導かれた扉の前に
「何しに来た、水衣」
霧野は一歩前へ出て、強張るるちを自分の後ろへ隠す。
その動作は水衣の神経に障った。細い眉が細微に動き、嫌悪に瞳が淀む。それでも水衣は継ぎ接ぎだらけの微笑みを向けた。頬を上げて、さも優しそうな表情をするのは水衣の得意な「嘘」の一つでもある。
今日はるちに用があるんだ。
柔らかさを失った妹の顔を網膜に収めて、水衣は言う。
「先の会議でね、今年のライセンス保持者が決まったのさ」
水衣はるちに向かって何かを投げた。それはるちの手に収まり、すかさず取り上げてよく見てみる。名刺ほどのサイズの、薄いプラスチックのカードだ。夕陽に反射してよく見えないが薄く印刷されたフィフスセクターの刻印の上に文字の羅列と写真がある。
――フィフスセクター公認特例選手。
「これ…!?」
「るちが、選手…!」
カードにははっきりとるちの氏名と顔写真が印刷されていた。
「君を本気で潰すなら、同じフィールドの中じゃなきゃ駄目だろう?」
水衣の笑顔は今宵見えるであろう、濃紺の中に柔らかく光る星を思わせたがその輝きの裏に奇しい色が秘められているのをるちは知っている。
ただのマネージャーであるるちが申請もしていないのにライセンスに選ばれた。それは水衣の意図的な策略であり、即ち彼は弱冠15ながらフィフスセクターの中でも大きな権限を持ち合わせているということだ。
ちなみにそのパス保持者は一回でも試合欠場すると規約違反でその学校が自動的に敗北になるから、気を付けてね。
端麗な微笑を続ける水衣は何処と無く、愉快そうだ。
「それじゃあ革命ごっこ、頑張ってね。るちが足を引っ張って負けを喫する雷門…楽しみにしてるから」
「おい、待て!」
霧野が水衣の肩に触れようとしたその時、スカートのポケットに収まるるちの携帯が震える。それは緊急の着信であった。――円堂からの、ものである。
「――それで、直接渡されたって訳か。フィフスセクター、いやお前の兄に」
円堂の神妙な顔にるちは力なく頷く。
彼の着信により、霧野とるちは再びサッカー棟のミーティングルームに収集されていた。そこには円堂の他に鬼道の姿もあり、彼らはテーブルに着席して中央に置かれたるちのライセンスをまるで観察するように眺めている。
「俺たちのところにもライセンス保持者認定の通知がたった今来てな…まさか悦田が選ばれるとは…」
「フィフスセクターはお前を使って雷門を敗北させたいんだろう。サッカー未経験に近い素人をチームに潜り込ませ、内部から崩壊させる。強制出場もそのためだ」
鬼道の読みはほぼ間違いないと言って良いだろう。
本来、フィフスセクター公認のライセンス制度とは優秀ながら様々な事情で公式試合に出られない選手を調査、選出し、ホーリーロードに出られるようにするシステムだ。サッカー部に名を連ねる霧野もよく知る制度であり、るちもサッカーに関わっている分、耳にしたことはある。
毎年全国大会まで勝ち進んだ学校の中から選ばれるのが通例だが、選出されるのはほんのごく一部の人間のみ。ライセンス保持選手が出ない年も勿論あり、むしろその方が多い。
厳しい審査を潜らねば獲得出来ないライセンスを、敵校の、しかもただの女子マネージャーに発行するなんて常識的には考えられない話だ。
素人参入での内部崩壊、水衣の策略は彼の持てるフィフスの権限を大いに使ったものだった。
彼は、るちの責任で敗北を喫する雷門を望んでいる。それは、即ちるちを傷付けたいということだ。
霧野は水衣の意図に底知れぬ怒りを覚えた。手が震える。あの時、電話に気を取られないで追い掛けて薄っぺらい笑面に拳の一つでも入れてやれば良かったと、らしくない事を考えた。
「私、サッカーのルールはマネージャーだし、理解してるつもりです。けれど、実際にピッチに立ってなんて…」
るちのサッカー経験は幼い頃、兄と幼馴染と遊んだ夏の日で止まっている。
暗い陰が差するちの横顔を霧野は見つめた。――こんな顔、して欲しくないのに。るちには今度こそ笑って欲しいと、ついさっきそう、心に思ったのに。
「…監督。俺は小さい頃からるちと一緒ですが、るちにはサッカーの才能が…いや物を見て覚える才能があります。るちは経験さえ積めば雷門の重要な選手になるはずです」
「え、ちょっと蘭ちゃん…!?」
「確証はあるのか」
「それは、俺が保証します」
霧野の藍玉は鬼道のサングラスに遮られた瞳を真っ直ぐに見る。彼の思考は読み取れないが、霧野の言葉は鬼道の脳内に強く残ったらしい。円堂に目配せして、彼らは頷き合った。
「――よし、悦田。予備のユニフォームを用意しろ」
突然名前を呼ばれたるちは驚いて思わず立ち上がる。円堂の要求が意味することを彼女はまだ飲み込めずにいて、頭上にはうっすらと疑問符が見えた。霧野の言葉を信じてみよう。彼はるちの、まだ幼さ残る顔をチョコレート色の双眸に収める。
「悦田のサッカー選手としての実力を確かめる。今この場で」
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