夏空
夏はもうすぐ去り行こうとしていたが、瑠璃色に広がる空は強い陽の光で輝いている。じりじりとアスファルトから熱が込み上げ、向こうの景色が細微に歪んだ。外に佇むだけで汗が吹き出すような暑さの中、子供達はいつもの人気のない公園にいた。遠くから蝉の鳴き声が反響して鼓膜に届く。今日は一段と暑いなと、蘭丸は思う。シャツの裾で汗を拭いながら目前の人物を見た。炎天下の中、微動だにしない彼の友人、水衣である。その顔は白く、幼いながら整っていたが表情は理由の分からない憂いを帯びていた。
「今日るちいないの?」
薬を飲んで寝ていると、水衣は淡々と答える。どうもここ最近の暑さにやられてしまったらしく、症状が悪化したらしい。いつもは無邪気にはしゃぐるちだが、つい最近まで外で遊んだことのない虚弱な少女なのだ。普通の子供ほどの体力はないと言ってもいい。
そうか、と蘭丸が返答したあと、水衣は重たい唇を動かした。
「僕、もうすぐお母さんと一緒に家を出るよ。この街から引っ越すんだって」
水衣から発せられた衝撃が蘭丸の体を稲妻の如く駆け巡って、突き抜けた。
「…るちは、知ってるのか…?」
震える唇で蘭丸は水衣に問う。
知らない。誰も説明してくれる人がいなかったから。
どこか嘲謔を含む声だった。今まで聞いた水衣の声で一番冷たく、鋭い形をしていて思わず背中に気味の悪い寒気が走る。
お前がいなくなったらるちは…。
蘭丸は言い掛けて、はっと目を凝らした。
「るち、るちって、蘭ちゃんはいつからるち贔屓になったの?それに、僕がいなくたって代わりに君がいるし、学校でも沢山友達出来るだろ。別に問題じゃない」
いつもなら穏やかに揺れる翡翠色の瞳が負の感情で渦を巻いて、蘭丸を見据えていた。水衣から発する言葉ひとつひとつが蘭丸の喉元に鋒を突き出している。何もかも拒絶し、全てを敵と感じ、今にも襲い掛かりそうな威圧感が今の水衣にはあった。
「何だよその言い方…お前、最近変だぞ…」
「僕は変じゃない。変わったのはるちだけ」
一歩、水衣は蘭丸に詰め寄る。靴の裏で砂を踏み締める粗い音がした。
「るちはずっと病室に閉じ込めておくべきだったんだ。ずっと、1人にしておけば良かった」
翡翠色の大きな瞳が蘭丸の顔をいっぱいに映す。緑の中に浮かぶ自分は困惑した面持ちで、動揺している。水衣の声音は酷く冷淡で、恐ろしささえ感じた。たった一つしか変わらない同年代の少年を、蘭丸は本能的に悍ましいと思った。
「君と出会わせなきゃ良かったんだ…!」
*
混濁した意識が一本の糸に集積され、るちはゆっくりと重い瞼を開けた。熱っぽくて、呼吸が苦しい。痛みを抑える薬の副作用とは理解していたが、この特有の身体の怠さは耐え難いものである。
ここ最近は外に出っぱなしで体力が暑さに奪われていたのもあり、るちの具合はいつもより悪かった。
「…すい?」
るちは傍に兄がいないことに気付いた。寝付くまで側に座っていた筈なのに。
何処へ行ったのだろう。るちは重たい体を起こす。家はしんと静まり返っていて、人の気配も何も無い。父も母も、水衣の姿も勿論見当たらない。
…探しに行こう。
るちはふと思い立ってパジャマから涼しげなワンピースに身を包む。麦藁帽子を深く被って抗菌用の眼帯を取り付けた。今日はいつにも増して暑くなると、昨晩のテレビがそう伝えていたのを思い出した。
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