難を含んでいた。
さらっと言ってくれたけど、そんなの、すぐに出来るわけないじゃない!
るちの顔にたちまち不安が立ち込める。それはベンチに座る霧野と、鬼道とて同じだった。

「そら、行くぞ!」
「え、え、ちょっと…!」

円堂の爪先はボールを勢いよくるちの方向へ蹴り出した。
慌ててるちは円堂の方へ駆ける。狙うは足元で軽やかに身を転がすサッカーボール。
跳ね、地面から離れて無防備なった隙を見極め、るちは素早く足を出した。蹴り上げて、自分のものにしようと腰を微細に捻じ曲げて円堂の足元からそれを奪う。
決まったと思った。しかし、ボールは思わぬ方向へくるりと身を捩らせ、まるで生き物のように、気付いた時には円堂の足元へすとん、と戻っていた。

「あれ…っ」
「そう簡単にはとらせないぞ」

円堂の顔は何時になく強さが溢れている。るちにはそう思えて、彼の澄んだ圧が肌に食い込んだ。



空に掛かる日の色の移り変わりと同じく、るちの細く力ない身体にも疲労の色が濃く蓄積されていた。息を切らして円堂に果敢に向かうも、ボールを奪うどころか、爪先にさえ擦りもしない。円堂は涼しい顔で未だボールを足から離さないでいる。るちの体力がただただ削られていくだけだ。
このテストを始めて一体どのくらいの時が過ぎたのだろう。
何十分か、はたまた何時間か。時の感覚が重石に似た疲労により体から離れてしまっていた。永い永い時にも、瞬き程度の短さにも、感じる。

「よく観察しろ悦田!目の前の状況を見て、考えなければ解決の道は見えてこないぞ!」
「……そ、っそんなの…!」

言われなくたって、自分が一番分かってるわよ!
るちは円堂に吠えたかったが、唇から漏れるのは疲労の乱れた吐息だけである。悪態をつく余裕など今の彼女にはなかった。
破れそうな肺へ必死に空気を取り込んでるちは今一度体制を整える。少しずつ酸素の回ってきた脳はクリアに広がっていき、目の前の事象を改めて認識しはじめた。

――そうだ。体力や技術で敵わないのは当たり前。唯一の勝機となるのは、観察。見なければ勝てない。

幼い頃、幼馴染や兄のボール捌きを真似して彼らから奪取した記憶を呼び起こす。
あの時はじっくり彼らのプレーを観察していたからこそ身体が動いたのだ。しかし、彼らほど長くプレーを眺めたことのない円堂の動きには不慣れすぎる。
だめ、諦めちゃ。例え円堂監督にでも弱点はある。絶対に突破口はある筈。
全てを観察して動きを把握するのでは時間が惜しい。丁寧に見定めては駄目だ。

動きを断片的に見て、癖を見出す――!

円堂の足の動き、それから生じる腰の微細な捻り、それらが瞬きする度に映像ではなく画像としてるちの脳に送り込まれ、蓄積されていく。網膜が鮮やかに変位を見出す。爪先がボールを打ち、空中に跳ね上がろうと身を弾ませるその瞬間、るちの足は――動いた。

「……っ!」

円堂はるちの攻めを避けようとテクニカルにボールを転がすが、そのまま円堂の足を離れ、弧を描いて跳ね上がる。そのままるちは再びボールを蹴り上げてゴールポストに叩き込んだのだ。

ネットに絡み、地面へ落ちて無造作に転がるボールのバウンドする音が茜色に支配されたグラウンドに鳴り響く。
ベンチで展開を眺めていた鬼道は目を疑った。円堂からボールを奪取し、奪い返されることなくゴールへ叩き込んだことに驚いたのではない。
足の使い方から細かい筋肉の動き、その全てに見覚えがあった。るちの動きが、まさに「円堂」そのものに見えたのだ。
円堂の動きを真似てここまで完全に再現した上、一瞬ながら本人を上回る能力を見せたるちの力は、彼の予想を遥かに超えていた。

「や、やった……」

やったよ蘭ちゃん!るちは肩で息をしながら幼馴染に振り返る。
霧野の中で、幼い頃見たるちの能力の鱗片は正真正銘彼女の才能であると確信的になった。
兄や自分のの動きを真似てボールを操ったのはまぐれではない。彼女の目は微かな特徴を見逃さず捉え、そして処理して吸収する。
思わず背中が粟立った。運動能力が並ほどしかない時点で“これ”だ。正式に選手として加入して経験を積めば雷門の要にさえなり得る。

「悦田、お前…」

円堂の指がるちの肩に触れようとしたその時、るちの身体は糸が切れたかのように地面に崩れ落ちた。
るち!
グラウンドに倒れるるちへ霧野は一目散に駆け寄る。肩を起こせば微かに唇を動かした。

「あ…もう、私ちょっと疲れ、ちゃった」

歩けなさそうだからさ、家までおぶってよ。そんな冗談を口にして、目をゆっくりと細めるるちの顔は何処か満足そうな笑顔だった。




prev next




「#お仕置き」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -