幸福


「るち、大丈夫だよ。とっても良い子なんだ。そんなに緊張しないで」
「で、でもぉ」

白いシーツを被り、頬を染めて瞳を揺らするちに水衣は微笑みかける。彼女の今日の体調は良好だった。薬も少ないし、熱もない。閉じられたドアの向こうから、おーいもういいか?と少年の声がしてるちは肩を震わせる。いいよ、と水衣は椅子から立ち病室の引き戸を開いた。

「僕の友達の、霧野蘭丸くん」

白く柔らかそうな肌に映える深く色付いた桃花色の髪、ほんのり紅にそまる唇。そしてるちを映す、南国の海を思わせる涼しげな瞳。絵画の額縁の中から人知れず飛び出して来たのではと思う程にるちの目の前に立つ少年は鮮麗だった。
るちは頬が蒸気するのを感じ、また深くシーツを被る。殆どの時を病院で過ごしてきた彼女にとって、少年など兄の他に知らなかった。

「蘭ちゃん、この子が僕の妹のるち。身体が弱くて殆ど学校に行った事がないんだ」
「ふうん。じゃあ外でもあんまり遊んだ事ないのか?」
「そうだね…ね、るち」

未だシーツの中で縮こまる妹に水衣は尋ねるがるちは声も発さずびくびく震えているだけだ。少し驚かせすぎただろうか、と水衣は苦笑する。すると彼の目の前に蘭丸の手がにゅっと伸び、るちのくるまるシーツを思いっきり剥がした。
ら、蘭ちゃん!?水衣が慌てて蘭丸の手を掴む。シーツを奪われ、全てが露わになったるちはあわあわと口を震わせては、顔を真っ赤に染め上げていた。羞恥と極度の緊張がるちの胸にぐっと押し寄せる。再び目の前に差し出された手の持つ意味が分からず、るちは蘭丸を見上げた。

「だったら遊ぼうぜ。これから三人で」

な、るち。白い小さな歯を見せる蘭丸の目はどんな宝石よりも無邪気で、美しいオーシャンブルーの色を輝かせていた。

「うん…!」



それから暫くして、るちは看護師の巡回時間を見計らってはこっそりと病院を抜け出すのが日課となった。パジャマから着替え、帽子を深く被って、病院から程近い公園で兄と友人の遊びに交じった。人気もなく遊具も寂れた其処は自分達以外の子供の姿はない。古びたベンチに座り、二人の遊びに勤しむ姿を見るのがるちの大きな楽しみだった。白黒のボールを華麗に足で操るスポーツ、サッカーである。

「あはは、すごい!水衣も蘭丸くんも、じょうず!」
「るちも一緒にやろうぜ。すごい面白いよ、サッカー」
「え?でもぉ…」
「だめだめ蘭ちゃん。るちはまだ病気で入院してるんだから」
「でも良くなってきたんだろ?証拠にこんな元気じゃん」
「治りかけが一番危ないって言うだろ」

治りかけの妹を公園に引っ張って来てるのは何処のどいつだよ。蘭丸が口を尖らせて言うと水衣は言い返す言葉もなく苦笑した。
るちは楽しかった。蘭丸と出会って、兄と三人で遊ぶようになってから笑う事が多くなったし、寂しさも感じなくなった。心の在り様が変わったからか、病気もどんどん回復し、薬の量も格段に減った。副作用の発熱も発作も殆どない。身体はほぼ健康体に近かった。
入院する日取りももう来月に迫っている。これから毎日三人で遊べると思うと、わくわくが止まらない。

「るち、お水飲んでおいで。疲れただろう」
「ええー。疲れてないもん」
「るちがそう思ってなくても身体は疲れてたりするの。いいから、ほら」
「はあい」

るちはベンチからぴょんと飛び降りて、水飲み場へと駆けて行く。
元気になったよなあるち。蘭丸が何処か嬉しそうに呟く。しかし受け答える水衣の表情は暗かった。どうした?と蘭丸が首を傾げる。

「……最近、母さんが家に帰って来ない。多分、もうすぐ離婚する」
「え…?」
「るちの退院を見届けて、出て行くんだ。……僕を連れて」

青々と輝く空の向こうから、突然暗雲が近付いて来た。雨雲だ。重たそうな鉛色が地上に影を落とし、身体を膨張させていく。
夏の足音が朧げに聞こえて来ていた。





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